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2017年1月29日日曜日

カルロス・ゴーン氏の子育て

今月の日経新聞 「私の履歴書」 はルノーと日産の社長 カルロス・ゴーン氏が執筆している。こぶり主義が発見した 日経私の履歴書の法則によれば、文化人や創業者で無ければ仕事の話ばっかりになる、の例に漏れず、今迄ずっと仕事の話ばかりだったが、いよいよ終盤の今日になって子育ての話が出てきた。

多くの仕事人間が「子育ては妻に任せっぱなしでした」などと書いていたのとは異なり、ゴーン氏は、4人の子供達を立派に育てたようだ。
父親として、子供には自立心をどう芽生えさせるかを常に考え、接してきた。1つは経済的な自立だ。… 2つめは知的に自立すること、つまり自分で考え、学ぼうとする意欲を持つことだ。そして、3つめが精神的に自立すること。これが究極の自立かもしれない。子供たちには、無償の愛を与えるだけでなく、自身のアイデンティティーを保ち、物事を判断できるようになってほしいと思っている。
これを読んで、正に私の思っているのと同じだと思った。子供の教育とは単に学校の成績を良くして良い学校に入れるのが目的ではない。子供に良き人生を送ってもらうのが目的である。その為には … ここからは色んな意見があろうが、私は 親の引いたレールの上を走らせるのでは無く、自分の人生を自分で舵取り出来るようにするのが大切だと思っている。

それを実現するには学校や塾に教育を丸投げしていては駄目で、親が自分の思うところをまず実践し、そしてその価値観を子供たちに伝えるように努力するべきなのだ。このブログも人生の舵取りに役立つ知識を自分の子供たち(とその他の人々)に伝える積りで書いている。

ここまで書いて、精神的に自立している大人が今の日本にどれだけいるのか、と心配になる。親からの独立を果たしたとしても、会社に依存し、妻に(夫に)依存し、そういう大人を量産するのが今の学校教育システムのような気がする。

2017年1月16日月曜日

ボトムアップの社会貢献

何の為に生きているのか、についての考え方の続き。

多少なりとも社会に貢献出来れば、それで十分生きた価値があると考えたけど、何をもって社会に貢献したと言えるのかが問題となる。

例えば、今の日本では少子化対策が社会貢献になると一般的には思われているはずだけど、持続可能な地球環境を守ることこそ重要と私は思っているから、私にとっては人口を減らす方が社会貢献になると考える。このように何が社会貢献になるのかは人によって考えが異なる。

トップダウンの方法

政治家になって理想の社会を作ろうと思うのはトップダウンの社会貢献だ。同じくテロリズムも人民を人質にして自分達が考える理想の方向に社会を無理やり動かそうとする、いわばトップダウンの社会貢献と言える。そうすると、その人の考える社会貢献が本当に正しければ良いのだが、間違った方向に進んでいると社会に多大な迷惑を与えてしまう事になる。

ボトムアップの方法

個人個人が各自思うところの良き生き方を実践していくのがボトムアップの社会貢献だと思う。地球上にたった一人だけでも良し、それに賛同して実践してくれる他人がいれば尚良し、である。トップダウンの方法とは異なり、決して他人に強制することはないが、ネットを通して賛同者が増えればトップダウンの方法に劣らず大きな影響をもたらすかも知れない。

私は多くの人が精神的に豊かな生活を送り、それが後世まで持続していくような世の中になればいいなと思っている。精神的に豊かな生活とは自分の時間が十分持てる事であり、持続可能であるためには化石燃料を無駄遣いしない事だ。しかし、もし それを伝える為に世界中を飛び回るような生活をすれば、自分の生き方を否定する羽目になる。

だから、自分の理想とする生き方を単に続けるのが良いのだ。頭でっかちの理論だけの理想的な社会の提案より、実践で裏付けられた各個人の良き生き方の提案の方が他の人にとっても受け入れやすいはずだ。

2017年1月12日木曜日

働かない人の存在価値

こぶり主義のページに 現在の自分のプロフィールを追加して見た。今後、年始めに改定していく積もりだ。その自分のプロフィールを眺めていて、会社勤めに向かない人の生き方の一つを示せたな、と納得した。

