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2015年1月31日土曜日

妻がパートを辞める日 労災と保険

昨日、妻が最後の勤務を終えた。そして今日をもってパート社員を辞する。在職1年と2ヶ月。

妻はA市の施設を委託管理している会社に雇われていた。勤務地は自宅のすぐ近くだし、好きな仕事のはずだった。経済的に苦しい訳ではなく、そこに自分の生きがいを求めて、お喋り出来る仲間を求めて。

確かに好きな仕事だった。良き仕事仲間がいた。でも、仕事はきつかった。疲れすぎて風邪を引き、薬でお腹の調子を崩し、腕を使いすぎて指が痺れ、毎週の様に医者通い。今日も耳鼻科と整形外科に行く妻を送ってから自宅に一人戻ってきて、今ブログを書いている。

その管理会社は入札に負けて、4月からは別の会社が受託する事に決まっていた。3月末で全員解雇。もう今からでは新たな補充もないだろうから、辞めると他の仲間に迷惑がかかる。妻はそう思って最後まで頑張ろうとしたが、身体はもう限界にきていた。契約は3ヶ月毎だから12月末で更新のサインをしなければ自動的に退職出来るはず。しかし、サインの前にもう1月の勤務表が出来ていて仕方なくサイン、そして1月末の退職を申し出る。

確かに、妻の身体は人より弱いかもしれない。しかし、妻の仕事仲間も口々に仕事のきつさの不満と身体の不調を漏らしていた。会社は人を使い捨てである。そんな会社の犠牲になるな、との私の忠告がようやく受け入れられた。

妻は3年前にも生きがいを求めて、ある会社の請負の仕事を始めた。こっちは妻の要領も悪かったのだろうが、今の仕事よりも更にきつかった。仕事の量を減らしてくれと頼んでも受け入れてもらえない。3ヶ月も経たない内にフライパンも持てなくなる程になってギブアップ。何とか良くなるまでそれから1年はかかった。

妻には酷な言い方かもしれないが、これらの経験からもういい加減に分かって欲しいと思う。自分の生きがいは自分の手で掴みとるもので、他人から与えてもらうものじゃないぞ、と。自分は前の仕事を辞めてから、それについては真剣にずっと対峙してきたんだ。(妻に直接そのようなことを言ったことはある。)

ところで、仕事で病気になったら労働災害になるんじゃないか?と心配になる。なぜ心配になるかと言うと、労働災害なら健康保険は使ってはいけない法律になっているから。これは今回の話だけじゃなくて、自家用法人にも関係する話。

まあ、仕事で疲れたのが要因の一つというような病気は労働災害にはならない。そうでなきゃ、仕事を持っている人は誰でも病気では健康保険が使えないことになる。業務上の事故の場合は明らかに労働災害だけど。

そのことで今調べ直したら、2013年10月1日から事情が変わった。個人事業主や健康保険の被保険者が5人未満の法人の役員で従業員と同じ業務に従事しているものは、労災保険が使えない場合は健康保険から給付を受けることが出来るとのこと。(健康保険法 第1条、第53条の2)

これって、従業員がいない自家用法人ではどうなる? 仕事してなけりゃ労働災害も起こりえないんだけど。

2015年1月30日金曜日

投資資金は他人のお金が如く

消費するお金については10円の差でも気になるのに、資産評価額が一千万円単位で減っても平然(?)としていられる自分って何なんだ?と言うことについて考えてみる。

長期投資とは、それは気の長い話である。山あり谷あり、配当金を含めて10年で倍になれば上等、の世界である。そうであれば、長期投資のあがりだけで暮らしていくには相当の元手が必要だ。節約してコツコツ気長に元手を貯めたからこそ、長期投資と言う地味な投資をやり抜く事が出来る。

そのように消費に関しては慎重な長期投資家でも、投資については大胆でなければならぬ。大きな元手なら、ちまちま株を買っていても間に合わない。

しかし、例えそれが大きく値上がりしても気前よく使う訳には行かない。使うという事は値上がりした株を売ってお金を作ることだ。少しぐらい売っても値上がり前と同じ資産額だよ、とは言っても株数は減っているではないか。上がり下がりを繰り返してやっと少し増えると言うのに、上がる度に気前よく使っていれば元手はどんどん減っていく。

つまり、投資資金は勝手に使ってはいけないのである。そこでこう考えよう。投資資金は他人のお金と同じ。他人のお金だから、相場が下がっても落ち込まず、相場が上がっても舞い上がらず、淡々と大きな資金を運用していく。手に出来るのは配当収入のみ。

実際はそこまでの心境には達してなくて、相場が上がれば「資産が又増えて困ったナ。」と言いながら実は嬉しいし、相場が下がれば「遺産相続に悩むことがなくて済んだワ。」と言いながら実は悔しがっている。

或いはこう考えるか。投資資金は自分の身代わり君の身体。身代わり君が自分の代わりに働いてくれて、株の配当金という給与と投信の配当金というボーナスを稼いでくれる。身体は太ったり痩せたりするけど身代わり君はいつも元気に働く。

しかし、身代わり君もそろそろ働き方を変える日が近づいた。子供達が経済的に独立すれば、もう軽い労働で済むのだ。

2015年1月29日木曜日

ヨーグルト作り

連日投資の話ばかりで詰まらない人がいるかも。今日は話題を変えてみる。

昨日、ヨーグルトを作った。家で食べるヨーグルトを全て手作りにしてもう何年も経つ。妻と二人だけの生活になってからは作る頻度が少なくなって、今は週に一度位だけど。

ヨーグルトと納豆はお腹の調子を整える、と信じている。整腸剤の主成分がそうだし、実際に食べる量を増やしてからは調子がいい。納豆も手作りは可能だろうけど、実際にやったことはない。ヨーグルトは簡単に作れたし、多少出来が悪くても舌触りが悪い程度で食べても問題ないから、市販の物は買わなくなった。

一回に作る量はおよそ900ml位である。蓋に大阪ガスのマークが付いた容器をヨーグルト作りに使っているけど、その容量一杯作るとそうなる。市販品のほぼ倍の量が一度に作れるので重宝している。

使うのは高温で殺菌された成分無調整の牛乳。低温殺菌牛乳ではヨーグルトが固まらないから注意。一度沸かせば使えるけど、わざわざ高い牛乳買って無駄に手間を掛けることもないし。種のヨーグルトはずっと昔に高級ヨーグルト(何だったのか覚えてないけど)から採ったものを使い続けている。

