あえて節税せず

我が家の家計は配当金で賄っている。外国株の配当が基本収入で、株価が上がっても下がってもそれほど大きな変動はないが、為替変動の影響は受ける。その他に中国株に投資する国内投信があって、これは配当額の変動大きく或いは配当のない年も多いのでボーナスだと思っている。これらは全て源泉徴収口座にある。

従って、何もしなければ税金として2割ちょい(震災復興のため0.315%上乗せされている)取られておしまい。所得はゼロとされる。

これを申告することも出来る。配当金を申告すれば収入は申告した配当金の額になるが、そこから計算した所得税額と住民税額の合計が源泉徴収された税額よりも低ければ差額が還付される。

昔は配当毎に申告することができたので還付額が最大になるように計算して申告したものだ。しかし、今は源泉徴収口座毎に申告するかしないか決められるように制度が変わった。

私の場合は一つの源泉徴収口座に殆どの投資先が入っているので、それを申告すれば還付どころか追加で税金を支払わなければならないだろう。しかし、複数の証券会社に源泉徴収口座を作って投資先を分散しておいて、申告するかしないか選べるようにすれば節税になることは知っている。

だけど、分散しない。面倒くさいという理由もあるけど、申告して節税する事が出来ない状況をあえて作る訳だ。資産が増えすぎないように。そして税金を多く支払えるように。

考えてみれば、政府や地方自治体は資金を必要とするところに税金を公平に分配するための組織であるとも言える。だから節税して使い切れないお金を作ってからどこかに寄付するより、最初から節税しないでいてそれだけ税金を寄付した気分でいる方が賢明な選択だろう。

クリスマスの贈り物

ここまで日本の社会に浸透していたら、クリスマスなんてキリスト教信者の行事だから無視とは言えない。特に子供のいる家庭では。

我が家でも子供達にはサンタさんから毎年クリスマスの贈り物が届いた。大きくなるまでサンタさんの存在を信じさせる、というのは親の楽しみの一つだろう。だけど、帰省してきた娘にサンタさんを幾つまで信じていたのか今日聞いてみたら、小学校5年生位から信じている振りをしていたそうである。

ところで、娘はブログをやっている(私がブログを始めたのは娘の影響だ)。今年の私からの贈り物は娘が高校時代に使っていた弁当箱であるとブログに書かれていた。別にクリスマスの贈り物というつもりはなく、その前のブログでシーガル社の弁当箱(それが娘が高校時代に使っていたもの)が欲しいと書かれていたので、持っていけと言っただけ。

元々は私の弁当箱だった。娘が中学生になる時、弁当箱にこれを使うか聞いたときはかわいくないと激しく拒否された。その後、息子が高校生の時に弁当箱として使い、最後に娘も使うことになったという歴史がある。プラスチックの弁当箱に比べると油汚れもすっきりと落ちるし、シンプルなデザインも飽きない。我が家では弁当箱は使った本人が洗うという掟があるので洗いやすさは身に染みて分かるのだ。娘がブログで欲しいといっているステンレスの弁当箱は最近ネットで調べたという。似ているとは思っても、それが正に家にあるものとは知らなかったらしいけど。

ここまでは前置き。今年の父からの贈り物(息子にも)は、言葉だ。

「恥あり外聞なし」 そういう人になって欲しい。

恥も外聞もない、という言葉をもじって自分の生き方の信条を作った。恥や外聞の辞書的な定義とは異なるかもしれないが、恥とは自己を律する力、外聞とは他人の評価を行動の基準とする行為、と捉えた。

行動の基準は他人の迷惑にならない限り自分の欲するところ自由であるべきだ。他人の道理にかなった評価は謙虚に聞くべきだが、単に前例がないとかみっともないとか理由にならない批判を気にする必要はない。
一方、他人の目にふれない行為についてはどうか。外聞しかない人間なら隠れて悪いことをしても平気かもしれない。他人の目のない所でも自己の行動にぶれがないこと。これこそが私の思う恥の概念である。

思えば、オレオレ詐欺に引っかかる人も投資詐欺に引っかかる人も恥のない人である。お金をだして息子の不正をもみ消してもらおうとか、不当に儲かる話に乗ろうとするから騙されるのだ。たとえ不正によって得をしたと思っても、そのことで心には重い傷を負うことになるのだ。不正が明るみに出るかもしれないとびくびくしながら生活するその虚しさはどうだろう。

外聞ありの人は、世間で良いとされていることに合わせて行動する人である。世間で良いとされていることは概ね正しいとは思う。しかし全て正しい訳ではない。政府や企業は自分達の都合の良いように自分の頭で考えない大衆を導くことにかけては長けている。かつて戦争に非協力的な人達を非国民と呼ばせたように。

だから、外聞なしの人は自分の行動は自分の頭で考えて決める。大変だ。外聞なしの人になるには自分で考える習慣を身につけなくては。

はたして、子供達はこの贈り物を喜ぶだろうか?

