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11月, 2014の投稿を表示しています

子孫に残すもの

幸いにも子供が二人いる。私の人生とは何だったのかと人に問われて、少なくとも子供を(妻と共同で)育てたことだけは答えられる。

生物は子孫を残すために活動すると前に書いたが、単に自分の遺伝子を次世代に繋ぐというのであれば知性のある人類とは言えない。その文化を次世代に繋いでこそ、子育てだと思う。

偉そうに言っているが、私の場合は別にそんな考えなしに子供が生まれた。赤ん坊のうちは妻の負担を減らすために手伝っただけである。女は子供を産んだ時から母親になれるらしいが、男は子供の成長と共にだんだんと父親になっていく。産まれた時は人間の形をしたおもちゃが家にやって来た、ぐらいの感想だが、世話をやいている内に段々と可愛く思えてくる。色んな事が出来るようになってまた嬉しく思う。

子育てとはそういうものだ、と思っていたのだが、先日、こんな体験をした。自分が常々語っていた価値観を子供が至極当然な事として喋っていてとても嬉しく感じたのだ。子育ての喜びにこんな形があるとは今まで思いもしなかった。

自分の子供とはいえ、独立した人格のある人間であって、親の所有物ではなく、ただ、社会から成人するまで養育を委託されているのだ、という想いでいる。ただ、その間の養育のやり方は親の自由だ。社会で生きていく力をつけてやり、社会に送り出すその日まで、次世代に繋ぎたい(親の)価値観を伝えてやるのが知性ある人類としての子育てだろう。

たとえ自分の子供がいなくても、自分の価値観を何らかの形で(例えば書籍とかブログで)残すことが出来るのなら、それで満足できる気がする。

強欲のみなもと

先日、テレビで屋久島の猿の生態についての番組を見て考えた。

屋久島は猿の餌になる木の実など食料が豊富ではあるが、猿?口密度も多くて、グループ間の餌場を巡る争いも多くて決して楽に暮らしている訳では無さそうだ。争いに負けたグループは消滅してしまうという。生存を懸けた争いなのだ。

だからグループの結束は固いのだが、その一方でグループのオスには序列の峻烈な争いがある。それは喧嘩の強さで決まる。そして弱いオスは強いオスに対して恭順の姿勢を見せるという。(テレビからの情報はこの辺まで) そして、その順序が意味するのはメス選びの優先権だと思う。

猿のグループではリーダーが全てのメスを独占する訳では無さそうだ。それは選んだメスやその子供の面倒も見なくてはならないからではないか。だから下位のオスにも子供を持つチャンスはあるのだが、メスはリーダーに選んで貰いたいはず。なぜなら、強いオスの子供の方が死亡率が低いらしいから。

今まで私が学んできた生物というものを一言で表現すれば、それは子孫を残すために活動するもの、と言い切れる程に巧妙な仕掛けがその生物の種に備わっていて、猿社会における本能的な行動もその一つの形態だろう。

人間も知性の下には猿同様の本能が備わっているのだろう。さすがに喧嘩で序列を決める事は少ないが、会社で出世や収入を競ったりするのはその現れではなかろうか。そして、会社というグループを離れてもっと大きな集団で競うなら、資産額が大きい程順序が上という価値観が生まれる。これが必要な額を超えて留まることを知らない強欲のみなもとなのだと思う。

男が女を選ぶ基準はまず美人かどうか。実はこれも本能的なものらしい。最近の実験では、色々な女性の顔を平均して作った顔こそが美人なのだという。それは病気をせず、よい条件で育った証である。つまり男性は本能的に子孫が繁栄する可能性の高い方を選んでいるのだ。

一方、女性も強い男性に選ばれる事を望んでいる、と思う。これも猿同様の本能のなせる業。男が金に貪欲というなら、女は美貌に貪欲なのだ。

しかし、社会保障制度も整いまた医療も充実した現代では、収入や財産、母親の容姿では子供の死亡率も変わらない。人間には猿にはない知性がある。知性を磨けば猿の本能の呪縛から離れ、自由な生き方ができるだろう。

自家用法人の経営を趣味とする

昨日は給料日だったので、いつものように自分への給与振込と子供達への仕送りをした。ついでに今回は会社ネタについて書いてみる。

あえて事業を目的としないのに(やるのも可)手間もお金もかかる自分の会社を「自家用法人」と名付けてみた。それは自家用車が趣味のものとはいえ、重い物を運んだり病院へ行くような時にたよりになる存在であるのと同様に、持って満足かつ頼りになるものだ。

最大の利点は厚生年金と協会けんぽに入れること。

以前のブログに、45歳未満で早期退職した場合に本人にもしものことがあっても遺族厚生年金は出ないと書いた。しかし、会社を作って給与を自分に支払っていれば厚生年金の現加入者なのだから年金受給資格の加入期間に達していなかった場合でも遺族厚生年金は出ることになる。