以前、これに大さじ2杯位のスキムミルクを加えてヨーグルトを作っていたが、家族から硬すぎるという苦情が寄せられたので短期間で止めた。

いつもやっている手順はこうなる。
  1. お湯をやかん一杯沸かす。
  2. ヨーグルトの容器には種に使う大さじ1~2杯のヨーグルトが残っている。
  3. 大さじと小さな容器を熱湯で消毒し、種を採取して小さな容器に入れる。
  4. ヨーグルトの容器の残ったヨーグルトはシリコン製ジャムスプーンで綺麗にして(食べて)から、容器と蓋を洗う。
  5. ヨーグルトの容器と蓋を熱湯で消毒し、そのお湯は保温鍋(シャトルシェフ)に入れる。
  6. ヨーグルトの容器に牛乳を入れ、電子レンジで600W、3分間温める。
  7. 保温鍋に水を足し、あるいは熱湯を足し、あるいは火にかけ(内鍋)、適量の48度のお湯にする。
  8. 小さな容器の中のヨーグルトを良くかき混ぜて液体状の種にする。
  9. 牛乳を加熱後、ヨーグルトの種を大さじ1杯程度入れて良くかき混ぜる。
  10. ヨーグルトの容器に蓋をして保温鍋に入れ、保温する。お湯の量は容器がほぼ浸かる位。
  11. 冬なら3時間、夏なら2時間半程度で保温鍋から出して様子を調べる。
  12. 牛乳に少しとろみ(容器を少し傾けて調べる)がついてきたら、そのまま室温放置。夏なら容器を水で冷やす。
  13. 様子を見てまだだったら保温鍋に戻して20分程度経過させ、再度様子を調べる。
  14. 放置して室温近くまで冷めた頃にはヨーグルトが程よく固まっているので冷蔵庫へ入れる。
  15. ヨーグルトの固まり方がまだ十分でないなら更に室温で放置してから冷蔵庫へ入れる。
  16. 冷蔵庫で一晩冷やしたら、出来たてよりも更にしっかり固まっている。
ヨーグルト
これが昨日作って冷蔵庫で一晩冷やしたヨーグルト。表面の真ん中付近は少しデコボコしているけど、これは種を入れる前のかき混ぜ方が足りなかったのが原因と思う。これでも表面のほんの数ミリだけ舌触りが良くないだけで、残りの部分は市販の高級ヨーグルトに遜色ないはず。

発酵させすぎると表面が全面ボコボコになるし、ひどい時には全体が液体状になってしまうので注意。種を入れすぎるのも仕上がりを悪くする。少なすぎると固まるまでの時間が増える。雑菌が繁殖する恐れが出てくるかもしれない。

使っている種によっては最適の温度や時間が違ってくるので、色々試して市販のヨーグルトに遜色ない位になるまで頑張ろう。

2015年1月28日水曜日

時価総額という幻想

時価総額とは株価に発行済み株式数を掛けたもの。では、その時価総額でその会社がまるごと買えるのか?

しかし考えてみよう。その時の株価とは、その会社の株を持つ全株主の中で一番の臆病者が売った値段なのだ。その他大勢の株主は、その株価よりもその株の価値の方が高いと思っている。株の売買高は株価が下がる程細り、上がる程増えるのはその証である。

円錐型を逆さにしたように、上が太く下が細いような形の氷の塊が水に浮かんでいる情景を思い浮かべてみる。氷の体積が全株式を表すことにする。すると、水面の高さ(正確には氷の塊の重心位置なのでそれよりは下だが、感覚的にはそんなもん)が株主が売っても良いと思っている株価の平均値だ。そうすると現在の株価って氷の一番底の部分。水面からその底までの高さの差だけ、現在の株価というものは株主が考えているその会社の株の価値よりも低く評価されている。しかも、相場が急降下するとき、臆病者はとにかく売りたくなる。それは氷は同じように浮かんでいるのに、まるで氷の塊の底が下に向かって伸びていくように。

そんな風に考えれば相場が下がっても平然としていられるはずだ。

それと、株を売るのは一番の臆病者だけではなかった。裁定取引でも売られるんだった。そういう知識を持つことで売らない力が生まれる。長期投資家にとって、買うときの判断力もさることながら売らない力も重要なのだ。

裁定取引とは同じものが別の値段で売られている時、安い方で買って高い方で売るという取引で儲けること。全く同じものでなくても組み合わせで同じものを作っても良い。例えば、米ドルと円、円とユーロの組み合わせで米ドルとユーロの取引になる。

裁定取引で一瞬のほんの僅かな差をもなくすような力が働く。裁定取引のお陰でどこで取引しようと同じという安心感が生まれるし、裁定取引が活発に売買するので流動性も高まる。誠に有難い存在である。昨今、取引の高速化という話題があって、ミリ秒では遅すぎる世界水準はマイクロ秒だ、などと言っているのも長期投資家にとっては全く疎遠な話だが、裁定取引にとっては死活問題だろう。その僅かな価格差がほんの一瞬の時間差で消えてしまうのだから。

それで株の場合は現物と先物の間の裁定取引により、その会社の業績とは全く関係ない事情で絶えず売買されているのだ。つまり、まとめてみるとこうだ。
  1. 株価は会社の業績が変わらなくても上がったり下がったりする。
  2. 臆病者がその振れ幅を増幅してくれる。
  3. 賢明なる長期投資家には株の価値よりもずっと安値で株を購入するチャンスが生まれる。
  4. 正しい知識があれば間違った行動(安値で株を売る)をしない力がつく。
長期投資家諸君、相場を気にせず楽しく毎日を過ごそう。

2015年1月27日火曜日

株とは配当金を貰う権利である

今日、給与支払報告書と償却資産申告書を提出しにA市役所に歩いて行った。2月2日期限の提出物は全て終了。これで残すは3月2日期限の法人申告関連のみ…とは言ってもこれらが一番大変なのだが。

さて、投資の知識の続きを書く。

タイトルを見て、それだけ?と思った人もいよう。勿論、大口の投資家なら株主総会の議決権行使によって会社経営に関与することもあろう。しかし小口の投資家にとっては唯一配当金(株主優待も含めて)を貰う権利のみが株を買って保持する理由になる。

株相場の変動で儲けようと思わなければ相場が気になって日常生活に支障をきたすこともなく、長期間保有出来る。買う時に良く検討して大事に長く持ち続けるって、物を買う際の私の方針そのものではないか。長期間保有することが投資の果実を最も享受出来る方法であり、投資に費やす時間を最も少なくする方法でもある。

だから、お金が余ったら株を買い、相場が変動しても売らないという方針でずっとやって来た。買う時は業績や配当だけでなく業務内容に共感がもてるかどうかの基準で選ぶ。但し、自分で積極的に探した訳ではなく、全て証券会社の営業さんが持ち込んできた案件からの選択。自分から銘柄を指名したことがあるのは中国株に投資する国内投信だけだった。

長期間安定した業績を保てる企業としてインフラ系(インフラストラクチャー系の略)を私は好む。通信、電力、高速道路。そして、これもある意味インフラ系の保険、銀行。しかも全て外国株。日本株は配当が低すぎて魅力がなかったのと将来の国の財政破綻に備えてそう決めた。

リーマン・ショック後の相場の急降下でも私は売らなかった。相場には一喜一憂せず、などとは言っても資産評価額(証券会社の自分の口座にログインすれば何時でも確認出来る)が毎日一千万円単位で減っていくのは辛い。そういう時は残高を確認しない。(逆に相場が上がっている時は毎日のように確認したりして。)

そしてこう考える。過去の残高は忘れよう。今の残高が現実なのだ。しかし、今持っている株はその最低の価格で手に入れる事が出来た株なのだ、と。むしろ、そんな異常に下がった相場の時にお金があるならお気に入りの株を買い増そう。相場が下がっても株価がゼロ(倒産しない限り有り得ないが)になろうとも、株の持つ配当金を貰う権利の価値が下がった訳ではないのだ。

投機の世界ではこういう買い方をナンピン買いと言って、相場が更に下がった時に耐え切れずに全部投げ出して傷を広げてしまう駄目なやり方とされている。株自体の価値を知らず、ただ相場の上げ下げのみに反応していればそうなって仕方ないだろう。

しかし、私が保有している株は昨今の円安でとうとう全部が黒字(配当金は含めず)になったが、買い増しして無ければ今だに赤字のはずの株もあるのだ。バイ・アンド・ホールド。買った株は相場が下がっても売らない。その会社に失望した時か、余りにも高くなり過ぎた時か、私が現金を必要とする時か、そういう場合にしか売らない。