休日の振込が実現すると

毎月20日が給料日なのだが、銀行が休みになるので昨日振り込んだ。

元々個人で使っていた銀行の同じ支店に法人口座を作った。その銀行では、ATMで同一支店に振り込むのは無料である。通帳に記帳もしたいので毎月支店に足を運んでいる。

そういえば、日経新聞に銀行が休日でも即時振込できるように計画している話が載っていた。(今調べたら、銀行間の振込が実現するまでまだ4年位かかるそうである。)

本当は毎月同じ日に振り込みたい。というのは、毎年の会計帳簿を前年のものをコピーし、変更点のみ修正して使っているため、日付は修正点が増えるから変わって欲しくないのである。毎年同じ事をやっていれば、一度作った帳簿を使い回すそのやり方は実に効率的なのである。

1.コピーして新しい年度の会計帳簿のファイルを作る。
2.日付は年号を一括で変換する。(例:2013 -> 2014)
3.取引の増減に合わせてスプレッドシートの行を追加したり削除する。
4.日付を修正する。
5.日付で行をソーティングする。
6.銀行口座残高と照合しながら、金額を年度初めからの取引順に変更する。

殆どの取引を銀行口座を介する形にするので、預金通帳に取引が全部記録されている訳で、帳簿は年に一回しか記帳しないけど、全く困らない。

ついでに自慢しておくと、グーグルドライブ上で動作しているから、今はやりのクラウド型である。近年は一年分の帳簿が全部でA3二枚に収まっている。我が家にプリンターはないので、USBメモリにPDFファイルにして入れてコンビニでプリントアウトしている。

実は現在でも、ゆうちょ銀行間の口座なら休日でも即時振込できる。しかも、ゆうちょ銀行は法人の口座でも基本料無料でネットバンキングが出来るのである。ゆうちょ銀行の口座間なら振込も無料。(今調べたら、利用している銀行の法人用ネットバンキングでは基本料月1680円、振込はいつの間にか有料になっていて3万円以上のとき一回あたり315円かかるそうだ。)

ネットバンキングなら、たとえ海外旅行していてもネットさえ繋がれば給与振込できることになる。書類提出が必要な会社の事務処理は1月と7月に集約出来るから、後は地球上好きな所で暮らすことも可能だ(あくまで可能性のみ)。

但し、ゆうちょ銀行では日本年金機構の保険料引き落としはできないそうである。二つの口座を持つのも面倒だし、さてどうしたものか。

ところで、給与振込よりも日本年金機構の保険料引き落としこそ変わって欲しくない日付である。引き落としの日付は毎月末日が原則なのだが、その日が銀行の休みにあたると、次の営業日が引き落としの日になる。日付の修正については給与振込と同じだが、その年度に引き落とすはずの保険料が次年度にずれ込むことで、未払金や預り金が残ってしまって会計が更にややこしくなるのだ。

給料日は子供達への仕送り日でもある。毎月の仕送り額に加えて、7月と12月はボーナスを出している。使い方は自由だけど帰省旅費を少し上回る額を目安にしてる。

会社に書類が届いた

このブログの目的の一つは会社というものを維持するのに最低限必要な事務がどれほどのものかを示すことにある。事業が社長の頭の中だけにあり、具体的には何一つ仕事をしていないとしか見えないこの会社がこなしている事務作業を記録するのはその目的に完全に一致すると言えよう。

さて、昨日はA市の市民税課から給与支払報告書を提出するための書類が届き、今日は同じくA市の資産税課 償却資産係から償却資産申告書を提出するための書類が届いた。

どちらもA市から届いたのだが、給与支払報告書の方は唯一の給与所得者である社長の私がA市に住んでいるからであり、償却資産報告書の方はA市に事業所があるからである。

もし、給与所得者が他にいて他の市町村に住んでいるならその全ての市町村から書類が届き、また我が社が他の市町村にも事業所があればその全ての市町村から書類が届くことになる。

給与支払報告書は税務署に提出する源泉徴収票と同じである。確定申告をしたとき、その情報は税務署から市町村へ伝わる。ならば、なぜ給与支払報告書を市町村へ提出しなければならないのか?

