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強欲のみなもと

先日、テレビで屋久島の猿の生態についての番組を見て考えた。

屋久島は猿の餌になる木の実など食料が豊富ではあるが、猿?口密度も多くて、グループ間の餌場を巡る争いも多くて決して楽に暮らしている訳では無さそうだ。争いに負けたグループは消滅してしまうという。生存を懸けた争いなのだ。

だからグループの結束は固いのだが、その一方でグループのオスには序列の峻烈な争いがある。それは喧嘩の強さで決まる。そして弱いオスは強いオスに対して恭順の姿勢を見せるという。(テレビからの情報はこの辺まで) そして、その順序が意味するのはメス選びの優先権だと思う。

猿のグループではリーダーが全てのメスを独占する訳では無さそうだ。それは選んだメスやその子供の面倒も見なくてはならないからではないか。だから下位のオスにも子供を持つチャンスはあるのだが、メスはリーダーに選んで貰いたいはず。なぜなら、強いオスの子供の方が死亡率が低いらしいから。

今まで私が学んできた生物というものを一言で表現すれば、それは子孫を残すために活動するもの、と言い切れる程に巧妙な仕掛けがその生物の種に備わっていて、猿社会における本能的な行動もその一つの形態だろう。

人間も知性の下には猿同様の本能が備わっているのだろう。さすがに喧嘩で序列を決める事は少ないが、会社で出世や収入を競ったりするのはその現れではなかろうか。そして、会社というグループを離れてもっと大きな集団で競うなら、資産額が大きい程順序が上という価値観が生まれる。これが必要な額を超えて留まることを知らない強欲のみなもとなのだと思う。

男が女を選ぶ基準はまず美人かどうか。実はこれも本能的なものらしい。最近の実験では、色々な女性の顔を平均して作った顔こそが美人なのだという。それは病気をせず、よい条件で育った証である。つまり男性は本能的に子孫が繁栄する可能性の高い方を選んでいるのだ。

一方、女性も強い男性に選ばれる事を望んでいる、と思う。これも猿同様の本能のなせる業。男が金に貪欲というなら、女は美貌に貪欲なのだ。

しかし、社会保障制度も整いまた医療も充実した現代では、収入や財産、母親の容姿では子供の死亡率も変わらない。人間には猿にはない知性がある。知性を磨けば猿の本能の呪縛から離れ、自由な生き方ができるだろう。