そのようにして、配当金のみでの生活が可能になった。相場が下がっても配当金は変わらないことが分かって、今の心境に至る。(尤も、リーマン・ショック後の異常な円高で外国株の配当の円での受取額は下がったんだが。)

それ迄は、投資は事業を起こして収入を得る迄のつなぎの役目だと思っていた。

2015年1月26日月曜日

市場価格は常に変動する

これから暫くは一般の人が投資する際に最低限知っておいて欲しい知識を書こうと思う。しかも数多の投資本には何故か書かれていない大切なこと。

一般に投資の対象となるものは株であれ通貨であれ市場で取引されている。市場とは、
  1. 値段さえ気にしなければいつでも売買出来る流動性がある。
  2. 特定の相手ではなく、誰でも同じ条件で売買できる公平性がある。
  3. 売買の値段は公衆に明らかにされる公開性がある。
という特徴を持つものだと思う。
市場は素晴らしい仕組みである。流動性によって何時でも換金出来る安心感がある。公平性によってその売買が不利な取引という心配がない。公開性によって価格の基準が生まれるから市場を介さない取引も出来るし、保有する資産価値も計算出来る。

しかし、その特徴故に市場価格は常に変動する。

例えば、超人気の饅頭屋を考えてみる。客は行列を作って待っている。饅頭を店に出せばたちまち売れる。これって定価でいつでも売れる訳だけど、買い手にとって常に品切れで買いたくても買えない。或いはコンビニの店頭。お客は欲しいものを定価でいつでも買えるけど、売り手にとっては常に商品の在庫を抱えていることになる。

市場は売りたい人と買いたい人が集まっている場所。売りたい人の中で一番安い売値と買いたい人の中で一番高い買値が口をあけて待っている。そこに(成行で)売りたい人がやって来た。その一番高い買値で取引成立。また(成行で)売りたい人がやって来た。さっきの買値はもうない。その次に高い買値で取引成立。売り手が増えれば価格は下がる。同様に買い手が増えれば価格は上がる。

そういう訳で株や為替など価格が変動するのは当たり前。それで価格の変動を利用して一儲けしようとするのが投資と思っている人の多いこと。価格の予測をしようというのがテクニカル分析という代物だけど、全く科学的根拠なし。そもそも、皆がそれをやったら予測が狂うでしょうに。短期的な価格の予測は不可能。

株価の予想をする投資本など何の役にも立たない。大体予想が当たるならそれで大儲け出来るはずだから、わざわざ本など書いてお金を貰う必要ない。著者自身が買った銘柄を推奨するのはポジショントークと言う。読者がそれを信じて投資しても得をするのは読者ではなく著者である。

尤も、株価は長期的にはGDPの伸びに合わせて上昇するものだと私は考えている。GDPが伸びる国の企業の株を長期に保有する。これが私の作戦。

2015年1月25日日曜日

法人県民税の書類が届いていた

一昨日、法人県民税の書類が届いていた。正確には納付書のみで、今回からは電子申告利用届出のある法人に対しては申告書等は送付しないことになったとのこと。

県税事務所は電車に乗って行かなければならない場所にあるし、申告書も少なからぬ枚数を提出しなければならないからeLTAXを利用して提出物は電子的に保存している。一方、法人市民税のほうは最近eLTAXが利用出来るようになったらしいが、市役所は歩いて行ける場所だし一枚提出するだけだから今だに紙で提出している。

それと、税務署から1月22日に「申告に関するお知らせ」のe-mailが届いていた。毎年この時期になると申告せねば、という意識が段々高まっていく。

ところで、新しいカードリーダーが今朝届いたので早速使ってみた。ところが同じ症状。カードを認識してくれない。それでもう一度調べ直したら、公的個人認証サービスの利用者クライアントソフトをインストールしてなかったのが原因と分かった。

それで無事に電子署名を済ませ、源泉徴収票と法定調書をe-taxで送信できた。元のカードリーダーも故障してなかったはず。新しいカードリーダーの形はシカクだが、大きさは元のとゴカク。さて、どうしたものか。

昨日、娘に電話で父ちゃんのブログは読みにくいと言われたので、数学のセンター試験の出題ミスに関する話を手直しして、手書きの図を写真にして追加した。問題文もボールドにして。ブログの機能を少しづつ使いこなしている気がする。

2015年1月24日土曜日

投資してない人はいない

昨日の日経新聞の朝刊に投資についての真っ当な意見が書いてあった。

それは大機小機というコラムで、「貯蓄から投資へ」とは…、というタイトルがついていた。政府が旗を振って個人が貯蓄を投資に振り向けるようにすることに異議を申し立てたのだ。金融機関が真っ当なら家計が貯蓄主体、企業が投資主体で結構、問題は企業が貯蓄主体になっていることだ、という。

私も、一般の人はリスク性の金融資産をうまく管理出来ないと思う。金融の高度な知識を一般の人にあまねく学ばせるより、その労力はそれぞれの人の仕事の分野に回した方が良いのではないか。相場の変動に一喜一憂するのは一部の人だけで十分だろう。その他大勢は貯蓄さえしていれば安心していられる世の中であって欲しいと思う。

コラムでは更にこう言っている。
もっと家計にリスク資産を持たせたいのであれば、安定的な社会保障制度を構築して将来の不安をなくし、金融資産の自由度を高めるのが政策の基本ではないか。
全く同感である。しかし、もはや安定的な社会保障制度は維持できないので各自投資をして自分の身は自分で守って下さい、というのが実情だろう。

政府の宣伝に毒されて虎の子の財産を抱えて金融機関に向かえば、それはもう親切に金融機関が一番儲かる商品を勧めてくれる。(「金融機関が」の後に句点のないことに注意)

これに抗するには、かなりの金融と投資の知識がいる。しかし、一番大事なのは投資に振り回されないだけの心の強さがあるかどうか、だと思う。それが無ければ、相場の変動に惑わされずに平常心で日常を過ごすことは出来ない。一般の人には無理だ。

さて、実はここからが本題である。

貯蓄しかしてません、と言う人も実は日本円の金利に対して投資していることになる。
家しか持ってません、と言う人も実は不動産に対して投資していることになる。
何も持ってません、と言う人も実は自分の時間を労働市場に対して投資していることになる。

本人に投資しているという意識は全くなくても、それらは投資なのだ。政府には、それら一般の人が普通に行っている無リスクと思われている投資では不利益にならないような政策を採ってもらいたいものだ。

しかし、昨今の政策を見る限り、近い将来の国の財政破綻は避けられず、無リスクと思われていた投資(財産)が実はリスクの大きい投資になっていると私は考えている。

だから、敢えて一般の人も金融と投資の知識を持って、かつ強い心を育てて、今はリスク性の高いとされる投資に挑んで欲しいと思う。このブログがその助けになれば幸いである。

2015年1月23日金曜日

年末調整事務

そろそろ期限が近づいて来たので年末調整事務をやることにした。そう言えば、先日の今年初めての給料日の前に、

私が会社に「平成27年分 給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」を提出し、会社はその内容を確認して「平成27年分 給与所得に対する源泉徴収簿」の扶養控除等の申告欄に必要な記入を行い、甲欄と書かれた文字を丸で囲む必要がある、

という話を書かなかった。これをやっていなければ甲欄ではなく乙欄を適用して源泉徴収税額を計算しなければならない。私の給与額では甲欄を使えば税額はゼロだが、乙欄を使えば社会保険料を控除後の金額の3.063%で1円未満の端数は切り捨てだから、1293円を徴収する義務があるのだ。