また、早期退職後無職の場合と比べて、配偶者を被扶養者にすれば(本人と配偶者の)国民年金の支払いも要らなくなるうえに本人の年金額には厚生年金の上乗せ分が増える。

協会けんぽとは、大手企業のように自前の健康保険組合を作る程の力のない企業向けに政府が作った健康保険の組織である。就職して無ければ加入することになる国民健康保険と保障内容はおそらく同一である。(以前は自己負担額などが有利だったが、今はどちらでも3割負担。他に細かな違いがあるかもしれないが。)

では、国民健康保険よりも協会けんぽのどこが良いのか、というと保険料が給与金額のみで決まることだ。一方、国民健康保険は所得額や固定資産額や家族の人数で変わる。

株式や投資信託の配当金で暮らそうとした場合に、源泉徴収された税金は申告することでかなり取り戻せる訳だが、そうすると所得は増える。会社を作る以前にそうやって戻る額が最大になるように申告したことがあったのだが、その結果、保険料がほぼ限度額まで上がってしまい、申告して損した苦い経験がある。

実際の保険料はどうか。現在住んでいる自治体で4人世帯の場合、配当金の申告をせず所得がないとすると、国民健康保険料は7割軽減される(世帯所得が33万円以下の場合)ため年額61,700円だ。一方、限度額は81万円である。

国民年金は月払いだと1人15,250円だそうで、2人分で年間366,000円になる。所得が無ければ年金保険料の免除申請が通るかもしれないが、それで年金は減らされるし、納付が困難でないのなら免除申請などすべきではな…

お金持ちとは資産の管理人にすぎない

富者を羨む気持ちを戒める言葉を新しく作ってみた。

お金持ちにも色々ある。事業に成功した人。こつこつ貯金した人。先祖から財産を受け継いだ人。宝くじにあたった人。投機があたった人。投資がうまく行った人。

お金を持っているから偉いって言える人はいるのだろうか。社会に貢献するような事業に成功した人は、それは偉いと思うが、その結果としてお金持ちだとしても偉い理由は別だ。

結局、お金を持っていること自体には偉い理由は存在しない。

自分のお金って、持っているだけでは自分が管理しているものに過ぎない。自分の為に消費して初めて自分のものになる。…あれっ? 消費したらお金なくなっちゃうんだけど?と思われるかもしれない。だけど、自分の為に消費して、それが自分の知識や経験に変化すればもう誰もそれを奪うことはできない。逆に管理が悪ければ簡単によそに移っていく。所有権はあっても本当に自分のものではないのだ。

物を買うのは消費ではなく、投資に当たる。家や車を買ったとしても、それは本当に自分のものになってはいない、使って減価償却した分だけが自分のものになったと考える。再販価値がなくなるぐらい改造しまくった愛車だったら本当に自分のものかもしれない。極端な話、名画を自分の棺桶に一緒に入れて焼いてくれと言い残した人の気持ちも本当に自分のものにしたいという意味で分かる気がする。

お金は消費してこそ意味がある。自分で使い切れる範囲を超えたお金持ちは、他人が使うことになるお金を管理していくことになる。管理するためには自分の大事な知恵も時間も懸けねばならぬ。誠にご苦労様なことである。自分が必要とするお金以上に欲しがるのは知恵のある人のすることではない。

もしお金持ちが偉いというなら、それは単にお金を持っているからという訳ではなく、その人が管理しているお金を使って社会に貢献した結果であろう。

ねずみ講国家

どうしてこの国の政治は経済成長について一喜一憂し、人口減少におびえているのか?
永遠に成長を続ける訳にはいかないし、人口も多すぎない方が暮らしやすいはずなのだが。
しかし、もう膨大な借金をしているし、人口増加の前提で社会保障制度も作ってしまったから何が何でも成長し続け、人口減少も止めねばならないのだ、というのが政治家の言い分。

これって、問題の先送りではないだろうか。はっきり言ってねずみ講そのもの。未来の世代で必ず行き詰まる。今苦しくてもなんとか持続可能な社会にしないと未来の世代が可哀想。このままではラパ・ヌイ島の悲劇が日本で起きる。

少子化が問題になっているのは社会保障制度の設計がまずかったためで、環境にとっては好ましい出来事だろう。だから無理に増やそうとしない方がいい。持続可能なレベルまで少なくなったら、きっと人口減少は止まると思う。

国の借金はしょうが無いから増税して返そう。財政が行き詰まって大混乱になるよりはマシだと思うから。

証券営業さんに早期退職を勧めてみた

ブログを始めてから、改めて自分の生き方について色々考えている。そうすると今まで気が付かなかった書籍にも自然と目が向く。最近読んだ本で強い共感を抱いたものとして次の2冊を挙げたい。