実は、源泉徴収票は支払金額が低かった人(役員は150万円以下、従業員は500万円以下)に関しては提出する必要がない。それゆえ、給与支払額の多少に関わらず給与を支払った全ての人についてその給与所得者の(給与を支払った翌年の)1月1日における住所地の市町村へ提出する必要がある(地方税法第317条の6)ようだ。

一方、償却資産申告書とは固定資産税を課税するためのもので、申告する資産がない場合(我が社)も提出する義務がある。償却資産とは、土地や家屋以外で事業の用に供されている構築物、機械、器具、備品などの資産(一般的に取得金額が10万円以上のもの)のこと。但し、自動車、軽自動車などは別に税金がかかるので申告の対象外。

どちらの書類も提出期限は例年は1月末日となるのだが、今年は土曜日に当たるために2月2日となっている。来年にならないと提出できないので、また実際に提出したら報告する。

我が家の男女平等

我が家は上が息子、下が娘である。男女どちらも育てて見たかったから二人目が女の子と知ってとても嬉しかった。実際、男と女の違いを観察するのは苦労も多い子育ての中で見つける楽しみの一つだった。

息子が地方大学に入学して家を離れ、家庭内の男女比のバランスが崩れた時、また改めて男女両方の子供がいる有り難みを感じた。今は娘もやはり地方大学に進学し、家庭内の男女比が元に戻って安息な日々を送っている。

とにかく、我が家は男と女のいる家族である。私は男と女のどちらが上という事はなく、それぞれの得意な分野が異なるのだと思っている。だから家事についても何もかも同じにする必要はなく、我が家は負担をなるべく平等にするという暗黙の了解でやって来た(と思う)。

かつてエンジニアとして勤めていた頃、平日の家事は妻に任せていた。しかし、休日は私も妻も家事に使える時間については対等の立場である。だから私が食事の後片付けを担当した。子育ては妻が主体だったが、出来る限り協力したつもりである。現在は全ての曜日において対等の立場なので、以下のように分担している。

妻:食事を作る。買い物。掃除。洗濯。アイロンがけ。
夫:食事の後片付け。デザートと飲み物の用意。時々の買い物の荷物持ち又は運転手。布団の上げ下ろし。風呂掃除。ごみ出し。窓の結露ふき。道具類の修理。朝のご飯炊きとお湯沸かし。

もちろん、私も食事を作ることはあるし、買い物をすることもあるが。朝のご飯炊きは、炊飯器を止めて圧力鍋でご飯を炊くことに変えようとした時にタイマーがない点で妻が躊躇していたから、私がやることにした。

食事の後片付けは調理器具も含めて全部、残り物を整理(捨てることは殆どない、冷蔵や冷凍したり少量なら私が食べることも)、食器は拭いて食器棚に戻し、流しを綺麗にし、生ごみを片付け、台拭きを洗って干すまで。二人暮らしになって手間が減ったとはいえ、一日三回やってれば合計三時間位(妻がやればもっと速いそうだが)はかかっている。

デザートは殆ど季節の果物か自家製ヨーグルトに自家製コンポート。たまにはケーキや和菓子を買ってくることもあるけど。飲み物は玉露粉の緑茶、紅茶、ほうじ茶、コーヒー(レギュラー)の順で頻度が多い。

家事以外の時間については私も妻も自由に好きな事をするのが暗黙の了解。妻には本当に自分のやりたい事を見つけて欲しかったし、その時間は十分にあげたつもりだけど、妻は結局その時間を持て余して今は生活費を稼ぐ必要もないのにパートの仕事をしている。女にはオシャベリ出来る環境が必要なのだとか。家にいてはその希望は叶わないそうだ。最もそのパートの仕事の不満もかなり。

子供達も小さい頃からお手伝いをさせてきた。布団引き。風呂掃除。ゴミ出し。布団畳み。洗濯物畳み。玄関掃除。など。お小遣いは一回10円の歩合制で、子供達は多い時には月に千円くらい稼いでいた。(高校からは歩合の他に月二千円)

息子と娘についても機会について差をつけないのが方針。習い事も学校も。幼稚園から高校まで二人共公立、大学は国立なのだが、滑り止めに私立も受けていたからこれは幸運な結果といえよう。将来も進学希望があれば叶えてやるつもりでいる。

日本の二大政党

衆議院選挙が始まった。

家の近くの掲示板に張られている候補者はたった二名。自民党と共産党の候補者しかない。これが現在の日本の二大政党なのだ。

大政党を自負している政党であっても候補者がいなくては民意を問うことにならない。勝ち目がないなら立候補しない。一見合理的な判断かも知れない。しかし、それは自分達の政党の都合だろう。それが有権者のことを本当に考えている政党のやることかと思う。

共産党、私はもはや増税なしに財政を立て直すのは不可能と思っているから、その主張している政策がうまくいくとは思えない(ちなみに、予定通りの消費税増税を主張している政党は一つもない)のだが、常に民衆の立場で発言し、発言に一本筋が通っていることは評価したい。