話は戻って、まず最初にやることは「平成26年分 給与所得に対する源泉徴収簿」を完成させること。それを元に給与所得の源泉徴収票を完成させること。更にe-Taxで税務署に法定調書等を提出し、A市役所に給与支払報告書等を提出すること。A市役所への提出は、唯一の給与所得者である私が平成27年1月1日にA市に住んでいた為である。

先に会計簿を完成させた。その総勘定元帳には源泉徴収簿を完成させるのに必要な社会保険料控除額、支払い給与額のデータがリストで出るから便利だ。それから前の年の書類を参考にしてA市役所に出す書類を仕上げる。

A市役所に提出する償却資産申告書もついでに書いてしまう。我が社は資産を一切持ってないから償却資産なしの所に丸をするだけで済む。それで発見したけど、この書類に書く資本金額も百万円単位だった。

それからe-Taxを起動して法定調書の作成。電子署名して…出来ないっっっ。スマートカードリーダーが故障の可能性あり。アマゾンで新型の物を注文してみた。また品物が来たら続きをやることに。

一昨日に届いた1オンスのメープルリーフ金貨。思った程は重くなかったが、厚みがあるので軽くもない印象。我が家の財産の最後の砦として貸し金庫の中で眠っていてもらう。

田中貴金属特製の袋に入っていたけど、袋は何か別のことに使おう。写真を撮った後で袋の下側にあった文字は擦ったら簡単に剥がれた。

そう言えば、以前のブログにGP@積立くんとG&Pプランナーはほぼ同じって書いたけど、G&Pプランナーの方は特定保管というしくみで田中貴金属がたとえ倒産しても顧客の財産は守れるらしい。僅かな寄託報酬を貰うより、そっちの方が良いんだけどな。

2015年1月22日木曜日

テキトーに作って失敗

この所、毎日のように投稿している。書きたいことが山のようにあるのに、どこから手を付けたら良いのか戸惑っていたのだが、最近は日々の出来事に関連付けて自分の意見や普段から考えていることを伝えるスタイルが出来て調子よく書けるのだ。

但し、同じ日に複数の投稿はしないように決めている。投稿も量より質の精神である。だから、その日に関連したテーマは書きかけでも日付が変わらない内に投稿して、後から修正したり追加したりすることも度々ある。投稿後に内容が倍以上に膨れ上がったこともある。そういう事情なので、投稿後の何日かは変更される可能性があると思って頂きたい。

さて、昨日(ああ、投稿が2分遅れて今朝と言えなくなった)の新聞に今度はセンター試験の数学ⅡBで出題ミスがあったと報じられた。選択肢に正解が2つあるというミスで、19日に受験生らから問い合わせがあり発覚した、と書いてある。掛け算さえ分かる人ならこの問題の出題ミスに関する部分だけなら簡単に解けるので、暫く付き合って頂きたい。

その問題を出題ミスに関係する部分だけ抜き出すと、こうなる。
自然数nに対し、2^nの一の位の数をa_nとする。  ("^n"はn乗、"_n"は数列のn番目を表す。) 
a_1=2、a_2={ア}、a_3={イ}、a_4={ウ}、a_5={エ}である。 
このことから、すべての自然数nに対して、a_{オ}=a_nとなることがわかる。
{オ}に当てはまるものを、次のうちから1つ選べ。 
(0) 5n、(1) 4n+1、(2) n+3、(3) n+4、(4) n+5
これの解答は以下のようになる。
2掛ける2=4だから{ア}は4、4掛ける2=8だから{イ}は8、8掛ける2=16だから{ウ}は6、一の位のみ計算すれば良いので16ではなく、6掛ける2=12だから{エ}は2、となる。

これで元の値に戻ってきた訳で、a_6ならa_2に等しくなることはもう計算しなくても分かる。つまりnが4つ先なら同じ値になる訳だから{オ}は(3)である。

しかし、nが8つ先でも同じであり、一般的に4の倍数だけ先なら全て同じ値になる訳だから、0以上の整数mとして{オ}は一般に n+4m の形に表すことができる。

ここで、5n=n+4n であることを考えると、{オ}は(0)でも良いことが分かる。つまり、(0)は m=n とした場合で、(3)は m=1 とした場合だったのだ。

まあ普通の受験生なら{オ}は(3)にするだろうな。後の問題を解くのにこの方が流れがいいから。世界史Bの出題ミスとは違って受験生を悩ますことはないと思う。しかし、出来る受験生ならグルグル回っても同じ値って考えは三角関数で慣れていて選択肢を見る前に頭の中で n+4m の形の解を予想しているはずだから、あれっ、(0)も正解じゃね?と思ったかも。

しかし、である。大学入試センターが選択肢(0)も正解としたことで、何とか日本の数学教育は救われた。もし、数学的には全く正しい選択肢(0)が「問題の意図と異なるため不正解にする。」なんて事になったら、これはもう数学を題材とした国語の試験としか言えないのだ。

何で出題ミスをしちゃったんだろう。正解以外は受験生を惑わすように一見正しいような選択肢を用意しなくっちゃいけないんだけど。きっと問題を作った数学者達は正解については一生懸命になれるんだけど、嘘の選択肢についてはそこまで情熱を注げないんじゃないかな。テキトーに作って失敗。

ここまで書いて思ったのだが、私がイイなあと感じるドラマ、映画、小説などは全てどうでもいいような細かな所まで凝りに凝って作ってある作品である。この数学の問題も嘘の選択肢まで凝りに凝って作っていれば決してミスは犯さなかったんじゃなかろうか。

2015年1月20日火曜日

交通違反者にならないように

今日は給料日かつ仕送り日である。午前中、近所の郵便局で子供達への仕送りを済ませ、午後に銀行へ行った。銀行の前の交差点には横断中の黄色い旗を持った人達が大勢立っていた。男性も女性も若いのも年寄りもいた。

軽い交通違反で免停になるのを免れるために違反者講習に参加している人達である。参加者でこれに意義を感じている人はいないだろう。見せしめとしてやらせているようで、いつも嫌気が差す。私も車を運転することがある。運転中は安全には最大限の注意を払っているが、交通ルールをいつも完璧に守っている訳ではないから、運悪く交通違反者として同じ境遇になるかもしれないのだ。

警察の交通違反の取り締まりのやり方には全く賛成出来ない。危険な運転や迷惑な行為を取り締まってくれればいいのに、そっちは放ったらかしで、専ら違反しやすいように罠をかけた所で待ち伏せして捕まえて、反則金を奪い取るという山賊紛いのことをやっているからだ。私は幸いまだ一度も交通違反を取り締まられたことはないけど。

そう言えば、交差点の出口側で歩行者がいなくなっても止まっていて目の前の信号が青になるまで動かない車を最近立て続けに見た。いづれも女性の運転者。後ろの車にクラクションを鳴らされても知らん顔。こういうトンチンカンこそ捕まえて再教育して欲しい。

では、交通違反者にならない秘訣はあるのか。最も確実なのは運転しないこと、無理なら運転する機会を減らすこと、そして非力な車に乗ることだと思う。

高くて馬力のある車などを買ってしまったら、必要以上に乗って見せびらかしたいだろうし、その高性能を使いたい欲望と戦って負けるかもしれない。一方、非力な車は目一杯アクセルを踏んでも危険なことはない。むしろ、非力な車をキビキビと走らせるようになるのが楽しい。

