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2020年7月6日月曜日

日経 私の履歴書 杉本博司

日経新聞の「私の履歴書」今月は、杉本博司さんが執筆している。

ぶらぶら美術・博物館で知る

杉本さんの肩書は現代美術作家となっていたが、ひょっとして「ぶらぶら美術・博物館」江之浦測候所の回で紹介された写真家の人? と思って調べたら、はやりその人だった。江之浦測候所という名前だが、気象観測をやっている所ではなく、美術館であり、建物自体またアートな空間で、杉本さんが自費で(今は公益財団法人になっているが)作ったらしい。

番組を見てぜひ一度見てみたいと思ったし、杉本さんの美意識には感銘を受けた。そして、どういう経歴でその夢のような事業を成し遂げる事が出来たのか知りたいと思った。その杉本さんが執筆する「私の履歴書」ならぜひ読みたい。

絶対に面白いはず

過去の「私の履歴書」の傾向から言うと、サラリーマン経営者の執筆したものはつまらないけど、芸術家と創業社長の執筆したものは面白い事になっている。

連載が始まってからまだ一週間も経たないけど、杉本さんの場合もこれまでの経験則を裏切っていない。大注目の連載だ。

2019年8月8日木曜日

忠誠の誓い

昨日のNHK夜7時のニュースで、来日したエスパー米国国防長官を歓迎して米国国歌を演奏しているシーンが放映されてた。エスパー国防長官の隣には岩屋防衛大臣が並んで立っていてその演奏を聴いていた。共に右手を左胸に当てて…

米国国歌を聴く姿勢とは

世界選手権で米国の選手が優勝して表彰式で米国国歌が演奏される時、その米国の選手は右手を左胸に当てて自国の国歌を歌う。或いは、米国大リーグの試合に先立ち米国国歌が演奏される時、観客も皆立ち上がり右手を左胸に当てて国歌の演奏を歌う。

そんな光景を何度も目にしていると、米国国歌を聴く時はそのような姿勢を取るべきものかと思うし、自分もそうすると ちょっとカッコイイような気もする。しかし…

この姿勢は、忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)というアメリカ合衆国への忠誠心の宣言の時に求められているのと同じ姿勢なのだ。即ち、この姿勢で米国国歌を聴くということは「私はアメリカ合衆国に忠誠を誓います」と言っているのと同じ事になる。

失言相当もの

これが、一個人が周りの状況に引き込まれて真似をするだけなら大した事ではないが、日本国の防衛大臣が公式の場でやってしまうとなると問題だろう。

「アメリカ合衆国に忠誠を誓います」となると、日本と米国の国益が対立した時、私は自衛隊を米国の為に動かして日本を攻撃します…と口には出さずとも言ったのと同じになるのだ。

この光景を見た米国民はきっとニヤニヤした事だろう。

私は今日の新聞にこの事についての批判記事が当然載っているものと思っていたが、我が家の日経新聞をはじめ、どのマスコミにも何の言及も無かった。野党も日頃から大臣のちょっとした失言でも大げさに問題視するのに、これはどうでも良いらしい。

英語の教育よりも大切

ドイツでナチス式敬礼をすれば犯罪であるらしい。言葉だけではく、世界には色んな社会規範があり、その意味を知った上で自分がどのように行動すべきかを考える事がグローバル社会を生きる上で重要だと思う。

只々アメリカ人の発音に少しでも近づけるべく貴重な時間を費やさせるような今の英語教育政策は止めて、本当のグローバル教育をして欲しい。

2019年5月30日木曜日

人口減少社会 × 働き方改革 日経記事

日経新聞に火曜日から連載されている2つの記事がある。

一つは経済教室の人口減少社会への対応に対する提言であり、もう一つは働き方改革で残業時間を減らす取り組みをしている味の素を取材した記事だ。

この両方とも日本が抱える大きな社会問題だが、同時期に記事にしたのは日経新聞が意図的に両者の相互作用を狙ったものだと感じた。

味の素の改革

定時の就業時間は4時半。時短が成功したのは様々な試みの成果ではあるが、要は「長時間働くのは会社への忠誠の証」という価値観から「長時間働くのは悪」という価値観への転換をトップダウンで実施した事だろう。

時短するのを仕事と捉えれば、時短は忠誠の証であり、時短の為に奮闘して結果を出せたのも当然だろう。

ベーシックインカムの世界

時短しても大丈夫となれば、それをもっと推し進めれば働かなくても良い社会が出現する。今でさえも、人類が生きる上で無くてはならない仕事に従事している人はほんの一部に過ぎない。事務仕事も今後はAIが全部やってくれる。

その帰結として、ベーシックインカムという「最低限の生活を送るのに必要なお金を国民全員に給付する」制度が考えられている。生活費の為でなく働きたい人達だけが働けば良い社会だ。そうすると、自分は何のために生きているのかを各自が真剣に考える事になる。

