日経の土曜日の朝刊にはプラス1という土曜日版が付く。そこに最近、「算数オリンピックに挑戦」 というコーナーが載っている。
毎回、ちょっとしたパズルの積りで解いて見るが、暗算で解ける時もあれば、紙に図を書いて方程式を解いて、などと大掛かりに解く時もある。今日も大掛かりな方で三平方の定理やら三角形の相似などの知識を駆使して解いたのだった。
こんな問題が果たして算数の範囲で解けるのか疑問だが、数学を使っても解ければ取り敢えず私は満足する。算数の知識だけで解かねば等とは考えない。数学の知識は、それ無しで考えると難し過ぎて凡人にはとうてい解けない問題も容易に解けるようにする技術なのだ。そして、数学の知識が自分に根付いている事に感謝する。
少なくとも高校数学迄の範囲には人生のあらゆる場面で役に立つ貴重な知識が凝縮されていると思っている。そして、その知識だけでなく、物事を抽象化して論理的に考えるやり方の訓練でもある。
それを学べば、科学や数字の説明も自分で理解出来るはずだ、という自信を持って生きる事が出来る。数式が出た途端に思考が停止するようでは似非科学や怪しい投資話に騙されるだけなのだ。
話は逸れるけど、群論。高校数学では習わなかった中で、一番気になる理論。方程式の解法の研究の歴史から始まって、アーベルの5次方程式の一般解は不可能の証明、それをガロアが群論の考え方で鮮やかに証明。
私は群論の入門書をこれまで何冊も読もうとしたが、4次方程式の解法を理解し、それぞれの数学者の人生のドラマを興味深く読んだ所から先になかなか進まない。今年は何とかこれを理解したいと思っている。