ところで、運転する機会が乏しいなら、運転の技量は向上せず、結果として危ない運転者のままでいることになる恐れもある。

実は、我が家の車を先代から今のアルト君へ変えた時、マニュアルミッション(以下MTと呼ぶ)を選択してみたのだ。私は教習所を出て以来MTの車は数えるほどしか運転したことがなかった。それで、ディーラーから自宅まで運転するだけでも発進する度にエンストしないかとヒヤヒヤした。しかし、早朝に運転の練習をして何とか身構えることなく普通に乗れるようになった。

教習ではMTの車を運転したことのある妻もアルト君に乗って何度か練習したけども、坂道発進が出来ないとかエンジンが小さいからすぐにエンストするとか言って運転をすぐに諦めてしまった。一方、大学に入るまでは免許は取らない(環境に悪いから?)、アルバイトはしないと宣言していた我が息子。

入学後は一転して免許は取るはアルバイト(教習費を稼ぐ?)するは。アンタは不器用だし不注意だから、免許は取らない方が安心だねと言っていた家族をびっくりさせる。しかもMTで。教習中は教官から今からでもATに変えたらと言われていたのに。何でも、農業系のサークルに入ったのでMTの軽トラックとかを運転したかったらしい。

その息子が帰省中にアルト君を運転したいと言ってきた。嫌だったけど、渋々OK。

まずは任意保険の変更。息子の年齢はカバーしていなかったけど、年齢の限定はそのままで同居していない未婚の子は保険の対象になるそうだ。ついでに言うと、住民票を移さなくてもOKとのこと。だから、夫婦限定を家族限定に変えただけ。年度途中での変更だったのか追加料金は無料だった。

元の勤め先の周辺の道路は交通量の少ないから、自宅からその場所までの往復は私が運転して、周回から練習を始めた。坂道発進は半クラッチで車が動き出そうとしてノーズが少しもち上がってからパーキングブレーキを解放すること。一時停止線で完全に停止してから再度微速前進する意味について。

仕上げは早朝、息子が自宅から海岸の駐車場まで運転。そこで、ひたすら駐車の練習。低速で半クラッチを使ったコントロール。バックの時のハンドルの切り方。本当に免許試験に合格したのかと不審に思う程の下手くそ。

高速の練習はさせなかったけど助手席に座らせて、車間は前の車が通過したポイントから5秒空けろとか、進入してくる車のために走行車線を空けてやるとか、速度が一定しない車は運転が下手とか、色々説明。

一緒に運転の練習をして運転のコツを教え、自分の安全運転への心構えなど教えることができて良かったと思う。

2015年1月19日月曜日

思い立ったが吉日

今日、金を売ってみた。

GP@積立くんでは100g単位しか売れないから、100g売ってみた。田中貴金属が示した今日の買取価格は1g当り5,164円なので、516,400円がクリックするだけで手に入った。簡単すぎて怖い。間違えてゼロを1つ多く打っても、ひと度クリックすれば、もう取り消せない、売却益で税金発生となってしまう。

売却は値段を指定して予約することも出来るらしい。その日の買取価格よりも高い値段を付けておけば相場が上がってその日に売るより多くの収入になるかもしれない。しかし、一向に売れないかもしれない。つまり、売却を運に任せる訳である。だから、思い立ったが吉日である。売ろうと思った時、その値段で手を打とう。自分の売却の意思を運に任せないようにしよう。と言うのは、そのことで私は苦い体験をしたことがあるから。

それは金ではなく株式の売却の話である。その当時、私は持株会で自社株を保有していたのだが、米国の本社が事業部を別会社にして株主に株式を割り当てることになった。米国の法律ではこれは株式の分割と同じ扱いで株主に税金がかかることはなかったのだが、日本ではこの無償で割当てられた株式に対して課税扱いされることになった。

そこで株式割り当ての権利が確定される前に持ち株を売却することにしたのだが、欲を出して少しでも高く売ろうと指値で売却の指示をした。しかも、相場より高めの幾つかの売値に持ち株を分ける指示して。

そうすると少しは売れたのだが大半は残ったまま期日は迫ってくるのに相場がどんどん下がりだした。結局、期日ぎりぎりになって成り行きで売却する羽目になってしまい、売ろうと思った時に全部売却するよりも相当な損になった。相場は期日が過ぎたら元の値段まで戻して更に悔しい思いをした。

それ以来、売る時も買う時も指値ではなく成り行きで注文することにしている。自分の決断を運に任せないで確実に実現するのだ。尤も、流動性の低い株を売買するときに成り行きで注文すると思わぬ高値で買ったり安値で売ったりという危険性もある。自分の売買が相場を動かしてしまうのだ。

そういう場合は指値で相場よりもやや高い買値、やや低い売値を指定する方が良い。指値とは言っても指定した買値よりも安く買える場合もあるし指定した売値よりも高く売れる場合もある。ただ、高く買ってしまったり安く売ってしまうことだけは絶対ない。言わば保険付きの成り行き注文なのだ。但し、売買が成立しない可能性もなくはないのだが。

ところで、金の現物は業者が買取も小売も値段を示して売買する。買取と小売の値段の差はスプレッドと呼ばれている。このスプレッドで業者は利益を得る。鑑定や精錬と再生の費用もこのスプレッドから出す。とは言え、金の現物の買取はブランド品の買取などよりはるかに良い条件だ。今日の小売価格1g当り5,249円に対する買取価格の割合は何と98.38%である。

このように業者が買値と売値を示して取引するものに外国為替証拠金取引(FXとも言う)もある。こちらのスプレッドは金の現物よりもはるかに小さく、例えば現在のUSドル円の取引なら1ドル当り0.5銭程度と言うから、売り買いの比率で言えば99.996%である。スプレッドが小さいのは嬉しいがそのお陰で提示される買値と売値は相場の変動に応じて秒単位(金の場合は相場が急変しない限り日毎)でどんどん変更される。

株の売買は市場を通す。売買の相手は見知らぬ客である。売値イコール相手の買値、買値イコール相手の売値。証券会社はスプレッドではなく、取引手数料を取ることで儲ける。市場という公開された相場を通じて取引することで不当な値段を防ぐ。

一方、金も外国為替証拠金取引も売買の相手は業者である。市場相場ではなく、相手の示す売値と買値のみで取引される。だから株式の成り行き注文みたいに幾らで売買が成立するか分からないことはない。この売値と買値を同時に示す方法は市場がなくても不当な値段を防ぐ巧妙な手法である。もし、業者が不当に安い値段を示して買い叩こうとしているのなら、売値も同時に不当に安くなっているはずだから逆にその売値で大量に買われてしまうことになり、業者は大損するからだ。

さて、今日は初めての金売却記念日なのでケーキを買ってみた。工事のため駅前の支店が暫く閉鎖することになった地元の洋菓子店の本店に行ったのだ。駅前の支店は繁盛していたのに、かつての客達は駅から遠いから面倒臭いのか、或いは本店の場所を知らないのか、本店には閑古鳥が鳴いていた。私はその店を気に入っているので、お店が潰れないようにと念じながらティラミスとショコラフレーズ(苺入りチョコケーキ)を買った。

2015年1月18日日曜日

テンで駄目な話

今朝、新聞を見るとセンター試験の世界史Bで出題ミスがあったと報じられていた。受験生の指摘で問題文の読み方により正解が2つあることが分かった、と書いてある。その問題はこうだ。
貞亨歴は,中国の{ア}の時代に,{イ}によって作られた授時暦を改訂して,日本の実情に合うようにしたものである。
調べてみると、授時暦を作ったのは郭守敬、授時暦が作られたのは元の時代、貞亨歴が採用されたのは清の時代(の日本)である。

