このブログを検索

ラベル 足るを知る の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 足るを知る の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年11月21日火曜日

ネスカフェも こぶり主義

先日、近所のスーパーに妻と買い物に行ったら、こぶりになったネスカフェが置いてあった。前回買った時は15g増量で久々に昔の大きさの瓶だったから、一層小さく見えた。

でも、広告の品と書いてあったし、新しく買う必要があったから買ってきた。

ネスカフェ瓶の変遷

我が家ではインスタントコーヒーはネスカフェゴールドブレンドが定番になっている。他のものも試した事があるけど、私の好みではなく、結局はいつも元に戻っている。レギュラーコーヒーも飲むけど、朝起きての一杯は大抵手早く飲めるネスカフェだ。

ずっと以前から瓶の大きさは150gだったが、ここ数年は135gになっていて、今回とうとう120gまで小さくなった。


そう言えば、瓶では無く、詰め替え用の簡易なパックも売っていたが、瓶の製品よりも割高になるから買った事はない。その詰め替え用は120gだったはずだが、それも今や105gに減っているらしい。

原料が上がった時の対応について

前回買った値段をはっきり覚えている訳ではないが、いつもお買い得の時に買っていて、いつも同じ程度の値段のようだった気がする。今回は税抜きで598円だった。

世界的にカフェブームらしく、今まで豊かでは無かった国々の人達もこぞってコーヒーを飲むようになって来たから原料が上がるのも仕方ない。

製品が段々と小さくなると言えば、バターがそうだ。昔は一箱225g(1/2ポンド)だったのが200gが当たり前になり、バター品薄の時には「あっ、安い」と思って手に取ったら箱がいつもより薄いと気付き、そこで初めて150gしかないと分かった。(最近は200g箱が復活)
そう言えば、我が家が贔屓にしているパン屋さんのバゲットも最近心持ち小さくなったようだ。妻もそう思ったから間違い無いだろう。
チーズもまた値上がりしている。安いスライスチーズを買って食べたら美味しくない。良く見ると原料にセルロースなどというモノが入っている。それからチーズ売り場で注意するようになった。混ぜものが無いものは高いから、大抵は値段で区別が付くが用心した方が良い。

特に、粉チーズはセルロース(粉が固まるのを防ぐ効果があるらしい)が入ってないものの方が少数派である。

このように、原料が値上がっても、それを製品にどのように反映するのかには3つの方法がある。
  1. 価格を上げる
  2. 量を減らす
  3. 品質を落とす
この中で、やって欲しくないのが品質を落とす事。残る2つはどちらでも良いが、(りんご1個とかでは無理だが、)量が減らせる場合はその方が良いように思う。

量が多いと無駄になる場合もあるし、消費に時間が掛かれば鮮度も落ちる。インスタントコーヒーの香りも飛ぶ。

そして、このような変化に対して消費者も消費量を抑えるように変化するべきだ。(購入金額を増やさなければ消費量は減る)

皆が以前と同じように消費しようとするから価格が高騰するのだ。少し消費量を抑えた分だけ他の楽しみを見つけたりすれば、より一層豊かな生活を送ることが出来ると思う。

2017年10月10日火曜日

吾唯足知の意味

図書館から先日借りてきた 「財政破綻に備える 今なすべきこと」 というタイトルの本を読んだ。

この本の著者は古川元久という衆議院議員で、民主党政権時代には大臣を勤めたこともある人だが、今回の衆議院選挙では希望の党から出馬するそうである。

消費税増税させないと言っている希望の党に加わるのは財政破綻を促進させる行為であるが、議席の方が大事なのだろう。

足るを知る

その著書の中で、「自立した地域社会」 と 「足るを知る」 という提言をしていた。つまり、著者は財政破綻を不可避だとして、そうなった場合の事を書いているのだ。と言うことは、希望の党に入るのは著書と矛盾している訳では無い?

戦後の混乱期、お金の価値が暴落していく中でも農村地帯では食うに困らなかった例を挙げたり、経済成長を目的とするのが正しいのかとウルグアイの元大統領 ホセ・ムヒカ氏の言葉を引用したりして、財政破綻した時のショックを和らげる策を説明していたが、私はそれとは別の話に興味を持った。それは、京都の龍安寺の裏庭にある蹲居(つくばい)に印された文字のことだ。

蹲居とは、茶室に入る前に手や口を清める手水鉢のことだが、この蹲居は一説によると、徳川光圀の寄進だとされる。円柱形の石で出来ていて上面には水を貯める正方形の窪みがあり、その正方形の四方に文字が描かれているが、真ん中の正方形を口偏に見立てているところが洒落ている。字の向きは揃っているのでどの方向が上になるかは分かる。(著作権の為、ここには載せないが、ネット上に写真は色々あるので確認出来る。)

上から時計回りに読むと、「吾唯足知」と読める。それを件の本では(われ ただ たるを しる)と紹介しているが、私は漢文なら「吾唯知足」の順ではなかろうか、と思った。

漢文とは古代の中国語に他ならず、その語順は 動詞→目的語(これは現代中国語と同様)のはずである。

そもそも、どういう順番に読むべきかも不明で、数学的に言えば24通り(4!)の読み方が存在するけど、漢文として意味があり、かつ順序的にも不規則ではないものとなると限られる。
  • 唯吾知足 (反時計回り) 私だけが足ることを知っている
  • 吾唯足知 (時計回り) 私はただ知を足すのみである
それで、知足に拘るなら上の解釈だが、足知という順でも意味が通じるのではないかと思ったのだ。つまり、勉学に集中する宣言だと。…検索しても足るを知るのことばかりで、こんな意見は何も無いが。
しかし、口偏の位置が真ん中なので、この4つの漢字なら字の配置はこれ以外はあり得ない。すると、この文の意味を字の並べ方から考えるのは正しくないのかも知れない。
読みの順番で、上→右→左→下という説を後で発見した。確かに、上から下の流れは自然で、真ん中は2つあるから、右→左の順で読めば良い。これなら吾唯知足になる。 

2017年8月20日日曜日

関電ガスに切り替える

この春、ガスを大阪ガスから関電ガスに切り替えた。しかし、逆に電気を関西電力から大阪ガスに切り替える、というもう一つの選択肢もあった。何もしないのが、一番損するようだった。

切り替えるきっかけは、関西電力から関電ガスの申し込み書類が届いたから。大して考えずに決めたのだが、今頃になって原子力発電には反対しているのだから電気を大阪ガスにするべきだったのでは、とか思う事もある。大阪ガスの電気は大半が天然ガスの火力発電で、勿論、原子力発電の電気はゼロなのだ。

はぴeみる電のIDが別れる

こっちから依頼した訳ではないけど、申し込み書類は関電の全顧客に送っているようだった。でも、その申し込み用紙など使わずにネットで申し込めるはずだと、関西電力が運営している「はぷeみる電」のIDを作って、申し込んだ。

初めて見る「はぴeみる電」だったが、電気料金だけでなく、ガス料金も見られるようになっている。勿論、この時は(過去も含めた)電気料金しか見られなかったが。

それから暫く経って、もうとっくに関電ガスに切り替わったと思われる時期になってもガス料金は出て来なかった。おかしいなぁ、問い合わせて見ようかと思っていたら、関電ガスから「はぴeみる電」のIDのお知らせという書類が届いた。

そのIDでアクセスすると、今度はガス料金は見られるが電気料金は出て来なかった。まさか、そういう設計ではあるまい、と思ってメールで問い合わせたら、カスタマーサービスに電話する必要があるとの事。後日、電話して後から来たIDの方を破棄して貰おうとしたら、そちらのポイントが無効になるとの事。一度電話を切って、ポイントをナナコのポイントに移してから再度電話して、無事目的を果たした。(ID名を変更する事は出来るようになっているのだが、最初のIDのアカウント…ポイント少ししか貯まってない…を破棄して、後のIDのアカウントでID名を最初のID名…つまり一度登録したことのあるID名…に変更することは出来ないとの事。)

翌日、ログインしてみると、電気料金もガス料金も出てくる。当たり前かもしれないが、トラブルの後だとちょっと感動する。

時間毎の表示に驚く

その後、暫く放ったらかしだったが、先日水道料金の検針票がポストに入っていた。そういえば、これも「はぴeみる電」に記録出来るんじゃないかと思ってログインすると、まさしくその通りだった。