私は定年を迎える歳より15年も早くに投資でベーシックインカムを得られる立場となって、その事に直面した。その時から慌てて自分は何の為に生きるのか考える事になった。

教育改革の必要

だから、今後の教育は労働者を作る為ではなく、自分とは何かを考える為の教育であって欲しいと思うのだ。

2018年2月18日日曜日

哲学の違い

昨日の日経夕刊のスポーツ2面に、「平岡と平野 哲学の違い」 というタイトルの記事が載っていた。スノーボード男子ハーフパイプの2人の選手の事である。

連続4回転という究極の技で銀メダリストになった平野の滑りを評して、平岡は 「いくとこまでいっちゃってる。歩夢はすごいと思うけど、俺の目指すスノボはそこにない。」 と言った、とその記事は書いている。体を回転させ、着地するだけなら平岡もできる。しかし「やりたくない。命もかかっているんだから。」

スノボは「遊戯の精神」に満ちた遊びだったはずなのに、勝つためには「命をかけた」危険な技が必要な競技になってしまった世の中の流れに 平岡は背を向けたのだ。(実際、この競技で優勝したショーン選手も2位の平野選手も過去 大怪我をしている。)

オリンピックは見世物か

IOCは競技に優先して儲けの為に日程を組み、選手は民衆を歓喜させる為に命を削る。これでは、まるで現代の剣闘士である。

素晴らしい技は民衆を感動させるけど、4回転の成功で民衆の生活が変わる訳では無い。地味だが、確実に世の中を変え役に立つ活動の方が凄いと思う。

羽生結弦の連覇に喝采している妻の横で、「世界最高峰の文房具」だとほくそ笑みながら「こぶりローマ字変換」の新しいアイデアを試す為にパソコンに向かっている私がいる。

2018年1月8日月曜日

NEXTユニコーン

今朝の日経記事で、新興・中小企業面にあるNEXTユニコーンというコラムにクラウド会計ソフトの会社 freee (フリー株式会社) が紹介されていた。

日経のヨイショ記事

自分が こぶり会計帳簿 というクラウド会計ソフトを開発して無料で公開しているので、クラウド会計ソフトについてはライバル製品について色々と情報を集めている。それに付随して、freee という会社の事もネットから色々と情報が入ってくる。

そういう目で記事を読むと、「これは freee から金を貰って日経が記事を書いたのでは?」 と思える程に悪い情報が一切書いて無い。広告なら仕方がないが、記事ともなれば公平な立場で書かないと、投資家を騙す事にもつながってしまう。

今回の記事は、たまたま私がある程度知っている会社の話だったから記事が極端に偏って書かれている事が分かったけど、恐らく他の記事も似たり寄ったりだろう。日経の記事は眉に唾を付けて読むようにしよう。

財務上の懸念

では、悪い情報とは何か。この会社は毎年大幅な赤字を出していて増資しないと生きてはいられないのである。

赤字に関しては投資先行のスタートアップ企業に於いては珍しい事ではないけれど、減資を毎年繰り返して資本金を1億円に抑えている点が異常だ。(ネットで調べた情報だけど、freee自身が出している情報なので間違いないだろう。)

確かに、資本金が1億円を超えると税務上は大企業の扱いを受けるので不利であるから、資本金を1億円に留めたいのは分かる。

しかし、増資をすると、会社法により払込額の1/2以上を資本金に計上(残りの額は資本準備金)しなければならないから1億円を超えてしまう。

だからと言って、減資をすれば先に投資した投資家がバカを見る。そうさせない為には増資額を現株主に割り当てるしかないのだが、果たしてどうなっているのか?

サービスの競争力

かのアマゾンもスタートアップから毎年巨額の赤字だった。しかし、売上の伸びや競争相手がいなかった事から投資家も未来を信じる事が出来たのだろう。

しかし、翻って freee の状況を見るとどうなのか? 資本金は5億円を超えず、また非公開会社なので損益計算書の公告義務が無いためか、売上は非公表。しかし、ネットで拾った情報によると売上額は赤字額にも満たないらしい。

提供しているサービスは唯一無比と言う訳でも無いし、特許で守られている訳でも無い。(同業のマネーフォワードを特許侵害で訴えたが敗訴した。) 更に、会計ソフトの老舗もクラウド会計に進出してきた。

これもネットで拾った情報だが、公表されているユーザー数の大半が無料お試しの会員である。会計を知らなくても扱えるというのが売りだが、会計を知らないのでは申告では税理士の助けが必要だ。

一方、会計を知っている人には freee のサービスはまどろっこしいらしく、他社の方が使い勝手が良いらしい。つまり、会計を知らなくても良いというコンセプトは筋が悪いのである。

単なる会計ソフトならまだしも、クラウドサービスがもし突然停止となればユーザーの被害は甚大である。そういう事態だけは絶対に避けて欲しいと願うだけである。

2017年12月11日月曜日

日経の「遊遊漢字学」

ぺらぺらの日経新聞日曜版の中にもお気に入りの記事はあった。その連載は日曜版がぺらぺらになった時から始まった、と記憶する。

まあ、褒める相手は日経ではなくて書き手の阿辻哲次さんなのだが、毎回楽しくてためになる話が載っている。昨日は、「師」という漢字が古くは兵士2,500人の集団を意味していたという話が載っていた。それが「近衛師団」などの言葉に繋がっていたのだ。