日本語の句読点に論理構造を制御する機能があると信じている私からみれば、正解はただ1つ、{ア}は清、{イ}は郭守敬しかありえない。

句読点は単に息継ぎの箇所を親切に指定してくれる記号に過ぎない説を教育してくれる国語の立場から言えば、{ア}は清と元と両方が考えられる。

問題文の「時代に」の後に打たれた「,」が仮になかったとすれば、{ア}は元しかありえない。

正解を{ア}は元、{イ}は郭守敬と考えていた世界史Bの出題チームはテンの重要性をテンで考えていない人達らしい。

因みに、私の手元にある「新しい国語表記ハンドブック 第5版」三省堂 によると、くぎり符号の使い方(文部省国語調査室で作成した「くぎり符号の使ひ方」案 昭和21年3月 を簡単に、分かりやすくまとめたものである、と脚注がある)の第2項に、

「、」は、文の中で、ことばの切れ続きを明らかにしないと、誤解される恐れのあるところに用いる。

とある。この文自体がハテナ?の文章だろう。「は」の後も「で」の後も「と」の後も「、」は不要なのだから。ついでに言っておくと、このハンドブックの公用文作成の要領(昭和27年4月4日内閣閣甲第16号依頼通知から抜粋、と脚注がある)の第3部 書き方について の注2によれば、

句読点は、横書きでは、「,」および「。」を用いる。

と書いてある。問題文はこれに沿っているけど、私は好きじゃない。句点にカンマを用いるのなら読点はピリオドにすべきだ、と思うから。それに、自治省は左横書き文書の作成要領という通達を出したことがあって、横書きの句点は「、」を用いると言っているし。タイトルが「カンマで駄目な話」じゃあ洒落にならないし。

それにしても、重箱の隅をつつくような問題じゃないか。こんなことは必要になった時に調べれば済むこと。世界史の壮大な流れの理解だけで満点が取れる問題を作って欲しいものだが。

2015年1月17日土曜日

震災では先代の車が活躍した

阪神・淡路大震災(日経新聞には阪神大震災って書いてあるけど)からちょうど20年。まだ勤め人だった頃のこと。

地震が発生した当時、妻と息子は激震地域にほど近い借り上げの社宅にいた。その前の年の12月に転勤で引っ越して来たのだ。娘はまだ生まれてなかった。私はその時出張で北海道にいた。

その日の朝に運良くホテルに電話が通じて家族は無事との伝言を受けていた。その日の作業をやった後、客先の担当者が「ご心配でしょうから帰ってもいいですよ。」と言ってくれた事は覚えている。その言葉をその作業を終えるまでは言えなかったことも。

翌日、関空まで戻ってみたら、大地震などなかったかの如く全く普段通りに機能していた。やはり阪神間の交通は途絶したままだが、淡路島経由で帰れそうなことが分かった。途中、バスが渋滞で全く動かなくなった所で下ろしてもらって歩いて家まで帰った。社宅のアパートは無傷で建っていた。電気も来ていた。ただ水道とガスが止まり、食料が尽きかけていた。時折起きる余震が地震の大きさを物語っていた。

先代の車は私が独身の時に登山の足として初めて買った中古車。転勤後は通勤の為にも使い出したけど、普段は歩き、自転車、公共交通機関(乗客が殆どいないバスは勿体無いと思うが)を使う方が好きで、走行距離も伸び悩んでいた。体重50kgちょっとの物体を運搬するのに1トン以上の重さのものを動かす無駄が嫌いだった。とは言え、世界中の人々が大きな車に乗って石油をバンバン燃やしているのに、一人だけ文明のご利益を拒絶して不便な生活をするのも虚しい。交通の不便な所に行くときや重い荷物がある時、確かに車は便利な乗り物である。

その車が地震後は給水地点からの水の運搬、買い出しなどに大活躍した。約2週間後に水道が復旧した後も、ガスが復旧した約1ヶ月後までお風呂が使えなかった間はほうぼうの浴場までの送迎もした。どうやって通れることを確認出来たのは今となっては忘れたが、六甲山北側や山中を通って一度は実家と兄の家まで物資の調達やお風呂のため往復もした。

そうして我が家の車は、単に便利な乗り物からイザという時に家族を守ってもくれる存在に格上げされた。その後は通勤や(高速がつながってから)実家と往復するのにも使ったので走行距離もそこそこ伸びてきた。ようやく23年(その内1年半は前オーナー)で10万キロを超えた所で引退してもらった。古い車の自動車税を増税する暴挙と13年以上の古い車を廃車にして新車を買えば補助金が貰えるという飴玉によって、まだまだ動く先代には悪いけどアルト君に代わってもらうことにしたのだ。

そう言えば、まだ阪神間の交通が繋がっていない頃に東京の妻の実家に淡路島経由で関空に行って飛行機で帰省した(妻に何でこの時帰省したのか聞いたら、友人の結婚式に出たためだと)ことがあった。飛行機もエネルギー効率は鉄道より劣るから、利便性(や経済性)が変わらないなら使わない主義。飛行機を使った帰省はこの時だけだった。

動かせる鉄道路線をバスで繋いでようやく阪神間を通過できるようになった時。報道で知っていたとは言え、地震後初めて分け入った神戸の中心でその光景を見て本当に地震の凄まじさを実感した。場所のほんの僅かな違いで被害が大きく違う直下型地震。大変な目に遭っている人々がいるすぐ隣で殆ど被害に合わずに暮らしていることが申し訳なかった。

2015年1月16日金曜日

法人市民税申告書が届いた

今日はA市から法人市民税申告書が届いた。これは我が社がA市に事業所(自宅だけど)を持っているため。わかりやすいように事業年度を暦年に等しくしているが、年度末から2ヶ月後が期限となるため、例年この時期に届く。今年の2月28日は土曜日なので提出期限は3月2日だ。

これは、いつも法人税の申告と法人県民税の申告を終えてからやることにしている。また実際に申告したら報告したい。

法人市民税は法人税割額と均等割額の合計からなる。赤字法人なら法人税が0円なのでそこから計算される法人税割額も0円。均等割額は資本金額1千万円以下かつA市内の従業員数50人以下の場合で6万円。

因みに資本金額1千万円を超えたら(1億円までは)たとえ自分1人の法人でも均等割額は15万6千円に増える。

また、以前、法人クレジットカードを作ってみた事があった。結局一度も使わないまま解約したのだが、その申込書は資本金額の単位が百万円になっていた。だから資本金額1円でも確かに会社は設立出来るのだが、出来れば百万円単位で決めるのが望ましいと思う。

2015年1月15日木曜日

純金積立の思い出

今日、田中貴金属から「GP@積立くん」のIDが届いた。

今はもう止めているが、まだ三和銀行の時代に純金積立を始めた。当時は株式投資は自社の持株会に基本給の1割(限度いっぱい)を投じていただけで、もっぱら貯金に励んでいたのだが、財形貯蓄も非課税限度額を超えたので月々の黒字分で金への投資をしてみることにした。

最初は、1gあたり1500円位だったと思う。その後下がり続けてとうとう1000円を切っても平気だった。同じ値段で沢山買えるのだからもっと下がれと思っていた程だ。価値を信じていれば値下がりしても怖くないという体験だった。