水光熱費がこのIDに集結する。素晴らしい。そして、節約の励みになるような数々の仕掛けがあるのにやっと気付いた。自分の住むエリアで貴方の消費量は多いのか少ないのか表示してくれる。あれっ、月毎の消費量だけだと思っていたのに。自宅のメーターはスマートメーターだったらしく、時間毎の表示が。これは面白い。毎日のグラフだとその日の天気、最低・最高気温とともに表示。雨の日は乾燥機を使うからか確かに増えているのが分かる。

大阪ガスでも良かったかも

原子力発電の件で関西電力を選んだのが多少引っかかっていたが、「はぴeみる電」の出来の良さに、やっぱりそれで良かったのだ、と思いつつ、大阪ガスの方はどうなってんの、とちょっと調べて見た。すると、ほぼ同等の機能のものがあるらしい。電気料金の表示も時間毎に出せるらしいし。

それで、ようやく関西電力と大阪ガスを真面目に比較してみた。すると、電気を少ししか使わない世帯では関西電力、沢山使う世帯では大阪ガスが有利だと分かった。よし、我が家は省エネを頑張る。だから関西電力を選んで正しかった…はずである。
電気代とガス代は銀行口座から別々に引き落とされているのだが、どちらも摘要欄に電気と書かれるのが、関電ガスにしてからの唯一の問題点である。
取り敢えず、今まで電気代が引き落とされていた日の前後に引き落とされた方が電気代、それとは異なる日(大阪ガスの時よりも何日か遅いが)に引き落とされた方がガス代だと分かるが、早く直して欲しい。

最新型冷蔵庫のお陰

それで、ここ2ヶ月の結果は前年同期比で20%減の好成績である。それは使い方を改善した訳ではなく、冷蔵庫を買い替え、洗濯機もドラム式に買い替え、電球をLEDにした結果だろうが嬉しい。特に冷蔵庫は、今迄はこの時期、表面がずっと熱かったけど、今は少し暖かい程度だ。昔の冷蔵庫とは断熱性能がまるで違うのだろう。室内への放熱が少なくなれば、エアコンの電力消費も減るし。好循環。

これからも省エネに励もうと思う。

2017年8月16日水曜日

ワインの詰替用ハーフボトル

飲み残しのワインの酸化を防ぐのに最も簡便な方法として、飲み残しを小さなボトルに詰め替える方法がある、とブログに書いた事がある。その時から、詰替えに適したボトルを求めて、ハーフサイズのワインを色々試して来た。

ワインは近所のスーパーでも扱っているものだが、ハーフサイズのあるワインの銘柄ではハズした事はなかった。ハーフサイズがあるという事は人気の銘柄という事でもある、という事実を改めて認識したのである。


しかし、詰替えに大事なのは中身よりもボトルの方である。上の写真でも分かるけど、色や形が異なる。白ワインは撫肩のボトルが多いけど、そのせいでボトルの径は怒り肩のボトルよりも少し大きくなる。

しかし、選ぶ決め手は意外にもキャップだった。何回か使っている内にキャップの具合が悪くなるのだ。そんな中、写真の右端の銘柄、Jacob's Creek だけは何度使ってもキャップは全く劣化しない。

この、Jacob's Creek はボトルの形と色が赤も白も同じでラベルのみ異なるのだが、赤と白のハーフサイズをそれぞれ2本づつ買って詰替用に揃えてみた。白ワイン用でもボトルに色がついていて光による劣化が少なく、怒り肩のボトルなので冷蔵庫で棚を専有する幅が小さいのも好ましい。

それから、この銘柄自体も気に入ったのでフルボトルでも何回か買っていて、そのキャップも取ってあるから、キャップが劣化して来ても交換出来る。(フルサイズとハーフサイズでキャップは互換性がある。)


これは、フルボトルワインを開けて、食事の後に直ちに飲み残しをハーフサイズボトルに詰め替えたところ。飲み残し、というよりも少し飲んだだけなのだが、一本は口のギリギリまで入れて、もう一本に残りを入れる。

開けたのはシラーズという品種の赤ワイン。赤ワインはカベルネ・ソーヴィニヨンと言ってたけど、最近はシラーズもお気に入りである。

赤ワインも白ワインも飲んでいると、冷蔵庫にハーフサイズボトルが4本並ぶ事もあり得るのだが、妻に怒られそうなので飲み方を調整して、今迄は最大3本に納めている。
後日談: ハーフボトル4本状態を達成? しました。
ハーフサイズがあるならそっちを買えば…という意見もあろうが、ハーフサイズ2本よりもフルサイズ1本の方が安いし、フルサイズしかない銘柄もある訳だし。コルク栓のボトル(最近減ってきたけど)の場合も詰替えればスクリューキャップになるのでメリットが大きいと感じる。

ハーフサイズボトルが空いたら、洗って乾かして、ほんの少量のブランデーを入れて(カビ防止の積もり)、次に詰替えの出番が来るまで棚に仕舞っている。

2017年1月5日木曜日

お金よりも時間

今年の抱負を家族に聞かれて、「お金を使う」と答えた。子供達もどうやら今年は就活するようで、来年からは教育費が掛からなくなりそうだから。

このブログを書き出した頃は、もうお金の心配は要らない状態になったとは言え、子供2人が自宅外の大学生や大学院生なので教育費の負担も大きいからお金が余っている感覚は無かった。この先必要となる生活費は減るはずだから資産を取り崩して行けば良いと頭では分かっていても、必要以上のお金を使うのは長年の習慣から難しい。

それでも、世界中で最も住みたい(暫定)場所に良質の家を借り、食材や外食のレベルを上げるように生活を変えた。それで、必要とする生活費を少しは増やせた。

そして不思議なことに、お金を使う事に関する意識も変化してきた。以前はお金は使うと減る、という感覚だった。つまり自分の懐具合しか考えて無かったけど、今は良き商品やサービスを提供してくれる業者や個人を応援する積りでお金を渡している。子供の為に使うお金が惜しく無いように、お気に入りの物事にお金を使うのも惜しく無くなったのだ。

何にお金を使うか

しかし、これからは それだけではお金を使い切れない。お金を稼ぐのも難しいけど、必要なお金以外のお金の使い方は案外難しいと思う。

勿論、高額の海外旅行でもすれば、お金は簡単に使える。だけど、それはお金を使うと言うよりもお金を使わされていると言うのが相応しい。巨大な豪華客船の写真を見る度に、その船室の窓の一つ一つが養鶏場の檻のように思える。その船室に押し込められ、業者が掠め取る金の卵を産まされている気がする。

どうすればお金を納得がいくように使えるのか。マネー本から お金の使い方のヒントを得ようと思ったが、儲ける話か節約の話ばっかりで何の参考にもならなかった。これだけ投資、投資とマスコミは宣伝しているけど、投資に成功してお金の使い方に関心が移った人は案外少ないに違いない。

更に、お金の使い方を考えていくと、そもそも自分は何の為に生きているのか、とか大事なのは何かとかに辿り着く。そうだ、大事なのはお金より時間だ。自分に残された時間は何を成さなくてもどんどん減っていく。そこがお金とは異なる。お金は時間を活かす為に使えば良いのだ。

そして、お金は 沢山残す必要も 使い切る必要も 無いと思うことにした。これこそ お金に振り回されない人生を送る秘訣だと思う。

2016年6月28日火曜日

ワインのハーフボトルを再利用

以前、「我が家の飲み物など」という投稿をして、飲みかけのワインは冷蔵庫に入れるだけで、特に何もしない、と言っていた。

しかし、栓を開けたらワインは酸化して劣化するというのは本当で、品によっては味が落ちたなと感じる事があって、対策して見た。

酸化を防ぐには、ボトル内の空気を抜く、ボトル内に窒素を充填する、小さな瓶に移して口いっぱいにワインを満たす、という方法があるけど、お金も手間も掛からないのは最後の方法だ。一度、ハーフボトルのワインを買って飲んで空き瓶を取っておく。

次にフルボトルのワインを買って最初に栓を開けたら、ワインを飲む前に取っておいたハーフボトルの口いっぱいにワインを満たし冷蔵庫に入れてから残りのワインを楽しむ。

これで、ワインを飲み残しても、飲み切る迄の時間が半分になる。ハーフボトルに取っておいたワインも同様にフルサイズの時の半分で飲み切る。ワインの劣化の度合いも少なくなる訳である。