電子辞書の漢字源

しかし、この連載がなくても我が家の電子辞書に入っている漢字源で調べれば、その漢字の事をかなり詳しく調べることが出来る。「師」の意味の一つに、
{名}いくさ。集団をなした軍隊。周代には2,500人を一師といった。
との説明がある。 それに、<解字>という解説で字の成り立ちを詳しく説明してくれるし、漢字コードや中国の発音や<名付け>で人名として許される範囲も分かる。

私はキラキラネームかどうかは漢字源の<名付け>に載っているかどうかで判断している。

漢字教育と旧字体

そう言えば、私は昔から丸暗記は苦手だが、理屈で納得した時は良く覚えている。漢字源の<解字>だと複雑な漢字も単純な漢字の組み合わせに過ぎないと納得出来て直ぐに覚えられそうだと感じる。

学校教育でも漢字の成り立ちを詳しく教えてくれれば楽しく漢字を覚えられたはずである。しかし、その為には成り立ちを無視して字体を勝手に変えてしまった字ではなく、本当の漢字で教育するべきだ。

学校で教えている新字体とは、漢字を撲滅させる意図をもった役人が戦後推し進めた政策の下に作られた字で学術的な考慮も何もない嘘字である。

中国でも、手書きの負担を減らす為に簡体字という字が出来たが、日本の嘘字にはそういう観点も欠けているらしい。
例えば、「歩」という字は正しくは「步」であると中国語を勉強していて知った。きっと、「止」と「少」という部品の組み合わせの方がバカな国民には覚え易いだろうというバカな考えからだろう。わざわざ画数を増やした嘘字を国民に教えているのである。しかし、「捗」という漢字の事までは役人の頭が回らなかったらしい。
一見複雑でも、その成り立ちの意味を考えるなら崩す訳には行かない。しかし、手書きの機会が殆ど無くなった現在、嘘字を教えるのではなく、正しい漢字を復活させるべきではないかと思う。日本語変換の手間は嘘字でも正しい漢字でも全く変わらないのだから。

旧字体と呼ばれてはいるが、香港と台湾では今でも正しい漢字(繁体字)を教えている。漢字国がバラバラに独自の字を使うよりも、正しい漢字に統一する方が利便性もあるだろう。

2017年10月26日木曜日

総選挙と株主総会

総選挙は自民党の圧勝で終わったが、どの政党が勝っても、増税支持の私にとっては何の意味もない選挙だった。

自民党とは、アメリカの腰巾着を信条とする政党だと私は解釈している。安倍政権は憲法の変更が最大の目的だろう。それは、勿論アメリカの意向のはずである。

平和憲法は、日本の再軍備を恐れてアメリカが作るように仕掛けた(と私は思う)のだが、日本の防衛もそろそろアメリカの重荷になってきたのだろう。そして、安倍政権が日本の財政再建に積極的でないのは、アメリカが日本の財政についてどうでも良いと思っているからに違いない。

税金の集め方と使い方を決めるのが政治

結局の所、政治とは税金の集め方と使い方を決める事である。それは主権者である国民の意思により決められる。

しかし、その国民が馬鹿だと何も考えずに代理たる政治家を人気で選んだりして、結局は金持ちが有利な政策に従う事になる。

消費額に応じて定率で税金を集め、国民一人あたり定額で還元すれば低所得者ほど得をするはずなのに、増税に賛成しないのは何も考えてない証拠である。

そういえば、最近の日経新聞は財政再建に関してまともな事を書いていて好感が持てる。「大機小機」というコラムにその事は何回も言及があったし、普段は下らない事ばかり書いている「春秋」にまで、増税に賛成の有権者は投票先が無くて困っただろう、とか書いてあって(10月24日に掲載)ビックリした。

総選挙と株主総会

話は変わるが、株とは、配当を貰う権利である。しかし、配当を支払うかどうかは会社が決める事で約束ではない。(債券なら利子の支払いが約束されている。)

だから、権利を持っていても配当を会社が払わなければ何の価値も持たない。そんないい加減な権利にお金を出しても果たして大丈夫なのか、と思うかもしれない。しかし、株には配当以外にも株主総会で投票する権利もあるのだ。

株主は経営者を選び、利益をどう処分するか決める権利を与えられている。これこそが会社に配当を支払わせる保証になっている。だからこそ、安心して株式投資が出来るのだ。

そんな事を考えていると、総選挙と株主総会は似てるなと思う。株主も馬鹿だと変な経営者を選んでしまって、東芝のようにあっという間に会社が傾く事態になるし、経営者に甘い汁を吸われたりもする。

国力は国民の考える力

株主の話を国民の話に当てはめると、それは、国民全体の考える力を付ける事が国力を増す事に繋がるはずで、このブログもその助けになるようにする。

2017年3月5日日曜日

日経日曜版が夕刊並みの薄さに

日経新聞は今月から土曜日と日曜日の紙面を全面的に変更する。

昨日は土曜日版の プラス1 という紙面が新しくなった。気に入っていた 算数オリンピックに挑戦 のコーナーは無くなったような気がしたり、その他の読む価値のありそうな記事も減っているとは感じたけど、それ程たいした事ではない。