三和銀行がUFJ銀行、三菱東京UFJ銀行と変わっていく間にいつの間にか金相場も上がってきた。そして、とうとう平均購買単価を超えた頃に気がついた。このまま増え続けたら貸し金庫に入れた時に爺さんの力では持てなくなるぞ、と。だけど、解約したら貸し金庫に重い金地金を入れる羽目になって使うのに面倒だし売却の際には手間もかかると思い、購入月額を最低限度額まで下げて口座を維持する(年額の口座維持費も必要だったが)ことにした。

それから何年か経って、三菱東京UFJ銀行が純金積立の事業を止めて三菱商事に移管することになった。それで毎月の購入は止めて金の残高を保持するだけにした。それには口座維持費が掛からないどころか金を毎年少量貰える(消費寄託という)のだが、金の名義は三菱商事のものになっているので、もし倒産した時には自分の持分の保証はない。

この三菱商事の金ネット取引システムの名前が「GP@積立くん」だったのだ。それから更に何年か経って今度は三菱商事が事業を田中貴金属へ移管した。田中貴金属は「G&Pプランナー」という似たようなシステム(但し、こちらは特定保管)を持っているけど、それとは統合しないことにしたらしい。消費寄託という条件も三菱商事の時と同じ。但し、こんどは田中貴金属に倒産されると困る。三菱商事とどっちが倒産リスクが高いのかな?

金は確かに相場の変動は大きいが、人類にとって何千年も価値を保ち続けてきた財産だ。何よりもその美しさに魅了され、古代から装飾に用いられてきた。また、金は錆びないし伸展性も良いからメッキ用や金箔や金線として工業的な価値もある。

金の円での相場は近年のピークからさほど下がっていないが、1オンス1200ドル辺りという最近のドルでの相場はピークの2/3程、金採掘の平均コストに近づいていると言うから、この先値下がりはし難いのではないか。更に、金を好む中国人やインド人の所得水準が上がれば人口が多いこともあり、金の需要も大きく増えるだろう。円安や消費税増税でも金は値上がりするからこの先持ち続けても損はないとは思っている。唯一、持ち続けて有効に活用しないままあの世に行くリスクを除いては。

だから、私は今年の抱負を実現する第一歩として、この積み立てた金を売って活動資金とすることにした。なぜなら株式と違って金には配当金がないので(但し、消費寄託なので今のところ年毎に0.01%の重さの金がもらえている)売っても家計に影響無いし、課税の方法も違っていて譲渡益から年間50万円の控除があるから毎年程々に売っていくのがお得なのだ。そして、この「GP@積立くん」のIDがあればネットで売却指示出来るようになるので、先日ネットで手続した訳だ。

そして、手始めに1オンスのメイプルリーフ金貨を一枚等価交換で自宅に届くようにネットで指示した。口座の金はそのうち全部売却されるのだろうが、かつて純金積立というものをしていた思い出としてこの金貨は手元に置いておこうと思ったのだ。貸し金庫を訪れる度に眺めてみよう。

2015年1月13日火曜日

仕事始め

娘のパスポートのコピーを頼まれた。タイの大学との交換留学生の学内選考に受かって、受け入れ先に提出するのに必要とのこと。自己負担が殆どなしで行ける好条件なのに募集定員割れだった。受かって当たり前なんだけど、単純に嬉しい。

そのパスポートは銀行の貸し金庫にあるので、そのついでに会社の代表印も出してきた。これで年末から溜まっていた提出物を片付けられる。貸し金庫は、まだ勤め人だった頃に家族を伴い米国への長期出張する際に留守中の貴重品を預けるために借りてからずっと使っている。銀行の営業時間しか使えないし、銀行員に開けて貰う必要があるのは不便だけど、そこに安心感がある。

それで少しやる気になって今日は所得税徴収高計算書をe-Taxで税務署に提出することにした。源泉所得税がなくても翌月10日までに提出(年12回)する必要があるが、納期の特例制度(支給人員9人以下の会社なら使える)の承認を受けると1月分から6月分は7月10日までに、7月分から12月分は1月20日までに提出(年2回)するだけで良い。

そう言えばパソコンのハードディスクをSSDにしてからまだe-Taxのソフトをインストールしてなかった。実はe-Taxには2種類あって、Web版といってインストール不要なものもある。所得税徴収高計算書はWeb版で提出しても良いのだけど、法人税申告書はWeb版では出来ないので結局はインストールすることになるので、この際やっておく。

会社の全備品さて、代表印を持ってきたので記念撮影をしてみた。黒いファイルケースの上に乗っているのが会社の全備品。ファイルケースの中は13箇所に仕切られているので、これで10年間保管しなければならない帳簿や書類の控えや領収書を年度毎にファイル出来る。印鑑ケースには代表印、印肉の上には四角い会社印、青いゴムマット、法人口座の通帳とキャッシュカード。

黒いファイルケースの下には溜まっている提出書類の封筒。処理すれば捨てて無くなるけど。あと個人の物だけど、会社の用にしか使ってないカードリーダーと住基カード。住基カードには電子証明書が入っている。e-Taxの電子署名では法人の電子証明書以外に法人代表者の個人の電子証明書でも使えるのだ。公的個人認証サービスを使えば3年で500円。(法人の電子証明書はめっちゃ高い)

日本で一番こぶりな会社だと思う。

2015年1月12日月曜日

情報を何処まで出そうか

このブログは自分の考えや体験で人に役立ちそうなものをこの世に残したいという思いから書いている。その為に自分に関わる人や物が登場するけど、不都合な情報は(自分に関するものも含めて)出さないように心がけている。

だから、このブログは等身大の自分を表現するものではない。ダメな所をいっっぱい持った自分に理想というフィルターをかけた、架空の人物の物語。だけど書いてあるのは全部私が体験した事実や私が考えたこと。

このブログを書いて有名になりたい訳ではない。ただ、なるべく沢山の人が読んで何かに役立てて欲しいと思う。

ところで、一旦ネットに出した情報は完全に消し去ることは出来ない。私がブログに書いた情報で人物が特定され、そのことで何らかの迷惑をかけないようにしたい。だから、その可能性がある情報を出すのはなるべく控えたい。

昨日の投稿でA駅などとボカして書くのはなんとも歯がゆい。しかも鉄道オタクなら特定出来そうな程度のゆるいボカし方。しかし、もっとボカせば何を言いたいのか分からなくなる、そんなギリギリの表現。

普通に駅名を書いた方が読み手にとってもわかりやすいと思う。しかし、そうすれば容易に大学を特定したり、自宅の所在地も推定されたりするだろう。会社の登記簿を調べれば私の名前や住所まで分かってしまうかもしれない。読者には不便とは思うけど、このボカした表現には我慢して欲しい。

2015年1月11日日曜日

帰省で考えたこと

この年末年始は妻の実家に夫婦と娘で帰省していた。息子はアパートで越冬だ。

私達は関西に住み、妻の実家は東京(区部)にある。私も独身の頃は東京(都下)に住んでいて出身は関西だったから帰省といえばこのコースをそれは色々な方法で行き来した。息子が一歳になって間もなく転勤で関西に移り住んでからは両家の実家に行くので年明け早々に東京に向かったりしたものだ。

近年(去年は娘の受験のため帰省しなかったが)は年末にゆっくり東京を目指す。混雑する方向とは逆なので新幹線の予約がなくても大丈夫だった。

ところで、娘の大学は我が家より西にある。そうすると大学の最寄駅(A駅とする)から我が家(B駅とする)に寄って更に東京まで行く切符が買えそうである。しかし、娘は大学の授業が終わるその日にすぐに家に帰りたかった。そうすると、A駅から東京までの往復切符だと有効期間が2日足りない。