ただ、働かない人間は どうやって生活費を得るのかが問題だ。会社勤めに違和感を覚えつつも正社員として働いて倹約と手堅い投資で資産を作ってリタイアというのが私の辿った道。意に反して会社勤めを一定期間続ける欠点はあるが、それでもリスク無しに定年を待たずに退職出来る、ある意味早期リタイアの王道だ。

しかし、そうして早期リタイアに成功しても直ちに幸せになれる訳ではない。会社勤めが当たり前のこの日本では無職と名乗るのは肩身が狭い。自家用法人を作って会社経営者を名乗ればそこは解決するが、今度は働いていない自分の存在意義について考えてしまうのだ。

蟻の社会では、2割の蟻は働かないそうだ。人間の社会でも比率は同じようなものだと思っている。全員が働いていれば一見効率は良さそうだが、そういう社会は変化にとても弱い。それに、一人が過労死すれば過労死がドミノのように続くかも知れない。だから普段は働いていない人間も必要なはずだ。
コラム: 肉体労働は機械によって、繰り返し作業はロボットによって、そして知的労働の分野さえもAIの発展によって、この現代社会は人間が働く必要はどんどん減っていく。ところが、人間は労働からどんどん開放されていくはずなのに、実際は定年がどんどん延ばされ高齢者でも働かざるを得ない社会になっている。それは(人々が生活する上で)必要とは言えない仕事が次々と生まれるからだろう。
結局、社会に害を与えるような仕事をしている人に比べれば 働いていない方がよっぽどマシだと考える事にした。それに、子育てに人より多くの時間を割いて良き社会人に育てられるからプラス。暇にあかして色んな事を考えたりやってみて社会に多様性を与えるから更にプラス。
コラム: 合法的な範囲でも 手っ取り早く儲けようとしている事業は 大抵社会に害を与えている印象がある。例えば、水害や地震での被害。被害に遭った建物の多くが (たとえ行政が許可を与えていたとしても)そもそも そんな場所に建てるべきではなかったか、その場所に相応しくない建て方をしていた。建てた業者に良識があれば被害は防げたものと思っている。最近では投資用物件の乱造。知識のない人を騙して売り抜けている。タワーマンションだってその大半は100年後には廃墟になるに決まっている。子孫に多大な迷惑を掛ける。同様に、パチンコ産業やタバコ産業も嫌いだ。例え経理の仕事だってそれらの仕事に関係していれば社会にとってマイナスの仕事だ。
ここまで考えて、ようやく早期リタイアで仕事をしなくなっても 胸を張って生きていける心構えが出来た。

2017年1月8日日曜日

日経新聞は悪文の宝庫

日経新聞を読んでいると、時々引っかかる表現に出くわす。今日はテニスの錦織選手がブリスベン国際大会で決勝進出を決めた記事の中の一文。
決勝で第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを迎え撃つ。
これは、文法的には ディミトロフは決勝で第1シードのラオニッチを破った としか解釈出来ないが、決勝はこれからだから、事実はそうでは無いはずである。つまり、言いたかったのは、
  • 決勝でディミトロフを迎え撃つ。
  • ディミトロフは第1シードのラオニッチを破った。
という事だと読者が余分に考えなければ分からない。こういうのは悪文というよりも間違いの文である。では、正しい文に直していこう。やり方は幾つもある。句点を入れる、助詞を入れる、語順を変える、括弧書きにする。
  • 決勝で、第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを迎え撃つ。
  • 決勝では第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを迎え撃つ。
  • 第1シードのラオニッチを破ったディミトロフを決勝で迎え撃つ。
  • 決勝で(第1シードのラオニッチを破った)ディミトロフを迎え撃つ。

正確な文章を書かせる教育

日経新聞の記者達には、朝日新聞の記者だった 本多勝一氏 の書いた 「日本語の作文技術」 を読んで実践して貰いたい。

文の要素がどう結びつくのかは四則演算の法則の如く優先順位がある。読者はその規則に従って文を解釈する。日経新聞には、こんな基本的な事を知らない記者と校正係がいるらしい。お陰で、日経新聞を読む楽しみが増えるのである。