そして、今朝、日曜版を見て驚いた。真ん中に挟んでいる NIKKEI The STYLE という紙面を除くと たった16ページ。夕刊と同じ。因みに、先週の日曜版は36ページあった。

その真ん中に挟んでいる紙面は 紙の質から別物で、内容も広告が殆どで読む価値はそれほど無い。

残りの部分からは お気に入りだった 日曜に考える(先週は7ページあった) や 読書(先週は5ページあった)のページが消えていて、まるで夕刊を読んでいるように感じた。「日曜に考える」や「読書」は 私にとって 日経新聞の中で最も読む価値のある記事だった。

ついでに言うと、妻は「詩歌・教養」のページを楽しみにしていたが、それも消えた。
後日談: 日経のWebに 日曜に考える の復活をお願いした書き込みをした。すると、担当部署に伝えます、尚、読書欄は無くなったのではなく、土曜日に移りました との返事があった。確かにあるけど、3ページに減っていた。詩歌・教養 のページも土曜日に移っていた。こっちは1ページと変わらず。
だから、今回の変更で 私には日経新聞を取り続ける価値は大いに減ったと言えよう。日経新聞にWebから文句を言って、それでも変わらないようだったら取るのを止めるかも知れない。

2017年2月20日月曜日

日経記事はわざと隠しているのか

今朝の日経新聞の記事「新興人図鑑」には、在日外国人女性が調理人として働ける店を神戸で開いた若い女性が取り上げられた。

元々、その女性は大学生の時に外国人女性支援のボランティアでエスニック料理のカフェを週に一度開いていたというが、大学卒業時に常設店にすることを夢見ていた。しかし、父親に「ボランティアを商売にしたらダメだ」と一喝され、修行を決意。リクルートで3年契約で働き、飲食店予約サイト「ホットペッパー」の営業を担当して飲食店経営のイロハを吸収したという。そして退社後にリクルートで学んだノウハウを詰め込んで開店。

大したものだ、と感心して、そのお店の名前「神戸アジアン食堂バルSALA」で検索してみると 神戸新聞NEXTのサイトがヒットした。昨年11月4日の記事だ。内容は似ているものの、こちらは 父とともに開業 とあるぞ。父娘二人三脚の挑戦が続く とも。更に 父は オーナーとして経営に関わる と書いてある。そして、長年 事業の立て直しなどに携わってきたビジネスのプロ と紹介されているから、この父の協力が開店には絶大な力になったと推察出来る。

あれえ、日経には開業時に父親も関与したとは一言も書いてなかったぞ。神戸新聞では 父と娘のほのぼのとした話だったのに、日経ではそこはわざと隠して 颯爽とした女性の話に纏めたとしか思えないな。

マスメディアの情報は、無名の人(俺もか)が発信したネット上の情報よりは信頼出来るとは言え、こういった過度の脚色は有り得るという発見だった。

2017年1月29日日曜日

カルロス・ゴーン氏の子育て

今月の日経新聞 「私の履歴書」 はルノーと日産の社長 カルロス・ゴーン氏が執筆している。こぶり主義が発見した 日経私の履歴書の法則によれば、文化人や創業者で無ければ仕事の話ばっかりになる、の例に漏れず、今迄ずっと仕事の話ばかりだったが、いよいよ終盤の今日になって子育ての話が出てきた。

多くの仕事人間が「子育ては妻に任せっぱなしでした」などと書いていたのとは異なり、ゴーン氏は、4人の子供達を立派に育てたようだ。
父親として、子供には自立心をどう芽生えさせるかを常に考え、接してきた。1つは経済的な自立だ。… 2つめは知的に自立すること、つまり自分で考え、学ぼうとする意欲を持つことだ。そして、3つめが精神的に自立すること。これが究極の自立かもしれない。子供たちには、無償の愛を与えるだけでなく、自身のアイデンティティーを保ち、物事を判断できるようになってほしいと思っている。
これを読んで、正に私の思っているのと同じだと思った。子供の教育とは単に学校の成績を良くして良い学校に入れるのが目的ではない。子供に良き人生を送ってもらうのが目的である。その為には … ここからは色んな意見があろうが、私は 親の引いたレールの上を走らせるのでは無く、自分の人生を自分で舵取り出来るようにするのが大切だと思っている。

それを実現するには学校や塾に教育を丸投げしていては駄目で、親が自分の思うところをまず実践し、そしてその価値観を子供たちに伝えるように努力するべきなのだ。このブログも人生の舵取りに役立つ知識を自分の子供たち(とその他の人々)に伝える積りで書いている。

ここまで書いて、精神的に自立している大人が今の日本にどれだけいるのか、と心配になる。親からの独立を果たしたとしても、会社に依存し、妻に(夫に)依存し、そういう大人を量産するのが今の学校教育システムのような気がする。