そして、空き瓶の保存法について、ちょっとしたアイデアを思い付いた。カビとか生えたら嫌だから、洗って水を切った後で極少量のブランデーを入れてみる。ブランデーはワインから作ったものだから、ワインを混ぜても違和感なさそうだし、或いは美味しくなるかも…。

現在、我が家の冷蔵庫には常に赤と白の2本のハーフボトルが(中身が無なくても)入っている。

2016年3月24日木曜日

ミニマリスト流行り

ミニマリストが流行っている。ブログを始めた頃は気が付かなかったけど。

しかし、流行り物と言うだけで不要な物を買い込むのと、流行りだからと言って持ち物を極端に減らして持ち物の少なさを自慢するのと、結局は同じ様な気がする。ミニマリスト本を書いている人の多くが少し前まで物を持ち過ぎてました、と告白しているのだ。要らないと思った物を片っ端から捨てれば取り敢えずのミニマリストが誕生する。しかし、その余りにも物が少ない殺風景な空間は、ダイエットに励んで骨と皮になってしまった哀れな姿と重なる。

ミニマリストには流行という言葉は相応しくない。自分と持ち物の関係を見つめ、不要なものを削ぎ落とした結果としての称号こそがミニマリストでは無いのか。とは言え、物を持たない程オシャレ、という風潮が流行るのはこぶり主義者の私にとっても歓迎である。何故って、事業家達がミニマリスト向けに商品開発してくれるだろうから。

ミニマリストは物を買わないのではない。持ち物を吟味するからこそ、良い物を必要なだけ持ちたい、と言う気持ちが強いのだ。しかし、現状は家電製品でも車でも家でも良質なものは不必要に大きい物ばかりだ。

例えば、冷蔵庫をもっと小さいモノに買い換えようと調べてみた時のこと。冷蔵庫の品質はその静粛性と消費電力で決まると個人的には思っているが、500リットル以上の大型冷蔵庫が最も消費電力が小さくて、欲しいと思っているその1/3の容量の冷蔵庫の消費電力は大型冷蔵庫の2倍以上になる。

同じ品質なら冷蔵庫の消費電力はその表面積に比例するものと考える。容量が1/3なら表面積は約1/2なのだから、容量が1/3の小型冷蔵庫なら その消費電力は大型冷蔵庫の1/2にまでに小さく出来るはずだ。しかし、市販の小型冷蔵庫の消費電力は大型冷蔵庫の2倍。つまり、小型冷蔵庫ではコストを掛けた物の4倍も消費電力が多いような安物しか今の日本では売ってない訳だ。
コラム: 容量と表面積の関係を単純に立方体で考えて、中学数学で把握してみる。1辺の長さが1の立方体Aに対して、辺の長さが1/√2の立方体Bを考える。すると、表面積は辺の長さの2乗に比例するからBの表面積はAの1/2になる。そして体積は辺の長さの3乗に比例するからBの体積(容量)はAの1/2掛ける1/√2の大きさ。それは正確には√2/4になるけど、数値では約0.35となって1/3にかなり近い値となる。
車も同様。車はメーカーの宣伝によって大きくて重い程高級な物とされる。そして、大き過ぎて乗り難いにもかかわらず宣伝を真に受ける消費者が喜んで買っている。しかし、私は小さくて軽い車が欲しい。勿論、それは売ってるけど、現実には一番軽い車の定価が一番安かったりする。安いだけあって、静粛性が悪かったり装備が貧弱だったり。

賃貸住宅もそう。小さい住宅はあるけど、設備が悪かったり、玄関廊下トイレ洗面所キッチン収納まで全般的に小さくなったりして使い難い。一方、高品質の住宅は不必要に大きなリビングだったり部屋数が多すぎたりして無駄に広い。

私は、値段が高くても小さくて良質なものを求めている人々が増えている現実に事業家の方々が早く気付いて商品化して欲しいと願っている。

2015年12月14日月曜日

軽自動車は名車のサイズ

以前、自転車で埋め尽くされていた、あの北京の道が今や自動車で埋め尽くされている。自動車を先進国で独占してはならない、とは思うけど世界最大の人口の中国が、そして、これから発展するであろう国々が先進国並みの自動車保有をすれば、この地球は持ちこたえる事が出来るのかとても心配になる。

自動車とは、とても非効率な乗り物だ。たった一人の移動にその何十倍もの重さの箱を使うとは。それに、高齢になると運転するのも困難になる。公共交通機関が頼りにならない地域での自動車の必要性は分かるけど、少なくとも都市部においては贅沢品だと思う。自動車が必要ならタクシー、レンタカー、カーシェアリングなどの方法を使えば個人で保有する必要がない。

しかし、自動車を保有する利便性も認めよう。使いたい時に何の手続きも要しないで使える。緊急時には頼りになる存在である。震災の時に水を運んだり遠くまでお風呂に入りに行ったりするのにとても役に立った話は以前書いた。

それで、贅沢だけど自動車を保有することにして、その利便性を享受している。病院への送迎や雨の日の買い物などは車があると本当に助かる。そして、自動車を保有するもう一つの理由は、自分の車でなければ改造出来ないこと。

しかし、私は環境も大事にしたいから、利便性を損なわない範囲でなるべく小さい自動車にしたい。それで、自分に最も相応しい車として軽自動車を選択した。税金と保険が安いというメリットは、其れより一桁大きい駐車場代によって掻き消されるから、あくまで軽自動車のサイズを気に入っての事だ。(因みに、我がマンションの駐車場で軽自動車は我が愛車のみ。)

愛車アルトの全長 3395mm と全幅 1475mm はそれぞれ軽自動車の規格限度いっぱいと言える。規格がもっと大きかったら、恐らくそれに合わせて大きくなっていた事だろう。しかし、今の軽自動車の大きさは実は理に叶った大きさなのだ。

最近見かける「MINI」を名乗るデカイ車でなくオリジナルの「MINI」の大きさは全長 3051mm、全幅 1410mm、全高 1346mm である。これはどれをとってもアルトより小さい。更に、初代の「PANDA」の大きさは全長 3405mm、全幅 1510mm、全高 1485mm である。これはほぼアルトと同じ大きさである。これらの名車は、そのサイズを規格限度から割り出したのではなく、大き過ぎない実用性のあるサイズとして決めたはずだ。

それに、アルトにも未利用の空間が沢山あった。私は安全装備の置き場所を作って、足元も広げて、ラゲッジスペースも広げて、と色々改造したけど、メーカーにももっと頑張って貰いたい。安易にボディサイズを大きくする前にまだまだやれる事はあるはずだ。

アルトに乗っていると、車が通れる道なら必ず通れるという安心感がある。どんなに狭い駐車場でも大丈夫だし、車の大きさで周りの車の迷惑になることはない。車の対角線の長さを計算したら 3.7m だったから、道幅 4m の道路でも切り返せば方向転換が可能である。

だから、この軽自動車のサイズの車が日本だけではなく世界中に広まって、少しでも環境の負担を減らして欲しいと願うのだ。

2015年11月27日金曜日

アルトはスズキの良心作

先の[自動車改造論]という投稿で、改造が上手くいった時に「開発陣の知恵をユーザーが越えた」と書いたけど、それは言い過ぎかもしれない。

アルトにはフロントスタビライザーの設定が無く、そのためハンドルを切った時のロールが大きいし、強い横風でふらふらする。フロントもリアもシートの座面やバックレストの形状が真っ平らで座り心地が何とも悪い。リアシートのバックレストは角度が寝かしすぎだし、フロントシートが低いので見通しが悪い。

買った当時はダメな設計だなあ、と思っていたけど、今は安い車が必要な人に安い車を供給する、というスズキの方針に沿った設計なのだなあ、と感じている。

アルトは本当に安い。メーカーの利益も少ないだろう。もし、アルトにダメな所が無かったらアルトばっかり売れてスズキは儲からない。だから、日常の足として安い車が無くてはならない人の為に儲け度外視でアルトを作り、儲けは売れ筋の車種で稼ごうとしているのかも知れない。言わば、アルトはスズキの良心作なのである。

そう思ったのは、アルトのライバル、ダイハツのエッセという車の写真を見た時だ。リアバックレストの上端を支える金具とパーキングブレーキレバーがアルトと全く同じ部品だと気付いた。アルトの設計者は、この一番安い部品を使って設計するように言われたのか、と納得した。