子孫に残すもの

幸いにも子供が二人いる。私の人生とは何だったのかと人に問われて、少なくとも子供を(妻と共同で)育てたことだけは答えられる。

生物は子孫を残すために活動すると前に書いたが、単に自分の遺伝子を次世代に繋ぐというのであれば知性のある人類とは言えない。その文化を次世代に繋いでこそ、子育てだと思う。

偉そうに言っているが、私の場合は別にそんな考えなしに子供が生まれた。赤ん坊のうちは妻の負担を減らすために手伝っただけである。女は子供を産んだ時から母親になれるらしいが、男は子供の成長と共にだんだんと父親になっていく。産まれた時は人間の形をしたおもちゃが家にやって来た、ぐらいの感想だが、世話をやいている内に段々と可愛く思えてくる。色んな事が出来るようになってまた嬉しく思う。

子育てとはそういうものだ、と思っていたのだが、先日、こんな体験をした。自分が常々語っていた価値観を子供が至極当然な事として喋っていてとても嬉しく感じたのだ。子育ての喜びにこんな形があるとは今まで思いもしなかった。

自分の子供とはいえ、独立した人格のある人間であって、親の所有物ではなく、ただ、社会から成人するまで養育を委託されているのだ、という想いでいる。ただ、その間の養育のやり方は親の自由だ。社会で生きていく力をつけてやり、社会に送り出すその日まで、次世代に繋ぎたい(親の)価値観を伝えてやるのが知性ある人類としての子育てだろう。

たとえ自分の子供がいなくても、自分の価値観を何らかの形で(例えば書籍とかブログで)残すことが出来るのなら、それで満足できる気がする。

強欲のみなもと

先日、テレビで屋久島の猿の生態についての番組を見て考えた。

屋久島は猿の餌になる木の実など食料が豊富ではあるが、猿?口密度も多くて、グループ間の餌場を巡る争いも多くて決して楽に暮らしている訳では無さそうだ。争いに負けたグループは消滅してしまうという。生存を懸けた争いなのだ。

だからグループの結束は固いのだが、その一方でグループのオスには序列の峻烈な争いがある。それは喧嘩の強さで決まる。そして弱いオスは強いオスに対して恭順の姿勢を見せるという。(テレビからの情報はこの辺まで) そして、その順序が意味するのはメス選びの優先権だと思う。

猿のグループではリーダーが全てのメスを独占する訳では無さそうだ。それは選んだメスやその子供の面倒も見なくてはならないからではないか。だから下位のオスにも子供を持つチャンスはあるのだが、メスはリーダーに選んで貰いたいはず。なぜなら、強いオスの子供の方が死亡率が低いらしいから。

今まで私が学んできた生物というものを一言で表現すれば、それは子孫を残すために活動するもの、と言い切れる程に巧妙な仕掛けがその生物の種に備わっていて、猿社会における本能的な行動もその一つの形態だろう。

人間も知性の下には猿同様の本能が備わっているのだろう。さすがに喧嘩で序列を決める事は少ないが、会社で出世や収入を競ったりするのはその現れではなかろうか。そして、会社というグループを離れてもっと大きな集団で競うなら、資産額が大きい程順序が上という価値観が生まれる。これが必要な額を超えて留まることを知らない強欲のみなもとなのだと思う。

男が女を選ぶ基準はまず美人かどうか。実はこれも本能的なものらしい。最近の実験では、色々な女性の顔を平均して作った顔こそが美人なのだという。それは病気をせず、よい条件で育った証である。つまり男性は本能的に子孫が繁栄する可能性の高い方を選んでいるのだ。

一方、女性も強い男性に選ばれる事を望んでいる、と思う。これも猿同様の本能のなせる業。男が金に貪欲というなら、女は美貌に貪欲なのだ。

しかし、社会保障制度も整いまた医療も充実した現代では、収入や財産、母親の容姿では子供の死亡率も変わらない。人間には猿にはない知性がある。知性を磨けば猿の本能の呪縛から離れ、自由な生き方ができるだろう。

自家用法人の経営を趣味とする

昨日は給料日だったので、いつものように自分への給与振込と子供達への仕送りをした。ついでに今回は会社ネタについて書いてみる。

あえて事業を目的としないのに(やるのも可)手間もお金もかかる自分の会社を「自家用法人」と名付けてみた。それは自家用車が趣味のものとはいえ、重い物を運んだり病院へ行くような時にたよりになる存在であるのと同様に、持って満足かつ頼りになるものだ。

最大の利点は厚生年金と協会けんぽに入れること。

以前のブログに、45歳未満で早期退職した場合に本人にもしものことがあっても遺族厚生年金は出ないと書いた。しかし、会社を作って給与を自分に支払っていれば厚生年金の現加入者なのだから年金受給資格の加入期間に達していなかった場合でも遺族厚生年金は出ることになる。

