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2014年11月28日金曜日

子孫に残すもの

幸いにも子供が二人いる。私の人生とは何だったのかと人に問われて、少なくとも子供を(妻と共同で)育てたことだけは答えられる。

生物は子孫を残すために活動すると前に書いたが、単に自分の遺伝子を次世代に繋ぐというのであれば知性のある人類とは言えない。その文化を次世代に繋いでこそ、子育てだと思う。

偉そうに言っているが、私の場合は別にそんな考えなしに子供が生まれた。赤ん坊のうちは妻の負担を減らすために手伝っただけである。女は子供を産んだ時から母親になれるらしいが、男は子供の成長と共にだんだんと父親になっていく。産まれた時は人間の形をしたおもちゃが家にやって来た、ぐらいの感想だが、世話をやいている内に段々と可愛く思えてくる。色んな事が出来るようになってまた嬉しく思う。

子育てとはそういうものだ、と思っていたのだが、先日、こんな体験をした。自分が常々語っていた価値観を子供が至極当然な事として喋っていてとても嬉しく感じたのだ。子育ての喜びにこんな形があるとは今まで思いもしなかった。

自分の子供とはいえ、独立した人格のある人間であって、親の所有物ではなく、ただ、社会から成人するまで養育を委託されているのだ、という想いでいる。ただ、その間の養育のやり方は親の自由だ。社会で生きていく力をつけてやり、社会に送り出すその日まで、次世代に繋ぎたい(親の)価値観を伝えてやるのが知性ある人類としての子育てだろう。

たとえ自分の子供がいなくても、自分の価値観を何らかの形で(例えば書籍とかブログで)残すことが出来るのなら、それで満足できる気がする。