2017年1月8日日曜日

日経新聞は悪文の宝庫

日経新聞を読んでいると、時々引っかかる表現に出くわす。今日はテニスの錦織選手がブリスベン国際大会で決勝進出を決めた記事の中の一文。
決勝で第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを迎え撃つ。
これは、文法的には ディミトロフは決勝で第1シードのラオニッチを破った としか解釈出来ないが、決勝はこれからだから、事実はそうでは無いはずである。つまり、言いたかったのは、
  • 決勝でディミトロフを迎え撃つ。
  • ディミトロフは第1シードのラオニッチを破った。
という事だと読者が余分に考えなければ分からない。こういうのは悪文というよりも間違いの文である。では、正しい文に直していこう。やり方は幾つもある。句点を入れる、助詞を入れる、語順を変える、括弧書きにする。
  • 決勝で、第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを迎え撃つ。
  • 決勝では第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを迎え撃つ。
  • 第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを決勝で迎え撃つ。
  • 決勝で(第1シードのラオニッチを破った)ディミトロフを迎え撃つ。

正確な文章を書かせる教育

日経新聞の記者達には、朝日新聞の記者だった 本多勝一氏 の書いた 「日本語の作文技術」 を読んで実践して貰いたい。

文の要素がどう結びつくのかは四則演算の法則の如く優先順位がある。読者はその規則に従って文を解釈する。日経新聞には、こんな基本的な事を知らない記者と校正係がいるらしい。お陰で、日経新聞を読む楽しみが増えるのである。

ところで、「日本語の作文技術」は良い本だと思うが、そもそも国語の教育で文の要素の結びつき方についての文法的な説明をしていれば、わざわざ特定の本を推薦する必要も無かった。

英語の早期教育に熱を上げるよりも、国語の教育で役に立つ日本語の文法規則を教え、正確な文章を書かせるようにして欲しい。

文法は情報工学の分野

正しい文に直す方法では 語順を変えるやり方が最も優れていると思う。書いてある順番通りに意味解釈をする事が出来るからだ。その他の方法では、「決勝で」という情報を一旦横に置いて後で利用する事を句点や助詞や括弧で示すから、意味解釈に余分な負担を強いる。

その一旦横に置くという行為は、コンピュータに詳しければ、「ああスタックに積むのと一緒だな」と理解できる。

そう言えば、妻は問題の文は主語が書かれていないから不正確と言っていたが、この文より前に錦織選手に関する話題である事が示されているからそれで事足りる。

西欧語の主語とは異なり、日本語には文中に主語は必須では無いのだ。必要なのは、文章の話題を示す言葉 主題語であり、しかも一度示されれば、その後別の主題語に入れ替えるまで有効なので 後の文中で毎回示す必要はない。

この主題語に用いられる助詞「は」について、「象は鼻が長い」で有名な文法学者 三上章 は 「は」は文を越える と表現しているけど、これもコンピュータで言えば グローバル変数だなと理解できる。

つまり、文法も情報を司る規則であり、コンピュータと同じく情報工学で扱える分野の一つと言えるのである。私は情報工学の観点から日本語の文法を分析して見たいと思っている。

2016年12月17日土曜日

メディア・リテラシー

今日の日経新聞の土曜日版 プラス1 にまとめサイト なぜ公開中止? という記事があった。

その中でメディア・リテラシーについての説明があり、
たくさんある情報の中から自分にとって必要なものを選び出し、それが正しいかどうかを見極める能力のこと。
という説明があった。そして、その為には、「日ごろから情報をうのみにしないように、色々な角度から物事を見るクセをつけることが大事」 なのだと。

鵜呑みという言葉でなるほど、と思った。情報というものは食べ物に例えられるではないか。咀嚼し、よく分解して吸収する必要があるし、それに偏食も宜しくない。

ネット上の情報よりも放送や新聞などのメディアの方が情報の信頼性は高いけど、それだって何時も正しいとは限らない。それに書いてある事が正しくても、書き手にとって都合の悪い事実は隠蔽されている。先の米国大統領選だってトランプ氏有利の情報は抜け落ちていた。

私は英国の国民投票でEU脱退になった件からトランプ大統領の可能性はマスコミが言う程低くはないと思っていた。少なくとも、トランプ氏が共和党の大統領候補になったという事実があるのに、それでもなお泡沫候補扱いしているのは可怪しいのである。

この情報という食べ物の質を良くして、良い食べ方をして、消化吸収能力を高める事と言うのが「教養」というものの本質の半分だろう。残りの半分は情報の発信能力に関する。

そして、この両者の能力はお互いに高め合う事が出来るはずだ。情報には書き手の意思が込められている。自身が書き手でもあれば、情報に込められた意思を汲み取る事(或いは排除する事)もより易くなるものと思う。