また、早期退職後無職の場合と比べて、配偶者を被扶養者にすれば(本人と配偶者の)国民年金の支払いも要らなくなるうえに本人の年金額には厚生年金の上乗せ分が増える。

協会けんぽとは、大手企業のように自前の健康保険組合を作る程の力のない企業向けに政府が作った健康保険の組織である。就職して無ければ加入することになる国民健康保険と保障内容はおそらく同一である。(以前は自己負担額などが有利だったが、今はどちらでも3割負担。他に細かな違いがあるかもしれないが。)

では、国民健康保険よりも協会けんぽのどこが良いのか、というと保険料が給与金額のみで決まることだ。一方、国民健康保険は所得額や固定資産額や家族の人数で変わる。

株式や投資信託の配当金で暮らそうとした場合に、源泉徴収された税金は申告することでかなり取り戻せる訳だが、そうすると所得は増える。会社を作る以前にそうやって戻る額が最大になるように申告したことがあったのだが、その結果、保険料がほぼ限度額まで上がってしまい、申告して損した苦い経験がある。

実際の保険料はどうか。現在住んでいる自治体で4人世帯の場合、配当金の申告をせず所得がないとすると、国民健康保険料は7割軽減される(世帯所得が33万円以下の場合)ため年額61,700円だ。一方、限度額は81万円である。

国民年金は月払いだと1人15,250円だそうで、2人分で年間366,000円になる。所得が無ければ年金保険料の免除申請が通るかもしれないが、それで年金は減らされるし、納付が困難でないのなら免除申請などすべきではない。

かたや会社を作った場合はどうか。厚生年金の保険料も協会けんぽの保険料も給与の額で変わる。私の給与の額だとどちらも最低のランクに属する。社会保険料は会社と折半とはいえ、会社も含めて自分のものなのだから、その全額で比較する。今月は健康保険料6,797円、厚生年金保険料17,124円、児童手当拠出金147円の合計24,068円だった。但し、児童手当拠出金は会社側だけが負担することになっている。
これを12倍して年額とすると288,816円である。(実際は息子が成人したため、これとは別に国民年金保険料を払っている。)

無職世帯なら年間427,700円の保険料のところ、それよりも安くて、厚生年金の上乗せがあって、しかも配当金の申告をして所得が増えても保険料は増えないのだ。

初めて健康保険証をもらった時、事業所所在地は自宅、そして保険証の番号は1番(社長だから、というか1人しかいないからだけど)という記載に思わずニヤリとしたことを思い出す。自分の会社の実在を示す数少ないアイテムである。

しかし、会社を持ち、それを維持していくのは自家用車と同様に大変だ。

まず税金。赤字でも法人県民税と法人市民税のそれぞれ均等割は支払う必要がある。これは法人が登記されている自治体により異なるが、自分の会社の場合は年間それぞれ22,000円と60,000円かかっている。

そして会計の記帳と決算、法人税の申告と難関が続く。自家用車に例えれば車検みたいなものだろうか。事業をやってなければとてつもなく少ない会計ではあるが、もしこれらを税理士に頼めば恐らく年間数十万円は必要となり、先程の社会保険料の節約分など簡単に吹き飛んでしまう。

世間では、事業がうまく行かない訳ではないが法人申告の大変さに音をあげて個人事業に戻す例も少なからずあるのではないかと思っている。もし法人運営を一個人でも簡単に出来るようにすれば、会社に雇用される以外の就業形態も取りやすくなるのではないだろうか。

そこで素人でも会計と申告ができるように色々研究し、これまで税理士に頼らず法人申告をやってきた。そうして作り上げた独自の会計システム。ああ、これがやりたかった事の一つだなと思えてきた。これは後日詳しく紹介したい。

その他細々した仕事もあるのだが、その都度ブログで報告していきたい。

お金持ちとは資産の管理人にすぎない

富者を羨む気持ちを戒める言葉を新しく作ってみた。

お金持ちにも色々ある。事業に成功した人。こつこつ貯金した人。先祖から財産を受け継いだ人。宝くじにあたった人。投機があたった人。投資がうまく行った人。

お金を持っているから偉いって言える人はいるのだろうか。社会に貢献するような事業に成功した人は、それは偉いと思うが、その結果としてお金持ちだとしても偉い理由は別だ。

結局、お金を持っていること自体には偉い理由は存在しない。

自分のお金って、持っているだけでは自分が管理しているものに過ぎない。自分の為に消費して初めて自分のものになる。…あれっ? 消費したらお金なくなっちゃうんだけど?と思われるかもしれない。だけど、自分の為に消費して、それが自分の知識や経験に変化すればもう誰もそれを奪うことはできない。逆に管理が悪ければ簡単によそに移っていく。所有権はあっても本当に自分のものではないのだ。