そうすると、バックレストの角度もこれ以上立てられないのかもしれない。(もう一つの可能性は、バックレストを寝かせることで室内長というカタログの数値を大きく出来るから、セールス上そうするように言われたのかも。) パーキングブレーキレバーの高さが決まっていれば、それに合わせてフロントシートの高さも決まる。シート表面の形状も平坦にしないと表皮の縫製が複雑になってコストアップになる。リヤシートのバックレストにしても必要でない人々もいる。追突事故など在り得ない離島で使うとか、リヤシートには小さな子供しか乗せないとか、そんな使い方ならバックレストは無駄なコストだ。

別に開発陣が悪い訳ではない、コストを最優先にするアルトという車の性質から生まれた設計なのだ。

しかし、アルト(型式:HA24S)という車は、ワゴンR(型式:MH22S)という売れ筋の車と同じプラットフォームである。エンジン、サスペンション、ステアリング、ブレーキなど走行に関する基本部分は同一なので部品の流用も出来る。

そこで、ワゴンRのパーツカタログも手に入れ、フロントサスペンションを調べた。アルトとの違いはスタビライザーの部品の有無だけだった。つまり、その部品を取り付けるだけでアルトにフロントスタビライザーが付くのだ。逆に言えば、アルトはコストの為に部品を削られて安定性を損なった不完全なフロントサスペンションにされている。

だから、その失われた部品を復活させる行為は改造と言うより補修と言うのが相応しい、とさえ思う。スズキのディーラーに取り付けを頼んだら断られたので、馴染みの自動車整備工場にお願いして取り付けて貰った(部品代込で2万円)。

これで、走行性能に関して、我が家のアルトはワゴンRの上を行く。軽量だし、重心は低いし、前面の面積が小さいから燃費も良いし、側面の面積も小さいから横風の影響も小さい。

フロントシートに座布団を置くことで高さは取り敢えず高く出来る。所が、そうするとパーキングブレーキレバーとシフトノブの位置が下過ぎる。市販のシフトレバー延長棒を使えばシフトノブの位置は上げられる。ではパーキングブレーキレバーをどうやって持ち上げるか。色々考えた挙句、結局はワゴンRのパーキングブレーキレバーに交換することにした(部品代はブレーキカバーも入れて1万円強)。


シフトレバーは最初は真っ直ぐの延長棒を使っていたが、その後にくの字型の延長棒に変えた。更にくの字を運転席側に少し捻った位置で固定してシフトノブが好みの位置になるようにした。写真は1速に入れた時、シフトレバーの延長線よりもシフトノブが運転者側に傾いているのが分かる。

フロントシートも座布団を置いておくだけでは気が済まなくなって、大胆に改造した。写真のシート座面の側面、リクライニングレバーの上辺りに横に筋が入っているけど、その位置が元の座面の高さである。


座面を持ち上げるのは主に手芸店で売っている座布団用の硬綿である。化繊綿が層状に固められているので薄く剥いで厚さを調整することも出来る。スポンジと繊維が絡まるとズレないので接着剤などで固定する必要がなく何度でもやり直しが効くので、座ってみないと上手くいったか分からない手探りの改造にはとても有効だった。それと、ホームセンターで売っている硬質スポンジとチップウレタンも使っている。

バックレストもスポンジを表面から大幅に千切って硬綿を表皮の下に入れてある。リアシートも単にスポンジを千切るだけでなく、硬綿や硬質スポンジを駆使して最適の座り心地を追求している。

最後に、切り刻んだフロントパネルも運転席から見ればマトモに見える証拠写真。


センターコンソールとか余分な物は一切ないので足元が実に広い。そして、運転席のフットレストも改造して取り付けた。助手席にもフットレストを作ったけど、マットの下だから見えない。

2015年11月22日日曜日

自動車改造論

久々に我が家の車の改造をした。リヤシートの座り心地を改善しようと、あれこれ。

車は設計通りのままが一番良くて、改造すればする程ダメになる、という説がある。エンジニア達が昼夜頑張って最適値を求めて実験して設計されたものを素人が変更しても改悪にしかならない、という訳だ。これは正しい面もあり、また違う面もある。

製品開発にはコストと期限という制約がある。その縛りの元でエンジニア達は最善を尽くしたとは言え、もしその制約が無ければ、もっと良い物が出来たのでは、という部分は必ずあるのだ。

もう一つの問題は、万人向けに設計されている、と言うこと。シート高さもシフトレバーの位置もパーキングブレーキレバーの位置も私の体には合ってなかった。自分の体に合うように車を改造する、というのが改造の目的の一つなのである。

自動車改造業界の餌食になる人々

車の改造と言うと、マフラーを交換して排気音をうるさくし、車高を下げて乗り心地と使い勝手を悪くし、巨大ホイールと極薄タイヤに大枚を叩く事だと思うのが世間一般ではないか、と思っている。そんな改造をする人々は、車を格好良くすることが第一である。つまり、改造している事が人目に分からなければ意味がない。だから、そんな改造が世間一般の目にも付くのだ。

車高を下げれば下げる程、タイヤは薄ければ薄い程格好良いと信じ込まされている人々。そして、自分で改造しないで改造ショップに依頼する場合が大半のようである。しかし、改造費用はそれだけ高くなるのだ。勿論、お金が無いからローンを組んで。

自分で車を改造する参考になるような書籍は無いかと探すけど、車の改造雑誌の大半はオーナーの痴性が現れる欠陥車に改造する例ばかりである。結局、改造雑誌も含めて自動車改造業界というものが存在し、無知な人々に変な思想を吹き込んで変な改造をさせてお金を巻き上げているのだろう。

改造しない改造

自動車保険の項目に、あなたの車は改造していますか、という質問項目がある。この改造というのは、構造等変更検査を受けるような大規模な改造をして車検証に「改」の文字が入った場合のみが該当する。だから、私は改造しているにも関わらず、いいえにチェックする。

公道を走らせる場合は道路車両運送法の保安基準を満たした改造でなくてはならない。簡単に言えば車検に通る改造である。自分で趣味で改造するなら車検記載事項に変更なく、無届けで改造出来る範囲に留めるのが無難である。

その無届けで改造出来る「軽微な変更」の範囲は、自動車部品を装着した時に、車両の寸法と重量の変化が一定範囲(軽自動車の場合は、長さ:3cm、幅:2cm、高さ:4cm、重量:50kg)に納まる場合、又は指定部品を溶接又はリベット以外の方法で装着した場合、となっている。

例えばルーフキャリアなど装着すれば4cm以上高くなるけど、指定部品に含まれているからネジやボルトで留めるならOKである。

そもそも、容易に外せるなら改造にすらならないのだ。例えばシートの表皮を張り替えるとすると、その材質は難燃性の基準を満たしていないと車検に通らないけど、外せるシートカバーなら如何に燃えやすくても全く問題にはならない。

固定するようなものでも、他の車の部品を流用するような場合は保安基準を満たしているはずだから、大抵の場合は合法的に改造出来て、しかも公的には改造していない事になる。

そもそも改造を始めたのは

自分のニーズに合う車があれば、最初からそれを買うのが一番良い。改造にはお金も時間もかかる。それでも新車で車を買って私が車を改造しようと思ったのは、リヤシートにヘッドレストが付いて無かったからだ。追突された時、乗員の首を守るには絶対に欲しい装備だ。

スズキ アルト、そのシリーズの最上級グレードのXにはリヤシートのヘッドレストが付いていたけど、XにはMTの設定が無かった。しかし、私はMTの車を買いたかった。

車のグレードが違っても基本的な部分は同じだ。高いグレードになるにつれ、装備が増えたり複雑になったりするだけだ。だが、装備が最も少ない最低のグレードこそ、最も軽く、最も故障しにくい車である。ある意味、車としてシリーズの中で最も優れているのだ。そう考えていたから、一番安いグレードのEを選び、ヘッドレストを後から付ける事にした。その他の装備はEでも十分満足出来た。エアコンもオーディオも付いていた。

購入時、アルトEのMT仕様は日本の中で最も定価の安い乗用車で、しかも車齢13年以上の車(その当時の愛車アコードは車齢23年だった)を廃車にして購入すれば12万5千円の補助金が貰えた。最も安い車に乗っているというのが私にはある意味自慢なのである。