2016年10月26日水曜日

日経の悪文から文法を考える

日経新聞の今朝の「朴大統領、友人に内部文書」という記事の文章について。

記事を読んでいると次の文章に違和感を覚えた。
疑惑は韓国のテレビ局JTBCが伝えた。海外にいる崔氏がパソコンの処分を依頼した関係者からパソコンを入手し、データを分析した結果、2014年3月にドイツで北朝鮮政策のロードマップを示した演説の草稿など文書44件を発表前に受けとっていたと報じた。
この後ろの文だけを素直に読めば、「パソコンを入手」と「データを分析」と「報じた」 主格は「崔氏」である。但し、「パソコンの処分を依頼」したのが誰かについては疑問が残る。「崔氏」とも考えられるが、内容から考えて自分が処分を依頼したものをわざわざ入手するはずもないから、この文では明示されてないが別の人物であろう、と推測出来る。

しかし、2つの文の内容から考えて、後ろの文は、主格は明示していないが「テレビ局JTBC」であるべき文といえる。つまり、次のように括弧書きして「崔氏が」という節を文全体に掛からないようにすると記者の意図どおりに解釈出来る。
改善例その1: (海外にいる崔氏がパソコンの処分を依頼した)関係者からパソコンを入手し、データを分析した結果、2014年3月にドイツで北朝鮮政策のロードマップを示した演説の草稿など文書44件を発表前に受けとっていたと報じた。
又、主格を明示する事でも解決する。
改善例その2: JTBCは、海外にいる崔氏がパソコンの処分を依頼した関係者からパソコンを入手し、データを分析した結果、2014年3月にドイツで北朝鮮政策のロードマップを示した演説の草稿など文書44件を発表前に受けとっていたと報じた。
文から主格に読める部分を無くしてもOK。
改善例その3: 海外にいる崔氏にパソコンの処分を依頼された関係者からパソコンを入手し、データを分析した結果、2014年3月にドイツで北朝鮮政策のロードマップを示した演説の草稿など文書44件を発表前に受けとっていたと報じた。
以上の改善例から考えて、日本語の文法には、
日本語では、文脈で分かれば 主格はなくても文として成立する。しかし、主格の無い文を書いた積りでも、主格が置かれる位置に「~が」を置くと主格と判断される。
という性質があるものと考える。括弧書きを使えば正しく解釈出来るのは、括弧書きの中身はもはや文の構成要素ではなく、関係者という言葉を修飾するだけの存在であると示せたからである。即ち、括弧内に ~が という分節があっても決して文全体の主格とは判断されない。

話し言葉では括弧を視覚的には表示出来ないが、口調を変える事で同様の効果が見込める。複雑な文章は、括弧書きをもっと活用して分かり易く書くべきだろう。

2016年8月16日火曜日

私の履歴書 大村博士の巻

今月の日経新聞の私の履歴書は、何億人もの人達を眼病による失明の危機から救うことになった薬の開発に貢献してノーベル賞をもらった 大村智博士 が書いている。

夜間高校の先生から如何にして研究者の道に進まれたのか、についても興味があったので普段よりも一層丹念に読ませて貰っている。

今日の話題は、米国留学中の博士が3年の予定を繰り上げて2年で帰国して北里研究所の教授に就任する事になり、帰国する前に米国の企業を回って、共同研究の契約を纏めた話である。
契約は弁護士やコンサルタントに任せるのではなく、私がメルクのボイド・ウッドラフさんらと一生懸命に内容を詰めた。…辞書と首っ引きでまとめあげたこの契約方式を、米国人は「オオムラ・メソッド」と名付けた。
恐らく、(ノーベル賞を貰えなかった)数多くのエリート大学出身の研究者との大きな差はここにあったのでは無かろうか。 大事な事は人任せにしない、目先の事だけでなく、将来的、そして世界的な視野に立って物事を進めていく事が大切だと思った。

企業経営者の書いた私の履歴書は仕事一辺倒で(6月は松岡修造氏の父が書いていたけど、その息子の話は最終回に少し登場しただけ)面白味に欠けるけど、大村博士の話には家族や趣味の話もちょくちょく登場して面白い。一昨日には、
古美術商に立ち寄ると「日本人か」と聞かれ、そうだと答えると日本画に書いてある文字を読んでくれと頼まれた。3、4回通って全部ローマ字に直すと、「好きな物を持っていっていい」という。本物とわかる喜多川歌麿の作品があったので、偉いこっちゃと思いながらも頂いた。
 とある。これからの話も楽しみだ。

2016年5月28日土曜日

オバマ米国大統領の演説を味わう

本日の日経新聞朝刊にはオバマ米国大統領の広島での演説の全文が英語で載っていた(勿論、日本語訳も)。

就任当初に世界中に感銘を与え、そしてノーベル平和賞の受賞に繋がった、あの核廃絶の演説。しかし昨日の広島での演説は、2期の大統領の職務を務めて核兵器の削減が思い通りにならない中での彼の切実な思いが含まれ、より深みのある演説になったと感じた。

その演説は内容のみならず、格調の高い英文として味わい、英語学習の教材として利用できるものと思う。

そして、戦争のみならず、無限の経済成長という滑稽な目標を止めて地球環境を改善していく事にもこの危機感を持って欲しいと願う。

2016年4月22日金曜日

日経は対数グラフを知らず

今朝の日経新聞の31ページに「でーたクリップ」というコラムがあって、「半導体素子、微細化に陰り」 というタイトルで記事が書かれてあり、そこに半導体回路の微細化というグラフが載っている。