物を買うのは消費ではなく、投資に当たる。家や車を買ったとしても、それは本当に自分のものになってはいない、使って減価償却した分だけが自分のものになったと考える。再販価値がなくなるぐらい改造しまくった愛車だったら本当に自分のものかもしれない。極端な話、名画を自分の棺桶に一緒に入れて焼いてくれと言い残した人の気持ちも本当に自分のものにしたいという意味で分かる気がする。

お金は消費してこそ意味がある。自分で使い切れる範囲を超えたお金持ちは、他人が使うことになるお金を管理していくことになる。管理するためには自分の大事な知恵も時間も懸けねばならぬ。誠にご苦労様なことである。自分が必要とするお金以上に欲しがるのは知恵のある人のすることではない。

もしお金持ちが偉いというなら、それは単にお金を持っているからという訳ではなく、その人が管理しているお金を使って社会に貢献した結果であろう。

ねずみ講国家

どうしてこの国の政治は経済成長について一喜一憂し、人口減少におびえているのか?
永遠に成長を続ける訳にはいかないし、人口も多すぎない方が暮らしやすいはずなのだが。
しかし、もう膨大な借金をしているし、人口増加の前提で社会保障制度も作ってしまったから何が何でも成長し続け、人口減少も止めねばならないのだ、というのが政治家の言い分。

これって、問題の先送りではないだろうか。はっきり言ってねずみ講そのもの。未来の世代で必ず行き詰まる。今苦しくてもなんとか持続可能な社会にしないと未来の世代が可哀想。このままではラパ・ヌイ島の悲劇が日本で起きる。

少子化が問題になっているのは社会保障制度の設計がまずかったためで、環境にとっては好ましい出来事だろう。だから無理に増やそうとしない方がいい。持続可能なレベルまで少なくなったら、きっと人口減少は止まると思う。

国の借金はしょうが無いから増税して返そう。財政が行き詰まって大混乱になるよりはマシだと思うから。

証券営業さんに早期退職を勧めてみた

ブログを始めてから、改めて自分の生き方について色々考えている。そうすると今まで気が付かなかった書籍にも自然と目が向く。最近読んだ本で強い共感を抱いたものとして次の2冊を挙げたい。

「プレニテュード 新しい<豊かさ>の経済学」 ジュリエット・B・ショア 著 岩波書店 2011年11月

働き過ぎを改めることが地球環境を守り、時間的余裕という物質的とは異なる観点の豊かさを手に入れることに繋がるという主張を膨大な資料を使って説明する。事例は米国だが、日本も米国の忠実な犬だからこれがそっくり当てはまる。

「非電化思考のすすめ」 藤村靖之 著 WAVE出版 2012年8月

こちらは発明家で非電化工房を主宰している人が書いた本で、この人の生き方そのものが語られている。お金とエネルギーに依存しない生活というのがテーマである。
以前、この人が書いた別の本を読んだことがあって、放射冷却の原理を使った冷蔵庫とか感銘した。この本では非電化工房をテーマパークにして多くの見学者や住み込みの弟子を受け入れたりして、自分のアイデアを自分一人のものとせず、世の中に広めようと活動してるこの人の生き方に感銘した。

このように、私の生き方の基本姿勢は既に多くの本で語られている。このブログで改めて語るほどのものではないのだが、まだまだ実践している人も少なく、早期退職から11年破綻せずにやってきた実例として後に続く人の参考にはなるだろう。

2chやブログ村で早期退職する人の話を読んでいると、殆どは独身の人で、家族持ちの事例は殆ど見かけない。だから、このブログの情報にもきっと意味があると思いたい。

ところで、今朝、風呂掃除をしていたら電話が鳴った。出ると証券会社の営業さんだった。(以下の会話は要約)
営 「この間お薦めしていたアリババが随分上がりましたよ。」
私 「買っていたら資産が増えすぎて困ったことになっていたね。」
営 「何か買いませんか?」
私 「これ以上資産を増やす必要もないから、もう売り買いせず、配当だけもらえばいい。」
営 「もっと儲けないのですか?」
私 「儲けていったい何に使うのか?」
営 (不意を突かれて一瞬言葉が出ず)「えーっと、基金を作るとか? 交通遺児の子供達に奨学金を出すんです。」
私 「そこいらの似非基金がやっているだろ。私はもう投資のことで時間を使いたくはないのだ。人生残された時間は意外と少ないよ。これからは自分のやりたいことだけに時間を使いたい。」
営 「うらやましいです。どうすればお客様のようになれるんですか?」
私 「早期退職すればいい。45歳過ぎたら再就職しなくても(無職でも)万が一の時に遺族厚生年金がでるから辞め時だよ。」
営 「…」