サービスマニュアルとパーツカタログも同時に購入してどうやって改造するか検討した。リアのバックレストを加工してヘッドレストを取り付けられないか色々考えたが、結局はX用のバックレストを購入して交換。部品代(全部で8万円位)は高かったが、部品交換による改造は実に簡単だった。

しかし、部品の交換や追加などは自動車メーカーの開発陣の想定内の事。コストや販売戦略の為にやらなかったのをユーザーが代わってやったに過ぎない。こんなの改造とは言えない。

後戻り出来ない改造

真の改造とは、車体に手を加え、部品を改変したり新たに作る事だ。全くの手探り、何回やっても失敗の繰り返し、だが、ようやく上手くいった時の充実感は格別だ。それは開発陣の知恵をユーザーが越えた証と言える。

しかし、こんな改造に普通の人は手を出さない。完成までにベラボウな時間がかかる という事もあるだろうが、最大の理由はこんな改造を始めたら、もう後戻り出来ない…つまり元に戻せない事だろう。そんな改造をした車は価値が大幅に下がるから、乗り潰す気が無ければ、そんな改造は出来ない。

助手席の足元の狭さに呆れ、この灰皿が邪魔だと発作的に新車のフロントパネルをノコギリで切ろうとした時、これでもう後戻り出来ないと思うと、さすがに躊躇したものだ。安価なアルトでなくベンツだったら果たして出来たかどうか。

愛車紹介

その改造されたアルトの現在の姿を紹介する。


窓越しにリアシートのヘッドレストが見えるが、黒いドアノブが示す通りこの車はアルトの最低グレードEである。その他に満5年の車検時にホイールをスズキの(わざと)バン用のスチール製13インチに変えてみた。

元が135/80 R12という細いタイヤで走行安定性が良くなかったし、このタイヤサイズは製品が少なかったから、別の指定サイズである155/65 R13のタイヤを履きたかったのだ。外観の変化は、このホイールを変えた事しかない。センターキャップは敢えて付けなかった。フロントハブのサビが目立つので、黒錆化させる薬剤を塗ってから銀色に塗装した。後で耐熱塗料にした方が良かったかもと思ったが、今のところ問題は起きてない。ホイールキャップが無くなって、タイヤの空気を入れやすくなった。

さて、今日の作業はこれ迄に改造した部分の微調整。リアバックレストの下部のスポンジを裏側から指でちぎってもう少し凹ませてみた。


それで取り付けてみて…座って確認。そして、下の写真が苦労して改造したリアシートの全貌である。今回ちぎり取ったスポンジは集めて袋に入れた。


シート座面も、これは前面の真ん中から切れ目を入れてスポンジを切り取ってある。そうすると、座面の傾きが小さくなり、バックレストを倒してラゲッジスペースにした時にフラットに出来るし、あぐらをかいて座るのにも都合が良い。

普通に座る時は、取り外したバックレストの表皮を再利用して作った座布団で腿裏を支える。この座布団の中にはバスタオルが入っていて、チャックを開けて取り出して使う事も出来る。

それから、ノコギリで切り取った灰皿の部分の現在の様子。こうして横から写すとカッコ悪いけど、運転席から見れば問題ないようにした積もりだ。跡地にはETCとか窓拭きタオルとかLEDライトとか取り付けた。そうすると、それらの備品に手を伸ばすのに必要な空間として、最初からそのようにデザインされていたように見えてきた。


まだまだ自慢したい改造があるのだが、今回はこの辺で。

2015年10月8日木曜日

タイ旅行計画

来月、タイに行く。ここ何日か色々調べて日程とフライトとホテルを決め予約した。

最大の目的は娘の留学の様子を見に行くこと。プーケットとかのリゾートも行ってみたかったけど、日程が長いと疲れるのでバンコクだけにした。

それでも、選択肢は山程ある。上はファーストクラスに乗って、最高級のホテルに泊まり、下は最安値のチケットを使って激安ホテルに泊まる。フライトも昼便、深夜便の違い、或いは直行便と経由便の違い。どう考えて何を選択するかは今後のお金の使い方、さらに自分の生き方にも通ずる問題だ。

今迄の自分だったら、一番安い方法で行くのが嬉しかったはずだ。色々と情報を集めて分析し最安値を追求するのは一種の知的ゲームと言える。しかし、方針を変えたのだ。今は、一番心地いい方法で行く。

しかし、一番心地いいとは一番高価な方法という訳でもない。内容に見合わない価格では、私には心地良くない。激安も 疲れたり 不便だったり 卑屈になったりと やはり心地良くない。旅行のやり方を費用で分けると、概ねこのようになると思う。
  1. 激安 最安値フライトで安ホテル
  2. 普通 深夜便や経由便で普通のホテル
  3. 贅沢 直行の昼便で高級ホテル
  4. 極楽 ビジネスクラス直行の昼便で最高級ホテル
(世の中にはこの極楽クラスを上回るファーストクラスで行く旅というものも一応存在するらしい。)

ビジネスクラスだと 座席が広かったり 食事が良かったりと エコノミークラスより確かに快適である。しかし、幾ら食事が良いとは言えエコノミーとの比較である。空の上の調理では限界があるから やはり高級レストランには敵わない。又、座席が広くて嬉しいのは座席にじっと座っているからだ。短距離の飛行ならエコノミークラスでも辛くはない。バンコクまでの飛行時間は約6時間である。短距離とは言えないけど、エコノミークラスでも苦行にはならない距離ではなかろうか。

ビジネスクラスとエコノミークラスの値段差は一人当たり10万円強。飛行時間1時間当たり約1万円の差は 今の私には 払える金額だけど まだ平気に支払えない。だからエコノミークラスにする。

それから、最高級ホテルと高級ホテルの違いは 豪華な設備と内装 洗練されたサービス …らしい。高級ホテルでも快適な設備だし 必要なサービスは受けられる。しかし、宿泊せずとも、お茶するだけでも最高級ホテルへ行って豪華な設備を味わう事は出来るし 洗練されたサービスって慣れないと恐縮して疲れる、と考えると高級ホテルの方が気楽でいい。

それに、バンコクでの最高級とされるホテルはこぞってチャオプラヤー川の川岸に沿って建っている。優雅に寛ぐには最適だが、今回の目的なら娘の大学の近く、都心の駅前の方が便利だ。そうすると、高級ホテルの方が良い。

このように、旅行一つにしても あれこれ考える。今回の旅には贅沢コースが最適と思ってそう決めたけど、優雅に寛ぐ旅をしようと思ったなら極楽コースも良いと思う。

ところで、今迄は直行便が一番疲れない方法だと思っていたけど、台北経由便なら飛行時間は3時間が2回になって 直行便よりも疲れないかもしれないと ブログを書いていて思った。

2015年10月1日木曜日

我が家の携帯事情

我が家の携帯料金が上がってきている。長らく、月に4千円程で家族4人分を賄ってきたけど、最近は月8千円台なのである。

我が家の携帯の歴史

我が家の携帯歴はそれ程長くない。なるべく、そのような機器は持ち歩きたくないと思ってたし、料金も高かったから。

しかし、携帯電話を持つことが当たり前の世の中では、そうも言えなくなって来た。妻が必要性から最初に持つことになり、その時はAUの携帯だった。私も、緊急時の連絡手段という意味で持たされた。但し、携帯電話ではなくPHSで 登録してある3箇所にしか掛けられないという まるで糸電話のような代物だけど 月千円の格安プランにした。

それから、暫くして携帯各社の割引プランも充実してきて 糸電話と変わらない月額で普通の携帯電話を持てる時代が来た。携帯各社 ほぼ同じプランがあるが、ドコモが一番エリアが広いし バックボーンの容量も大きくて通信の安定性も期待出来そうだった。

そこで、夫婦でドコモの携帯を持つことにした。家族割と家族内通話が無料という特典があり、タイプSSバリュー という一番安いプランで月千円の無料通話分が付く。しかし、メールも要るから iモード月額使用料と 青天井のデータ通信料が怖いのでパケホーダイと 加えて携帯補償サービスにも入ったから 結局は一人約2千円になった。

それからまた暫くして、今度はタイプシンプルバリューというプランが出来た。これは無料通話分が付かない代わりに月額が安く、しかもメールし放題という特典がある。今迄も家族間のメールは無料だったが、このプランでは 誰にでも そして誰からでも のメールは 例え巨大な添付ファイルが付いていても無料なのである。それに加えてパケホーダイシンプルというプランが適用されて、有料のデータ通信が無ければ パケホーダイの最低月額料金が掛からないけどデータ通信料は上限額までしか掛からない。