その説明によると、2003年から2009年までは順調に回路の線幅が微細化されたのにその後は今迄のペースでは進まなくなっている、との事だった。

あれっ、そんなに変わってないんじゃないかな? 確かに通常のグラフでは減少の傾きが2009年から鈍っているけど、そんなの当たり前である。そのままの傾きで行けば今頃マイナスの線幅になってる。2年毎に 1/√2 の線幅 (面積では1/2に相当) になる傾向を見るなら片対数グラフを使うのは理系の常識である。片対数グラフなら一定の割合の変化は直線のグラフになるから。

それで、新聞記事のグラフに定規を当てて数値化してグラフにしてみた。量産開始時期は2003年、05年、07年、09年の先はグリッドに乗ってないので、10.8年、13.2年、15.8年とした。回路線幅はそれぞれ 90nm、65nm、45nm、31nm、22nm、13nm、10nmとした。


これを片対数グラフで表示するとほぼ直線になるから、微細化のペースは別に鈍っていない事が分かる。

新聞記事のグラフの出典は日経エレクトロニクス2015年4月号となっている。ネットで検索して見ると、その記事にはご丁寧にも通常のグラフに傾きが変化した2つの点線が書き込まれていて如何にも2009年を境に減少率が鈍化したように描かれており、読者を誤解させると批判しているサイトが複数あった。

以前、「グラフの原点の価値が分からん日経新聞」というタイトルで投稿したことがあるけど、グラフは適切に使って欲しい。特に、対前年比の増減の割合が絶対数値よりも重要な数量は片対数グラフを使うべきである。百年前からの株価の変化のグラフとかが日経新聞にはしばしば載ってるけど、普通のグラフではずっと0付近にあってから近年になって急に上昇しているように見える。しかし、片対数グラフを使えば百年前から概ね一定の割合で上昇しているのが明らかである。

それから、両対数グラフというのもあって、例えば冷蔵庫の件で取り上げた表面積が長さの2乗に比例して容積が長さの3乗に比例する関係のような場合にもグラフ上で直線になるし、或いは極微小の領域から巨大な領域までの関係を見通せたりして便利だ。

2016年3月7日月曜日

愚民で民主主義が危機

米国大統領の予備選挙の事が世界中で話題になっている。

その気になれば世界中に向けて核ミサイルの発射を命じる事も出来る、その米国大統領に異常な人間が当選することになれば大変な事になる。以前、そんな事が起きないように予備選挙という長丁場の候補者選びがあって、不適切な人物は排除されるから大丈夫だと聞いた記憶があるが、どうも違うようだ。

日曜日の日経新聞でも、問題のトランプ氏の主張する減税の財源が全く的外れだとか、英フィナンシャル・タイムズのコラムからの記事でこの人物の危険性に関する話とかを取り上げている。

そんな人物が何故予備選挙で勝っているのか、と言えば、勿論、その人物に投票した大勢の民衆がいたから。それを多数決で決めたから。

民主主義と言うのは王様とかでなく、民衆の意思による政策を行う主義の事だが、王様の時のように一人の考えでは無いから民衆の意思が一致しない場合に困る。議論を尽くして全員の意思が一致すれば良いのだが、そうも行かない場合には多数決によって意思を決定する、という方法がある。

これは確率論的には、もし個人が5割よりも多少良い確率で正しい判断を下せるものとすれば、多数決により民衆の意思はほぼ100%の確率で正しい事になる。但し、これは個人が自分の頭で考えて決めた場合である。

もし、特定の人物の発言を鵜呑みにする人間が民衆の多数を占めていたとすれば、多数決の結果は正しいとは限らない。

だから、自分で考え自分で判断する人間に育てるのが教育の目的だったら、多数決による民主主義はうまく機能するだろう。しかし、命令には逆らわず、忠実にそれを実行出来る能力を獲得するのが教育の目的だったら、良識が抹殺される恐怖の世界が待っている。

2016年1月29日金曜日

2社のリコール社告の違い

今朝の日経新聞にはパナソニックと東芝のリコール社告が仲良く上下に並んで掲載されていた。どちらもノートパソコンのバッテリーパックの交換・回収に関しての情報だが、似ているようでこの2社の社告は大きく違っていて面白いと思ったのでブログに取り上げる事にした。

その挨拶文が東芝は上から目線なのに対してパナソニックはパソコンの使用者の目線で書かれているのだ。

まず、東芝の文面はパナソニックの文面よりも長く、小さい字で書かれていて読みにくい。同じ内容の一文を取り出すと、こんなに違う。

パナソニック
対象バッテリーパックにつきましては、事故防止のため無料で交換・回収させていただきます。
東芝
当社は、当該ロットのバッテリーパックの交換・回収プログラムを実施いたします。
東芝のいう交換・回収プログラムとは一体何か、その詳細は社告を隈無く見たが書いて無かった。これが無料なのかも不明だった。そして、この挨拶文は日本語として不完全である。パソコンの使用者に対して対象であるか確認しろとの依頼こそあるが、それっきりである。