これで営業の電話も減るな、きっと。

遺族厚生年金は現被保険者(つまり厚生年金に加入している人)か厚生年金の受給資格を満たしている人に万が一のことがあった時にその人によって生計が維持されている妻や子供(18歳まで)などが受給できる。厚生年金の受給資格は加入期間25年以上だから、
家族持ちの早期退職は45歳まで待つのがお薦め。(ちなみに、遺族基礎年金の方は何歳で退職していても国民年金に加入していれば出る。)
私の場合は偶然にも45歳だった。昔は国民年金が学生は任意加入だったからその間は入っておらず、退職時には年金加入期間はまだ20年だったけど、20歳から入社時点までの期間は学生だったので受給資格期間とみなされる。退職前にこのことは確かめた。

年末調整の書類が届いた

私は会社という存在に必要な事務的作業をどこまで減らせるのかということに興味があり、自分で会社を運営して実験している。そして、このブログでは実際に行った手続きを記録していきたい。

さて、先日税務署から年末調整の書類が送られてきた。

その書類には次の2種類がある。
 1会社から給与を支払っている人に対して記入してもらい会社が保管するもの
 2会社が書いて提出するもの

年末調整って簡単にいうと、会社が給与を支払っている人の所得税の申告を会社が個人に代わって税務署に申告するという制度なのだ。

会社には所得税の源泉徴収をする義務が課せられていて、給与の額から計算される税額を決めて給与から控除して税務署に収める。そして、さらに国は会社に、給与を支払っている人が確定申告する代わりにその人の所得税額を計算し、その年に徴収してきた源泉徴収額との差額をその年最後の給与の源泉徴収で精算するという義務を課している。
その為に、各給与受給者は会社に対して自分のプライバシーである家族の生年月日や配偶者の所得や生命保険料や住宅ローン額を教える羽目になる。
国はこの制度を介して国民を社畜にしたいらしい。また住宅はローンで買え、生命保険には入れ、配偶者はパートで働けとも言いたいようだ。

さて、実際の事務作業だが、会社=私=全ての給与受給者という事情があるため、1の書類は1月の給料日の前日がリミット、2の書類は1月末がリミットなので、例年来年になるまで何もしない(封筒すら開けない)のだ。

又、実際の作業をしたら報告したい。

職業訓練で起業を学ぶ

退職は会社都合の扱いだったから、待機期間なく失業保険が貰えた。当時は起業準備中の人は失業保険は貰えないことになっていたが、私の場合は具体的には何も決まってなかったから違法ではなかろう。何せ失業保険の受給中に受けられる職業訓練の中に起業コースがあったのだから。

その起業コースは、ある資格予備校の校舎で3ヶ月間にわたって経営の基礎を学ぶ。複式簿記、会計、マーケティング、雇用など、短い期間だったが充実した内容だった。大学の経営学部とか商学部などで教えているのと同じ内容ではないだろうか。

ここで学んだ仲間は私を含めて15人いた。職業訓練中に受給が終わる人も訓練が終わるまで受給が延長されるため、それを目当てに起業が本心ではない人もいたかもしれないが、未だに年賀状を送ってくれる2人は現在自分の会社を持っている。私を含めて3人以上は少なくとも再就職しないで10年以上過ごしている。かなりの成功率ではないだろうか。

私が弁理士資格を取ろうと思ったのもこの校舎でパンフレットを見たのがきっかけだった。雇用保険から受講費用の補助が出ることも決断の後押しをした。合格には至らなかったのだが、法学の基礎は十分身についたから元は取れたと思っている。

お仕事は何ですか

最近はインターネットが普及して楽になった。
お仕事は何ですか?と聞かれた時に、「ネット関連の仕事を自宅でしてます。」と答えれば特に怪しまれることはないのだ。これは嘘ではない、ネットを使って勉強したり事業のネタを考えたりと色々やっている。問題点はそこから収入がないだけだ。

書類に職業を書かねばならないこともある。例えば子供たちが進学する度に。会社を辞めた後は無職である。実際は投資の収入はあるのだが、投資家と書くわけにもいかない。そんなものは自称に過ぎないのだから公的に何か証明出来るものが必要だな。税務署に開業届を出しておくとか。

別に無職でも恥ずかしがることはないんだけど、定年になるまでは働くのが当たり前という刷り込みがある。それに事件を起こす人には無職が多い。高校生と同じ年頃でも学校に所属してなければ無職だし、この人の職業は泥棒でしょうと思ってもやっぱり無職と報道される。やはり無職とされると何か暗いイメージがついてしまう。