他人に携帯から電話を掛けることも殆どなかったし、無料通話分は家族で分け合えるから 私だけその新しいプランに変更した。その時、学割プランというものも新たにできていて、私は放送大学の学生なので学割の値段にして貰えた。これで私の月額料金は(iモード月額料金と携帯補償サービスも加えて)約千円になった。

それからまた暫くして娘が高校生になった。電車通学するので緊急連絡用に携帯電話を持たせた。タイプシンプルバリューの学割で、私と同じ月額。JRは人身事故等でしょっちゅう止まったから随分と役立った。

息子は大学に入るまで携帯電話は持たなかった。しかし、地方の大学に進学することになり、家族間の連絡手段として携帯電話を持たせた。この頃、学割はとうとう月額基本料が0円となるまでに至った。これで家族4人全部合わせても月額4千円台に納まった。

子供達には携帯の月額料金は家族間の連絡網としてその維持費を私が持つけど、電話代とデータ通信料金の従量料金は仕送りから天引きすると言い渡してある。実際は電話は必要があって掛けるのが大半だから徴収してないけど、データ通信料は天引きして無駄に使わないように戒めてきた。ネットに繋ぐ必要があるならパソコンを使うようにと。

子供達のLINE事情

そういう訳で、現在も家族4人とも未だにガラケーを使っている。私の携帯は一度壊れて 携帯補償サービスを利用して 中古品(但し、最新機種でボディと電池は新品の部品になってる)に変更されているけど。

しかし、世の中は急速にスマホ化された。その理由は何と言ってもLINEの普及だ。今やLINE無しでは学生は仲間付き合い出来ない。娘が高校に入った頃はまだスマホは少数派だったが、高校を卒業する頃にはガラケーの方が少数派になっていた。

そこで娘は大学に進学する際にSIMフリーのスマホも持つことにした。ガラケーとの2台持ちである。格安SIMの月額千円は仕送りから天引き、スマホ代も2年ローンで仕送りから天引き。そして、パソコンはスマホからテザリングでインターネットへ接続と。

一方、息子もLINEが必要になったが携帯電話でLINEをしていた。それで、大学入学当初のようにデータ通信料金の上限額まで達することは無いけど 毎月それなりの料金は掛かる。

3年生になってから寮(月1,500円でインターネットに接続出来た)を出てアパート暮らしを始めて部屋にADSLを引いたけど、あれこれ調べずに引越し屋に言われるまま頼んだのが随分と高いプランで月に6千円もしていた。

それで、息子から相談されたので 娘のやり方を推薦したけど、既にネット廃人に変わり果てた息子はデータ量の制限がムリらしく、結局インターネットはWiMAX、そしてスマホの代わりにSIMフリーのタブレットを買った と後で聞いた。現在ではスマホのSIMも解約してWiMAXの本体をタブレットと共に持ち歩くようにしているらしい。固定電話を引かないネット廃人としては一番妥当な選択と言えよう。

このように我が家では 息子も娘もネット接続料やIT機器(パソコンも含めて)の購入代金は本人が支払うようにしている。これも 二人共 大学生になってから本格的に情報機器を扱うようになったから出来る事で、今ならもっと早くからスマホ等を持たせざるを得ないかと思うと、これからの子育ては大変だなと思う。

携帯月額を引き下げる

所で、長らく4千円台だった我が家の携帯料金が近頃上がってきたのは何故か。息子が大学に入った当初は無駄にデータ通信して上限額にしばしば達していたので値上がったが、指導の結果また4千円台に戻り、その後 携帯LINEを始めてから少々上がったものの息子がタブレットを使い出してデータ通信料はほぼ無くなった。

しかし、学割プランが時効になって通常の料金になって来たからまた上がってきたのだ。そうすると、妻が約2千円、後の3人が約1,500円で合計6,500円程のはず。所がそれより高い。原因の一つがネット廃人が契約したdTVの月額500円。もちろんこれは仕送りから天引きすることに。

しかし、先月の請求は8,500円程。千円以上高い。どうせ息子が無駄にデータ通信したせいだろう、と思いながら調べてみたら、妻のデータ通信料だった。あれっ、先月データ通信何かした? って聞いてみたら何もしてないとの返事。だけど、思い当たる事が一つ。妻の友人から写真付きのメールがあったのだ。

ああ、きっとそれに違いない。写真一枚で千円。家族間のメールなら写真付きでも無料だけど、妻のプランなら他人とのメールの送受にデータ通信料が掛かるのだった。スマホを使っていれば、データ通信料はどうせ上限に貼り付いているからそんなこと気にもしないけど、我が家はデータ通信料ゼロが原則。

そこで、妻のプランも今月からタイプシンプルバリューに変更した。これでもうデータ通信料がかかることは無いはず。電話を掛けなきゃ 4人分で月額6千円とネット廃人用dTVの500円。

データ通信しない工夫

勿論、Webの閲覧等は携帯を使わずパソコンなりタブレットにする。親世帯でも家の中ではADSLで、外ではモバイルルーターでインターネットに接続出来るのだ。

しかし、携帯メールを使った認証の仕組みで メールを開くとそこにネットのアドレスが書かれていることが時々ある。それをクリックすると データ通信することになる。それで何円か程度なら気にしないんだけど、何百円にもなるのだったら嫌だから、自分のGmailアドレスに転送する。メールし放題プランだから その時データ通信料は掛からない。それをパソコンから開けば携帯の(有料)データ通信の出番は無い。

しかし、考えてみれば 今使っているドコモのプランは随分と太っ腹なプランである。添付ファイルがどんなに大きくてもメールは無料。家族間通話が無料なのも。その無料通話分は 月に何万円にも相当する金額だった(娘の長電話)…今は留学中で使ってないけど。ドコモよ有難う。

2015年9月1日火曜日

こぶり主義の英語学習

グロービッシュという考えも、こぶり主義に通じるものがあると最近気付いた。良い物を少な目にの精神を英語に置き換えれば、即ち自分が使える英語の語彙を少数精鋭にすること。語彙をあやふやなまま増やすよりも少数の重要単語を徹底的に使えるようにする方が良いのではないか。

私は最近の日本の英語学習熱、特に小学生にまで教えようとする国の方針に対して大いに危惧を抱いている。今日はそれに関して面白い本を読んだ。

「日本人の9割に英語はいらない」 成毛 眞著 祥伝社 2011年9月

副題は 英語業界のカモになるな! である。そう、英語学習熱を煽っているのは英語教育産業である。国民の大半がそれに洗脳されているものだから、政治家もそれに加担する。優秀な文部官僚は小学生に英語を教えるのは無駄だと十分分かっていると思うけど、失業覚悟で上からの命令に反対する気など無いから粛々とその準備を進める、という図式だと思っている。

この本の、日本人の9割に英語は必要ない、という主張には賛同出来るんだけど、その人達が英語を勉強するのは無駄である、とは思わない。日本の国語教育は文法と論理を鍛えてくれないけど、英文法を勉強し言語の表現法や考え方の差異を体験することで国語教育の欠陥が何とか補なわれているのではないか。

だから、学校教育では英会話なぞ要らない。徹底的に英文法をやって欲しい。そうすれば辞書を使ってでも英文の読み書きは出来るようになるだろう。

但し、英単語の正しい発音も併せて覚えておきたい。英会話が必要になった時に慌てて勉強して何とかなるから。私は語学学習に安易な抜け道があるとは決して思わないが、それらの基礎があればこそ一日で喋れるようになる、という事も可能だと思う。

残念ながら、私が受けた英語教育ではまともに英文法は教わらなかった。5文型も動名詞と不定詞の違いも社会人になってから自分で勉強して学んだ。英単語の正しい発音も指導されてなかった。つい最近まで done は「ドーン」だと思っていた。「ダン」が正しいなんて教えてくれなかった。

私が英語教育で要求されたのはひたすら暗記、暗記、暗記、私が一番キライな暗記。英語の成績が最低だった事は言うまでも無い。

今では若い頃の記憶力など全く残っていない。何かを覚える事が出来るとしたら、それは印象に残る何か特別な発見があった時。その為には英語と比較して仏語やラテン語や独語も学ぶのが一番だと思っている。英語だけ勉強してもドンドン忘れていくけど、それが複数の言語と絡みあうと記憶から抜け落ちにくくなるようだ。