ところで、「日本語の作文技術」は良い本だと思うが、そもそも国語の教育で文の要素の結びつき方についての文法的な説明をしていれば、わざわざ特定の本を推薦する必要も無かった。

英語の早期教育に熱を上げるよりも、国語の教育で役に立つ日本語の文法規則を教え、正確な文章を書かせるようにして欲しい。

文法は情報工学の分野

正しい文に直す方法では 語順を変えるやり方が最も優れていると思う。書いてある順番通りに意味解釈をする事が出来るからだ。その他の方法では、「決勝で」という情報を一旦横に置いて後で利用する事を句点や助詞や括弧で示すから、意味解釈に余分な負担を強いる。

その一旦横に置くという行為は、コンピュータに詳しければ、「ああスタックに積むのと一緒だな」と理解できる。

そう言えば、妻は問題の文は主語が書かれていないから不正確と言っていたが、この文より前に錦織選手に関する話題である事が示されているからそれで事足りる。

西欧語の主語とは異なり、日本語には文中に主語は必須では無いのだ。必要なのは、文章の話題を示す言葉 主題語であり、しかも一度示されれば、その後別の主題語に入れ替えるまで有効なので 後の文中で毎回示す必要はない。

この主題語に用いられる助詞「は」について、「象は鼻が長い」で有名な文法学者 三上章 は 「は」は文を越える と表現しているけど、これもコンピュータで言えば グローバル変数だなと理解できる。

つまり、文法も情報を司る規則であり、コンピュータと同じく情報工学で扱える分野の一つと言えるのである。私は情報工学の観点から日本語の文法を分析して見たいと思っている。

2017年1月5日木曜日

お金よりも時間

今年の抱負を家族に聞かれて、「お金を使う」と答えた。子供達もどうやら今年は就活するようで、来年からは教育費が掛からなくなりそうだから。

このブログを書き出した頃は、もうお金の心配は要らない状態になったとは言え、子供2人が自宅外の大学生や大学院生なので教育費の負担も大きいからお金が余っている感覚は無かった。この先必要となる生活費は減るはずだから資産を取り崩して行けば良いと頭では分かっていても、必要以上のお金を使うのは長年の習慣から難しい。

それでも、世界中で最も住みたい(暫定)場所に良質の家を借り、食材や外食のレベルを上げるように生活を変えた。それで、必要とする生活費を少しは増やせた。

そして不思議なことに、お金を使う事に関する意識も変化してきた。以前はお金は使うと減る、という感覚だった。つまり自分の懐具合しか考えて無かったけど、今は良き商品やサービスを提供してくれる業者や個人を応援する積りでお金を渡している。子供の為に使うお金が惜しく無いように、お気に入りの物事にお金を使うのも惜しく無くなったのだ。

何にお金を使うか

しかし、これからは それだけではお金を使い切れない。お金を稼ぐのも難しいけど、必要なお金以外のお金の使い方は案外難しいと思う。

勿論、高額の海外旅行でもすれば、お金は簡単に使える。だけど、それはお金を使うと言うよりもお金を使わされていると言うのが相応しい。巨大な豪華客船の写真を見る度に、その船室の窓の一つ一つが養鶏場の檻のように思える。その船室に押し込められ、業者が掠め取る金の卵を産まされている気がする。

どうすればお金を納得がいくように使えるのか。マネー本から お金の使い方のヒントを得ようと思ったが、儲ける話か節約の話ばっかりで何の参考にもならなかった。これだけ投資、投資とマスコミは宣伝しているけど、投資に成功してお金の使い方に関心が移った人は案外少ないに違いない。

更に、お金の使い方を考えていくと、そもそも自分は何の為に生きているのか、とか大事なのは何かとかに辿り着く。そうだ、大事なのはお金より時間だ。自分に残された時間は何を成さなくてもどんどん減っていく。そこがお金とは異なる。お金は時間を活かす為に使えば良いのだ。

そして、お金は 沢山残す必要も 使い切る必要も 無いと思うことにした。これこそ お金に振り回されない人生を送る秘訣だと思う。