ところが同じ泥棒でもその人が組織に所属していれば暴力団組員などと肩書きをつけて報道してもらえる。やはり肩書きは社会に出るに当たっての必要不可欠のものらしい。もう何かの組織に所属する気はなかったから、肩書きのために弁理士になろうと思った。情報関連の仕事をするのに知的財産権のことは知るべきなのだから、たとえ合格しなくても勉強が無駄になることはない。

弁理士は技術系の仕事とはいえ、試験は全くの法律の問題である。それまで文系の科目は理屈なしに暗記ばっかりさせられて毛嫌いしていたんだけど、法律の勉強は意外にも面白かった。そこには理屈がある。

試験は年1回、3年連続で短答式試験は合格したんだけど、論文試験は受からなかった。単に肩書きが欲しいという希薄な動機では突破できないようだった。2年目には会社を作って会社経営者という肩書きを手にしたということもあった。こうして4年目には短答式試験にまで落ちて、私の弁理士試験への挑戦は終わった。

常識が正しいとは限らない

資本主義って、人々が働けば働くほど富裕層がますます豊かになるように出来ている。こんな世の中でも資本主義が正しいと思うのが常識らしい。それは個々の人たちが自分の頭で考えて出した意見という訳ではなく、学校教育やマスコミの意見として刷り込まれたものだ。為政者が自分に都合のいいように常識を作ることはたやすい。

幸いにも、この国では言論の自由があって、為政者の意向に反して資本主義は必ずしも正しいとは限らない事実、江戸時代には人々は平均労働時間が数時間でも楽しく暮らしていたらしいとか、キューバやブータンでは物質的には恵まれなくても満足しているらしいとかいう情報を得ることも出来る。

これらを踏まえて、私は働き過ぎるのは自分のみならず、社会にとっても良くないことだと思うことにした。別に社会制度を変えようとかでなく、自分一人の心がけなんだけど、程々に働いて程々の収入を得るのが一番。だけど、程々に働こうとしたら非正規雇用しかなく、非正規雇用ならフルに働かないと生活費が稼げない程収入が低いという矛盾。そうだったら、普通に正規雇用で働いて早期隠居を目指すのが賢明だろう。こんなことはリストラされるまで考える暇もなかったんだけど。

今日は給料日

ブログの設定でメールからでも投稿できることを知って、初めてやってみる。

タイトルの通り今日は給料日だ。自分一人の会社を作ったんだけど、なんでそんなことをしているのかは後々語りたい。

とにかく、毎月の主な社長の仕事が自分の給料の振り込みだ。
社長なら給料じゃ無くて役員報酬だろうと思う人もいるはず。確かにそうなんだけど、報酬日なんて言葉も無いからね。報酬も給与所得に分類されるのだから、まあそれで良しとする。

給料は54200円でずっと変わってないんだけど、振り込み額は半年毎に少しづつ減っている。10月(今月だ)からは厚生年金が上がって、4月からは健康保険が上がって、その繰り返し。
給料の額は給与所得がゼロ(年間65万999円以内だと給与所得控除と端数処理で所得額がゼロになる)になるように決めた。雇用者なら社会保険加入者にはあり得ない額だけど、社長だから最低賃金お構い無しで決められる。

それと、二人の子供たちに仕送りを振り込む日も忘れないように同じ日にしている。

それはリストラから始まった

それまで就職し定年まで働き続ける生活というものに何の疑問も抱いてなかった。

会社からあなたはもう必要ないと言われた寂しさ。でも集団で何かするよりも一人でやる方が好きという自覚もあった。元々倹約する生活で蓄えがあって退職金も割増で貰ったから暫く無収入でも平気だった。
だから、もう二度と宮仕えはしないと心に決めた。この決断を与えてくれたことについてはリストラされたことに感謝してる。

それ以来何か事業をしようと模索し、早くも11年と3ヶ月が過ぎた。そして最近ようやく気がついた。そもそも働く必要があるのかと。リストラ当時、小学生だった二人の子供はもう大学生になっていて、この先の支出も先が見えた。生活費は資産運用で退職時から目減りせずにやりくりできている。

そこで、今まで事業のネタになるかもしれないと温めてきた色々なアイデアを世の中に公開していくことにした。投資、情報リテラシー、教育、語学学習、会社運営など。ついでに車の改造(趣味)。

こぶり主義というのはこれらに通底する思想として勝手に命名してみた。「量より質」、「節約」、「一人で掌握できる規模の心地よさ」、「環境にやさしい」などの気持ちの集合体だ。経済規模をひたすら拡大していこうとしている資本主義が地球を破滅させないようにするために、対立する思想として世の中に広まっていくことを願う。