そんなことを繰り返して、私は今迄数多くの面白い発見をしてきた。それらをこのブログで発表していこうと思っている。

2015年7月28日火曜日

醤油の密閉ボトルが良すぎて困る

良い物を少な目に。この方針に基づいて最近はキチンとした原材料を使った調味料を買うようにしている。勿論、原材料が全てでは無いが、原材料がまやかしのもので美味しいものは存在しないから。

良い製品は原材料もシンプルだ。例えば、米酢の今使っているものの原材料:米。たったこれだけ。醤油:大豆、小麦、食塩。味噌:大豆、米、食塩。

それでも、スーパーの目玉商品の価格と比べても2倍程度だし、調味料は使う量も食品の素材に比べればずっと少ないから高いとは思わない。それで美味しい食事が出来るのだから。

そして、これは調味料とは言えないかもしれないけど、レモンジュース(ストレート):有機レモン。オリーブオイル:ギリシア産オリーブ。ギリシアを応援する積りで買ってきた。


日本の会社の製品だけど、原料のオリーブオイルはギリシアだから、ギリシアの経済の立て直しに一役買えたとすれば嬉しい。調べると、最高級のオリーブオイルはギリシア産なのだとか。

しかし、買うのに多少躊躇したのが味醂である。本格派、三河の味醂:もち米、米こうじ、本格焼酎。割愛するが、それぞれの産地(もちろん国内)や製造所まで細かく書かれていた。

これは本みりんと名付けて売っている味醂の5倍の価格だ。でも、それだって普段飲んでいる日本酒やらワインの値段から言えば決して高くは無い。味醂も酒の一種なんだから、それくらいの値段が当然だと思い直して買ってきた。

味醂は発酵で甘みがアルコールに変わってしまうのを抑えるために焼酎を加えるのが伝統的製法だが、本みりんを名乗っていても通常は焼酎でなく醸造用アルコールを加えている。普及品は糖類も添加している。そんな事はやってませんと高級品を気取っていても、もち米がタイ米だったりする。私が買った三河の味醂は、これらのまやかしの誘惑に負けないで作られた。高くても当然だ。

むしろ最近は、単に高かったとか思うより、良い物を買ってその製品が末永く作り続けられたら嬉しいな、という気持ちが芽生えてきた。

さて、以前から醤油は丸大豆のものを選んで買っていたが、密封ボトル入りのものに最近切り替えた。二人暮らしで消費量も減っているから変質し難いと宣伝されている新型ボトルを試そうと思ったのだ。

使ってみると非常に調子がいい。使う度に内側の容器が縮んで醤油が入っている所には空気が入らない。実にシンプルで効果的なアイデアだけど、原理的には気胸という病気と一緒。これを考えた人は気胸になったことがあるのではないか、と勝手に想像している。

しかし、問題点が一つ。移し替えて劣化するのも嫌だから食卓で使う時もそのボトルのままだけど、美しくない。何とかならないものかと考えていたけど、今迄もマヨネーズやケチャップは容器そのままで使っているじゃないか、と思ったらそのままでも良い気がして来た。

2015年6月8日月曜日

住宅費は交通費を合計して考える

今回の転居で我が家の住宅費は1.5倍になったのだが、贅沢している気がしない。

玄関、脱衣場、キッチン、トイレ、収納、以前の住居で狭くって使いにくかった場所が全部少しずつ広い。湿気も少ないし部屋は暖かいし日当たりは最高だ。トイレの便器も高級品だから汚れが付き難く使う水量も少ない。住民は子供達さえ礼儀正しく挨拶してくれるし、玄関から廊下に出れば遠く六甲の山並みが見えて心地よい。(ベランダ側は視界は開けてるけど高速道路と鉄道が主でイマイチ。)

それでも、今度の家は量(広さ)も質も我が家にとって必要な水準だからこそ贅沢していると感じないのだと思う。広さ62平米から75平米へ。夫婦二人暮らしになったのに広い所に引っ越してきた。寛ぐのに広い空間は必要ない。だけど、何か作業をする時には場所が必要だ。今迄、狭いが故にやりたい事を無意識に抑えていたような気がする。荷物部屋と言いながら作ろうとしている書斎スペース兼工作室の事を思うとワクワクしてくる。

今の住居の水準から考えると、以前の住居の質はイマイチだったんだなと思える。それでも以前の住居に引っ越した当時は良い所に引っ越してきたと感じたのだが。質が低いのに慣らされているとそれで当たり前のような気になっているのは何も住居に限った話ではない。食品だって、人権だって、教育だって、職場だって、街並みだって。

さて、利便性を求めた都会での住宅費の話。田舎暮らしとは全く別の次元の話になるけど、都市とその近郊に於いては住宅費に応じて生活の質が変化する。食事や教育などは工夫次第で安くても良質なものを提供出来ると思うけど、住宅は良質ならお値段も安くはない。でも、それが生活の質に直結するならそこに費用を掛けるべきだと思う。

しかし、生活の質が上がった故に抑えられる費用も多い。家が心地よいから外食が減ったり(実際は近所に良い店が沢山あるから増えたけど)、近所の散歩が観光地より楽しかったり。特に交通費に関しては、利便性が増せば自家用車を持たないとか定期代が安くなるとかで、住宅費と合計して実質どの程度費用が増えるのか考えるべきだろう。

今回の引っ越しも、もし我が家に通勤通学者がいて、更に車を手放すことにしていたら(実際は駐車場代が1万円増えたけど)家計の消費水準は変わらなかっただろう。

2015年4月22日水曜日

やさしい こころと経済学 が面白い

今日は転出届を出したし、明日またクリーンセンターへ持っていく粗大ごみを車に積んだ。外してあった下駄箱の扉を取り付けるのに悩み、日除けの取付金具を外した跡に出来たベランダ裏の傷を補修中だし、このところ引っ越しの準備に忙しい。

下駄箱の扉を外したのは湿気対策と使い勝手を良くするため。おまけに扉のあった位置よりも飛び出して物が置けるから収納力も向上。だけど、取り付けてみたら真ん中に隙間が出来た。前からこうだったっけ?


よく見ると、扉の裏にある丸い小さな緩衝材の跡がその隙間の部分に残っている。じゃあ、扉が縮んだとか? でも上下方向は変化してないし。(二日後のブログで事の真相が明らかになるであろう。)

ところで、日経新聞の経済教室の面に、やさしい こころと経済学 というコラムがある。そのコラムで、今週の月曜日から「幸福とは何か」と題する経済的豊かさと幸福の関係についての記事が始まった。これはまさに私の関心がある分野なので注目したい。

今迄、漠然と感じてきた、お金が無さ過ぎると幸福ではなく、沢山有ればそれだけ幸福とも言えない理由を経済学の目を通して明らかにする試みはとても面白い。

2015年2月23日月曜日

断捨離と一期一会

断捨離。だんしゃらない、だんしゃり、だんしゃる、だんしゃれば、だんしゃろう。語尾がラ行で終わる言葉は勝手に動詞扱いにして遊べて面白い。ダンシャラーなんて名乗って見るのも面白いかも。

限られたモノを大事に使うようにしているのは、こぶり主義の私も心掛けていること。ただ、使ってないモノを捨てられなかった。その弊害は分かるんだけど。

しかし、娘の成人式に向けて妻の実家から振り袖が我が家に届き、いよいよ場所が無くなった。それで、遅まきながら断捨離を始めてみた。

現在、ゴミ袋が目の前に2つ、ベランダに2つ、家の外の廊下に2つ、息子の部屋に1つ(以上、妻と娘の働き)、アルト君には、スキー3組、ガスファンヒーター、一輪車、ビーチパラソル、が明日クリーンセンターへ持ち込む為に積まれている(以上、私の働き)。これだけ整理しても見た目は殆ど変わらない。でも、荷物が発する圧迫感が少し和らいだ気がする。これからも続けよう。

モノが何で溜まるのか。それは、将来使うかも知れないからとっておく、という思想。断捨離は、今を大切にする。将来の為に奪われている今を取り戻す。

そう言えば、人付き合いの話になるが、一期一会という思想がある。人の運命の頼りなさを知り、今を大切にせよ、という教えとばかり思っていたが、これは人付き合いの断捨離でもあると思う。人の繋がりが増えすぎたら身動きが取れなくなる。付き合いを敢えてそれきりと思う事でそんな事態を避ける知恵ではあるまいか。