ならば、A駅からB駅までの切符を二枚とB駅から東京までの往復切符を買うか。B駅から東京まででも往復割引が適用される距離なのだ。

調べてみると、A駅からB駅までの切符を一枚買い、更にA駅から東京までの往復切符を買う方が安かった。この場合、往復切符の使用開始日は我が家から東京に向かう日として、往路のA駅からB駅までの区間は使わない訳だが規則上問題無い。

しかし、有効期間は距離が200km増える毎に1日増える。ならば、より遠くの駅まで買って有効期間を2日延ばすという作戦もある。調べるとA駅から東京経由で甲府まで買えば、有効期間は東京までの往復切符より2日延びて、しかもこの案が前のものより安いのだ。滞在中に甲府まで旅行しても良いし。学割証一枚で買える点でも都合が良かった。

実際はA駅より更に西にある新幹線停車駅(C駅とする)から東京経由で甲府までの往復切符を(娘が)買った。これでも同じ値段である。そうすると娘はA駅からでも大学最寄りの新幹線の駅(D駅とする)からでも乗降出来て便利そうだ。尤も、D駅はこだましか停まらないし、大学とのバス便が平日の朝と夕方しかないが。

なかなか良い案だと思っていたのだが、一つ思いがけないトラブルが(娘に)起きた。自動改札が通れないのだ。規則上は問題無いから有人の改札は通れるのだが、新幹線の乗り換えも含めて全ての自動改札が通れないのはちょっと不便だった。娘よゴメン。結局、甲府まで行くことはなかったし。

その理由は知らないが、間違って切符を使うのを防止するために発駅から乗らないで途中駅からの入場は出来ないようにしているのではないかと思った。例えば往復切符の往路と復路の切符を間違えて改札を通ってしまったら大変な事になってしまうから。

我が家から東京に帰省する場合、いつもはB駅から西に向かい、最寄りの新幹線の駅から1時間に1本ある東京行きのひかりに乗る。そのような経路でもB駅からまっすぐ東京まで行く切符と値段は同じである。しかし、今回は娘がB駅で途中下車しているから後戻り出来ない。だから新快速で新大阪に向かい、新大阪からのぞみの自由席で東京へ。その時間帯は1時間に13本もの便がある。待たずに乗れるのはなんと快適なことか。

乗ってみて最新型車両の乗り心地の良さにびっくりする。何の不満もなし。いや、ひかりに乗っていた時は車内販売のアイスクリームを食べるのがお約束だったが、のぞみは速すぎて弁当を食べたらまもなく東京についてしまい、アイスクリームを食べ損なったのが唯一の不満か。

きっとリニア新幹線では弁当を食べることも無くなるだろうし、車内販売もないんじゃないか。これから人口も減っていくし、所得も下がり続けるだろうし、本当にリニア新幹線の採算が取れるのか心配である。無駄に速いよりも待たずに乗れる方がよっぽど素晴らしいと思うのに。

帰省中は近所の神社に初詣に行ったのと、妻と娘の買い物に付き合って妻の実家からそう遠くはない下北沢へ行った。そこの古着屋で妻が偶然見つけたセーター。私にぴったりだった。ウール100%の薄くはないが重くもない高品質で前開きのジッパーと両脇のポケットがついた600円の掘り出し物。今回の帰省の最大の収穫だ。妻と娘の買い物は空振りに終わったのだが。下北沢は食べ物屋も手頃な値段の店も多くてとても気に入った。

しかし、…こんなことでホクホクしていて良いのだろうか? 今年の抱負はどうなってしまうのだろう。

2015年1月9日金曜日

お金を丁寧に使う

今まで無理をしてお金を貯めてきたということはなかった。ただ、私も妻も質素な家庭で育ったせいか使うお金が少なかった。余ったお金を全部貯めていたから今の生活がある。

確かに投資成績が良かったり割増退職金が貰えたという幸運が家計のゆとりをもたらしたけど、その幸運なしでも早期退職は可能だったと今なら言える。そのゆとりなくして退職する決断ができるのかは別にして。

我が家のお金の使い方は、使えるものは最後まで大事に使う、見栄にお金を使わない、という原則だけで説明出来ると思う。使える間は捨てられない性分だから、なるべく上質で手入れが楽で修理可能なものを選ぶ。過剰な大きさや性能や華麗さは求めず、お金を出すときは良く比較検討して単に価格だけでなく、サービスの質も含めてお得なものを選ぶ。しかし、気に入ったら目移りせずに定番のものとして利用する。

こんなやり方がお金を丁寧に使うということだと言いたい。具体的にはこんなもの。

お茶屋さんで玉露の粉茶。ややぬるめのお湯で淹れるとまったり甘い。
乾物屋さんで本節の粉末(だし用)。味は本物、便利さはインスタント並。
元同僚の実家のみかん農家からお取り寄せのみかん。世界で一番甘いみかんと信じている。
ナルミのボーンチャイナの皿。何十年経っても同じものが手に入る。
WMFの圧力鍋。消耗品が何時までも手に入る安心感。
ミキのメガネ。幼児用まで揃うのはここだけだった。サービスの良さと信頼感は一番では。

こんなお金の使い方がいい仕事をしている個人や企業を応援することになるのではないか。

家も保険も車も教育費も、高額の商品ほど必要以上に大きなもの高いものを買わせようと宣伝に力がはいる。今なら小さなものにこそ価値があると思うけど、以前は私も宣伝に毒されて業者の売りたいものに憧れたこともあった。ただ高すぎると感じて支出しなかっただけ。あぶないところだった。

2015年1月6日火曜日

お金の番人からお金の主人へ

今年の抱負を考えてみた。

以前、お金の管理人という言葉を使ったが、今の自分もやはりそうだと言わざるを得ない。いや、今ある資産が減ることを恐れて決して無駄遣いしないなんて、管理人どころか番人だな。お金の番人。

お金の番人とは言っても、私の場合は必要なお金を出し渋ったり、安いもので間に合わせるというものではなく、お金を丁寧に使うということ。これで満足度も上がるし、使うお金の総額も減る。こうして私は少ないお金で楽しく暮らすことを理想としてきた。

しかしその一方で、私は資産を残さないで死ぬことも理想としている。だけど、最も教育費を必要としている人生のこの時期においてさえ赤字にならないのに、そのうちに少額とはいえ年金も貰えるのに、どうして資産を減らせるだろう。

お金は丁寧に使いたいし、多額の遺産を残すのは子孫に迷惑である。この問題をどう解決すればよいのか。たまたま読んでいた本の中に答えはあった。

「ローマの哲人 セネカの言葉」 中野孝次 著 岩波書店 2003年9月

いにしえの知恵はこう答える。好きな事に使え。

そういえば、働かなくても暮らしていけるほどの貯蓄に励んだのは、自分の理想とする家を作りたかったのではなかったのか?

バブルが弾けても宅地の値段は遅々として下がらず、一方、求める家はどんどん理想が高まり実現出来ないでいるうちにリストラ。貯蓄が生活費の元になってからは投資がうまくいく保証もなかったから、家づくり計画を中止したのも仕方がない。それから5年で資産が2倍以上に膨らんだと思ったらリーマンショックで半減、しかし資産額はそこからじわじわ回復し、配当金の額も意外と安定していることを知って自分の投資術にも自信が出てきた。

今こそ使うべき時ではないのか。生活を保証する資産以外を好きな事に使おうではないか。それでこそお金の主人であると言えよう。