震災では先代の車が活躍した

阪神・淡路大震災(日経新聞には阪神大震災って書いてあるけど)からちょうど20年。まだ勤め人だった頃のこと。

地震が発生した当時、妻と息子は激震地域にほど近い借り上げの社宅にいた。その前の年の12月に転勤で引っ越して来たのだ。娘はまだ生まれてなかった。私はその時出張で北海道にいた。

その日の朝に運良くホテルに電話が通じて家族は無事との伝言を受けていた。その日の作業をやった後、客先の担当者が「ご心配でしょうから帰ってもいいですよ。」と言ってくれた事は覚えている。その言葉をその作業を終えるまでは言えなかったことも。

翌日、関空まで戻ってみたら、大地震などなかったかの如く全く普段通りに機能していた。やはり阪神間の交通は途絶したままだが、淡路島経由で帰れそうなことが分かった。途中、バスが渋滞で全く動かなくなった所で下ろしてもらって歩いて家まで帰った。社宅のアパートは無傷で建っていた。電気も来ていた。ただ水道とガスが止まり、食料が尽きかけていた。時折起きる余震が地震の大きさを物語っていた。

先代の車は私が独身の時に登山の足として初めて買った中古車。転勤後は通勤の為にも使い出したけど、普段は歩き、自転車、公共交通機関(乗客が殆どいないバスは勿体無いと思うが)を使う方が好きで、走行距離も伸び悩んでいた。体重50kgちょっとの物体を運搬するのに1トン以上の重さのものを動かす無駄が嫌いだった。とは言え、世界中の人々が大きな車に乗って石油をバンバン燃やしているのに、一人だけ文明のご利益を拒絶して不便な生活をするのも虚しい。交通の不便な所に行くときや重い荷物がある時、確かに車は便利な乗り物である。

その車が地震後は給水地点からの水の運搬、買い出しなどに大活躍した。約2週間後に水道が復旧した後も、ガスが復旧した約1ヶ月後までお風呂が使えなかった間はほうぼうの浴場までの送迎もした。どうやって通れることを確認出来たのは今となっては忘れたが、六甲山北側や山中を通って一度は実家と兄の家まで物資の調達やお風呂のため往復もした。

そうして我が家の車は、単に便利な乗り物からイザという時に家族を守ってもくれる存在に格上げされた。その後は通勤や(高速がつながってから)実家と往復するのにも使ったので走行距離もそこそこ伸びてきた。ようやく23年(その内1年半は前オーナー)で10万キロを超えた所で引退してもらった。古い車の自動車税を増税する暴挙と13年以上の古い車を廃車にして新車を買えば補助金が貰えるという飴玉によって、まだまだ動く先代には悪いけどアルト君に代わってもらうことにしたのだ。

そう言えば、まだ阪神間の交通が繋がっていない頃に東京の妻の実家に淡路島経由で関空に行って飛行機で帰省した(妻に何でこの時帰省したのか聞いたら、友人の結婚式に出たためだと)ことがあった。飛行機もエネルギー効率は鉄道より劣るから、利便性(や経済性)が変わらないなら使わない主義。飛行機を使った帰省はこの時だけだった。

動かせる鉄道路線をバスで繋いでようやく阪神間を通過できるようになった時。報道で知っていたとは言え、地震後初めて分け入った神戸の中心でその光景を見て本当に地震の凄まじさを実感した。場所のほんの僅かな違いで被害が大きく違う直下型地震。大変な目に遭っている人々がいるすぐ隣で殆ど被害に合わずに暮らしていることが申し訳なかった。