尤も、対象であるか確認するためにはネット上でフォームに部品番号とシリアル番号を記入する必要があるから、そのフォームに対象である場合にパソコンの使用者に対してどうして欲しいのかが書かれているはずだ、とは推測するが。

そして、パナソニックの挨拶文にはしっかり書いてあるお詫びの言葉は東芝の挨拶文にはないが、余計な事は書いてある。
…当社製ノートパソコンに搭載されたバッテリーパック【パナソニック株式会社にて製造】の一部ロットにおいて不具合があり…
一方、パナソニックの方はリコール社告の情報だけでバッテリーパックが対象品であるかどうかが確認でき、対象の場合はバッテリーパックを取り外し連絡して欲しい旨がきちんと書かれている。

どちらの社告がパソコンの使用者にとって親切で好感が持てるのかは明らかだ。

2016年1月27日水曜日

日経、軽減税率を考える、2つの説

昨日と今日の日経新聞の経済教室の欄には軽減税率に関する二人の学者の説が載っていた。昨日は軽減税率に賛成の人の説で今日は反対の人の説である。

私は線引の難しさ故に、元から軽減税率の導入には反対だったけど、今日のその説は強烈だった。
国際社会では、軽減税率は消費行動をゆがめ、金持ちを優遇すると知られてから30年以上たつ。何が問題で何を選択するか理解して初めて民意は正しい判断ができる。政治はその役割を果たしたのか。
日経もその役割を果たしたのだろうか。遅いよ。今頃になってこんな大事な説を載せるなんて。更に、こんな事まで書いてある。
最初に付加価値税を導入した西欧諸国は、他国には軽減税率を使わないよう助言している。にもかかわらず新たに導入するのは、先進諸国としては日本が初めてである。
この軽減税率に反対の説の理由は大きく2つある。所得が上がるほど減税額が増える、という点と複数の税率で業者の納税コストと税務当局の徴税コストが多大で経済に悪影響を与える、という点である。そして、低所得者に対する消費税負担軽減の手段としては軽減税率よりも給付の方が優れている事、そして、軽減税率を導入しなかったニュージーランドが西欧諸国に比べて財政が健全である事などが紹介されている。

昨日の論者は軽減税率は成る程所得が上がるほど減税額が増えるのは認めるが、その率に着目すると低所得者の減税の率の方が大きいと主張する。所得税を払えない低所得層に現金を給付する「給付付き税額控除」という方法の価値も認めているが、現状は所得把握がきちんと出来ていないから難しいと判断しているようだ。更に徴税に関しては欧州で導入している国が多くあるのだから日本でもやれるはずだ、という態度だ。

どちらの学者も使っている素材は同じだが、どの素材を使うのか、その素材のどの面を活用するのか、それに味付けをどうするのか、で結論が異なるのだ。

同じ素材からは論理的に結論を導けば同じ結論が得られるはずと思っていたので意外だった。それとも初めから目指すゴールが異なるから、その結論に合うように素材を選び味付けを変えたというのが真実か。

単に結論を鵜呑みにせず、多様な意見を聞き、その論説の素材の妥当性、論説から外した素材は何か、どう論理を組み立てているのか、それぞれ自分の頭で考えて自分なりの意見を持つ事が如何に大切か改めて感じた。

2016年1月23日土曜日

算数オリンピックの問題に数学

日経の土曜日の朝刊にはプラス1という土曜日版が付く。そこに最近、「算数オリンピックに挑戦」 というコーナーが載っている。

毎回、ちょっとしたパズルの積りで解いて見るが、暗算で解ける時もあれば、紙に図を書いて方程式を解いて、などと大掛かりに解く時もある。今日も大掛かりな方で三平方の定理やら三角形の相似などの知識を駆使して解いたのだった。

こんな問題が果たして算数の範囲で解けるのか疑問だが、数学を使っても解ければ取り敢えず私は満足する。算数の知識だけで解かねば等とは考えない。数学の知識は、それ無しで考えると難し過ぎて凡人にはとうてい解けない問題も容易に解けるようにする技術なのだ。そして、数学の知識が自分に根付いている事に感謝する。

少なくとも高校数学迄の範囲には人生のあらゆる場面で役に立つ貴重な知識が凝縮されていると思っている。そして、その知識だけでなく、物事を抽象化して論理的に考えるやり方の訓練でもある。

それを学べば、科学や数字の説明も自分で理解出来るはずだ、という自信を持って生きる事が出来る。数式が出た途端に思考が停止するようでは似非科学や怪しい投資話に騙されるだけなのだ。

話は逸れるけど、群論。高校数学では習わなかった中で、一番気になる理論。方程式の解法の研究の歴史から始まって、アーベルの5次方程式の一般解は不可能の証明、それをガロアが群論の考え方で鮮やかに証明。

私は群論の入門書をこれまで何冊も読もうとしたが、4次方程式の解法を理解し、それぞれの数学者の人生のドラマを興味深く読んだ所から先になかなか進まない。今年は何とかこれを理解したいと思っている。