「プレニテュード 新しい<豊かさ>の経済学」 ジュリエット・B・ショア 著 岩波書店 2011年11月

働き過ぎを改めることが地球環境を守り、時間的余裕という物質的とは異なる観点の豊かさを手に入れることに繋がるという主張を膨大な資料を使って説明する。事例は米国だが、日本も米国の忠実な犬だからこれがそっくり当てはまる。

「非電化思考のすすめ」 藤村靖之 著 WAVE出版 2012年8月

こちらは発明家で非電化工房を主宰している人が書いた本で、この人の生き方そのものが語られている。お金とエネルギーに依存しない生活というのがテーマである。
以前、この人が書いた別の本を読んだことがあって、放射冷却の原理を使った冷蔵庫とか感銘した。この本では非電化工房をテーマパークにして多くの見学者や住み込みの弟子を受け入れたりして、自分のアイデアを自分一人のものとせず、世の中に広めようと活動してるこの人の生き方に感銘した。

このように、私の生き方の基本姿勢は既に多くの本で語られている。このブログで改めて語るほどのものではないのだが、まだまだ実践している人も少なく、早期退職から11年破綻せずにやってきた実例として後に続く人の参考にはなるだろう。

2chやブログ村で早期退職する人の話を読んでいると、殆どは独身の人で、家族持ちの事例は殆ど見かけない。だから、このブログの情報にもきっと意味があると思いたい。

ところで、今朝、風呂掃除をしていたら電話が鳴った。出ると証券会社の営業さんだった。(以下の会話は要約)
営 「この間お薦めしていたアリババが随分上がりましたよ。」
私 「買っていたら資産が増えすぎて困ったことになっていたね。」
営 「何か買いませんか?」
私 「これ以上資産を増やす必要もないから、もう売り買いせず、配当だけもらえばいい。」
営 「もっと儲けないのですか?」
私 「儲けていったい何に使うのか?」
営 (不意を突かれて一瞬言葉が出ず)「えーっと、基金を作るとか? 交通遺児の子供達に奨学金を出すんです。」
私 「そこいらの似非基金がやっているだろ。私はもう投資のことで時間を使いたくはないのだ。…

年末調整の書類が届いた

私は会社という存在に必要な事務的作業をどこまで減らせるのかということに興味があり、自分で会社を運営して実験している。そして、このブログでは実際に行った手続きを記録していきたい。

さて、先日税務署から年末調整の書類が送られてきた。

その書類には次の2種類がある。
 1会社から給与を支払っている人に対して記入してもらい会社が保管するもの
 2会社が書いて提出するもの

年末調整って簡単にいうと、会社が給与を支払っている人の所得税の申告を会社が個人に代わって税務署に申告するという制度なのだ。

会社には所得税の源泉徴収をする義務が課せられていて、給与の額から計算される税額を決めて給与から控除して税務署に収める。そして、さらに国は会社に、給与を支払っている人が確定申告する代わりにその人の所得税額を計算し、その年に徴収してきた源泉徴収額との差額をその年最後の給与の源泉徴収で精算するという義務を課している。
その為に、各給与受給者は会社に対して自分のプライバシーである家族の生年月日や配偶者の所得や生命保険料や住宅ローン額を教える羽目になる。
国はこの制度を介して国民を社畜にしたいらしい。また住宅はローンで買え、生命保険には入れ、配偶者はパートで働けとも言いたいようだ。

さて、実際の事務作業だが、会社=私=全ての給与受給者という事情があるため、1の書類は1月の給料日の前日がリミット、2の書類は1月末がリミットなので、例年来年になるまで何もしない(封筒すら開けない)のだ。

又、実際の作業をしたら報告したい。

職業訓練で起業を学ぶ

退職は会社都合の扱いだったから、待機期間なく失業保険が貰えた。当時は起業準備中の人は失業保険は貰えないことになっていたが、私の場合は具体的には何も決まってなかったから違法ではなかろう。何せ失業保険の受給中に受けられる職業訓練の中に起業コースがあったのだから。

その起業コースは、ある資格予備校の校舎で3ヶ月間にわたって経営の基礎を学ぶ。複式簿記、会計、マーケティング、雇用など、短い期間だったが充実した内容だった。大学の経営学部とか商学部などで教えているのと同じ内容ではないだろうか。

ここで学んだ仲間は私を含めて15人いた。職業訓練中に受給が終わる人も訓練が終わるまで受給が延長されるため、それを目当てに起業が本心ではない人もいたかもしれないが、未だに年賀状を送ってくれる2人は現在自分の会社を持っている。私を含めて3人以上は少なくとも再就職しないで10年以上過ごしている。かなりの成功率ではないだろうか。

私が弁理士資格を取ろうと思ったのもこの校舎でパンフレットを見たのがきっかけだった。雇用保険から受講費用の補助が出ることも決断の後押しをした。合格には至らなかったのだが、法学の基礎は十分身についたから元は取れたと思っている。