連続4回転という究極の技で銀メダリストになった平野の滑りを評して、平岡は 「いくとこまでいっちゃってる。歩夢はすごいと思うけど、俺の目指すスノボはそこにない。」 と言った、とその記事は書いている。体を回転させ、着地するだけなら平岡もできる。しかし「やりたくない。命もかかっているんだから。」
スノボは「遊戯の精神」に満ちた遊びだったはずなのに、勝つためには「命をかけた」危険な技が必要な競技になってしまった世の中の流れに 平岡は背を向けたのだ。(実際、この競技で優勝したショーン選手も2位の平野選手も過去 大怪我をしている。)
オリンピックは見世物か
IOCは競技に優先して儲けの為に日程を組み、選手は民衆を歓喜させる為に命を削る。これでは、まるで現代の剣闘士である。
素晴らしい技は民衆を感動させるけど、4回転の成功で民衆の生活が変わる訳では無い。地味だが、確実に世の中を変え役に立つ活動の方が凄いと思う。
羽生結弦の連覇に喝采している妻の横で、「世界最高峰の文房具」だとほくそ笑みながら「こぶりローマ字変換」の新しいアイデアを試す為にパソコンに向かっている私がいる。