断捨離って要らないモノを捨てる事だけど、その考え方はモノだけでなく、ヒト(付き合い)、カネ、ジカン(予定)でも同じだ。お金を溜め過ぎたら、自分で使えないお金の管理に人生を奪われる。時間を有効に使おうと予定を目一杯入れれば自由のない人生が待っている。

必要最低限だけ残して全部捨ててこそ「ゆとり」を得ることが出来る。

そう書いては見るものの、お金は余分に持ってこそ「ゆとり」じゃないのか? という疑問も湧いてくる。必要最低限より溜め込んでしまったらしい現状をどうするのか、模索は続きそうだ。

2015年2月12日木曜日

ケチケチ病の治療

一昨日は京都に夫婦で行った。森見登美彦の小説「聖なる怠け者の冒険」に出てくる、寺町通りのスマート珈琲店でタマゴサンドを食べに行く事にしたから。ケチケチ病の治療の第一歩。

今迄、必要な事にはお金を惜しまなかった積りだけど、やりたい事を無意識の内にお金が掛かりそうだから不必要な事に分類する癖が付いている気がする。これからは空想で楽しんで終わっていた事も実現可能ならやってみるようにしよう。

それで、金券屋で京都までの切符を買った。行きは神戸三宮から阪急の全線切符で。本当は特殊乗車券と言う株主優待券で、阪急のどの駅から乗ってどの駅で降りるのか自由な切符だから、遠くの駅まで乗る時はオトク。

途中、阪急京都線と新幹線が並行している区間がある。つい、新幹線の開業前に当時の国鉄に頼んで阪急京都線の工事の間だけ阪急電車が新幹線の線路の上を走った事があるよって話を妻にする。阪急河原町駅からはお店まで歩いて行く。途中、錦市場で黒豆煮と浅草海苔を買う。どちらもお買い得品。寺町通りは妻が気に入った模様。又、娘と来たいと言う。

実は、お店で知人夫婦と待ち合わせしていた。職業訓練で知り合って事業家になった人で、このブログの愛読者でもある。話のネタに下北沢でゲットした古着のセーターを着て行った。

この店のことは小説で初めて知ったけど、ネットで調べると、とても人気があっていつも混んでいるらしい。時間が早かったので幸い4人の席が空いていた。店のレトロな雰囲気がいい。噂のタマゴサンドは美味しかった。フレンチトーストとホットケーキも人気メニューらしいので又の機会に食べてみたい。お勘定も上手く払えた。ケチケチ病もやや改善。

この後、知人の店などを巡ってから別の喫茶店へ。知人の息子さん(保育園に行ってる)は我が息子の幼い頃と性格がよく似ているらしい。無事に小学校でやっていけるのか心配だったけど無事に育ったなどと子育ての話題になる。私がトイレに行っている間に先方は支払いを済ませる。ケチケチ病改善出来ず。

帰りは京都駅まで車で送ってもらう。JRの時間制限無しの切符を買っていたが、昼特切符でも使える時間だったのがちょっと悔しい。デパ地下で炙り鯖寿司と湯葉の包み揚げを買う。奮発した積りだが、炙り鯖寿司はお買い得品。

今迄は京都に行ったら神社仏閣巡りで慌ただしくしていたが、折角だからあれもこれもって駆け回ると、かえって見落とす事がある。この日は街の散歩でゆったりと過ごせて良かった。こんなお金の使い方をこれから目指そう。私は乗り物やインテリアにも興味があるからね。まだまだ金額的には小さいけれど、方向性は正しいはず。だけど、同じ目的を達成するのに一番安いやり方をつい探してしまうのは殆ど趣味と言える。もうこれは治す必要ないと思う。

それより、これは知人にも言われたことだけど、お金を使うのにもう限られた時間しかないって事を自覚しておかねば。ケチケチ病は使い残すのも惜しがるはずだから、きっと上手く使えるだろう。

2015年2月3日火曜日

宝くじを買うのは貧乏人

今朝の日経新聞 エコノ探偵団の欄に 高額当せん「くじ」なぜ人気 という記事が載っていた。

ちょっと刺激的なタイトルにしてみたが、実は私も若い頃に宝くじを買った事が一度だけある。たった一枚だけだが、随分と精巧な印刷で驚いた。しかし、当たり前である。当たれば一枚何億円の代物。偽造される訳にはいかないのだ。そんな印刷代は経費となり、そして胴元(自治体など)のあがりが加わって、当選金に使うのは僅か47%しかないそうだ。

不利を承知(知らない人もいようが)で「夢」を買うという不合理な行動。米国では低所得の人や社会的に不利な立場にある人ほど「くじ」を買う傾向がある、という研究もあると言う。

サッカーくじ 最高10億円、ロト7 最高8億円、年末ジャンボ宝くじ 7億円、など高額の当選金で貧乏人から金を巻き上げるのは社会的に正しい事なのか?と思ってしまう。くじを売るために思いっきり欲望を掻き立てるようなテレビCMまでして。

正しい投資なら、期待値が1を下回る事が確実なら絶対に手を出さない。そもそも、今の私にとって、仮に一等が当たっても何も嬉しくもない。一等の金額は私の資産の金額より遥かに大きいけれど、そのお金をもはや必要としていない。もう、一番高い買い物はしたからね。宮仕えに捧げたはずの私の時間を。資産は私と妻で丁寧に使い切りたいと思っているから、余分なお金が手に入っても戸惑いと悩みが増えるだけ。

そう言えば、生命保険の還元率についても書いてあった。くじとは目的が違うとは言え、宝くじ並みの還元率の商品もあるらしい。母が常々話していた。高い保険料を毎月払ってやっと手にした満期金は物価高ですっかり目減りして何の生活の保障にもならなかったと。母の教訓を活かして、私は定期の生命保険には入らなかった。

2015年2月2日月曜日

問題は生きる知恵の格差

今日、トマ・ピケティの顔をテレビで見た。21世紀の資本という本を書いて大人気の学者だ。NHKのクローズアップ現代で紹介されてた。

それで所得格差について、その原因は賃金格差から生じるよりも資産格差から生じる方が大きいというのが彼の主張らしい。そして、近年増加した資産の大半が少数の富者の手に渡っているという現状はおかしいと言う。テレビにはプール付きの豪邸が立ち並ぶ様子を上空から撮影した映像が背景に流れていた。

しかし、私はその所得格差が問題であるという前提がそもそも正しいのか?という疑問を持った。彼は、大衆にもプール付きの家を持たせたいのだろうか。

富者はその富を自分自身で使い切る事が出来ない。だからこそ富を持つものはそれを何のために使うのかという自覚と責任を持つ。芸術や文化や社会資本はそうして生まれたのではないか。所得を平等に配分していたら、果たして豊かな社会が生まれたのだろうか。

私は、衣、食、住、医療、教育 の必要最低限が保障されれば、それで十分だと思っている。勿論、その必要最低限すら満たされていない人々もいよう。しかし、それは保障の水準が低すぎるのではなく、折角の保障を活かすだけの知恵がないからである。そのような人々の所得を向上させたとしても、悪しき習慣にお金が逃げて行くだけである。

いや、社会の底辺だけではない。中間層だと信じている人々も、メディアに踊らされて欲望を掻き立てられ無駄に消費させられて生活の豊かさを搾り取られてはいないか。

生活の豊かさって、家や車の大きさやテーマパークに行く事じゃない。カップ麺と菓子パンではなく手作りした食事を取ったり、子供達の宿題を見てやれる時間の余裕のある事ではないか。そんな生活なら必要なお金は逆に少ないはず。その結果として資産も豊かになると思うが。

豊かな家庭には生きるための知恵があり、それが次の世代へと受け継がれていく。小学生に英語を教える暇があったら、生きる知恵を公教育で底辺層の子供達へ伝えて欲しいものだと思っている。

子供達には、生活保護費(何でこんな名前かなぁ、所得保障制度の方が良いのに)の水準でも十分豊かな生活が送れるような知恵を付けてあげたい。そして、人生うまく行かなくても最低限の生活は保障されているから、自分の生きたいように生きろ、って教えてあげたい。

幼い頃から、良い学校を出て、良い会社に入って、出世して、というレールの上をひたすら走るのが正しい人生でそこから踏み外せば地獄が待っている、なんて恐怖で子供達を支配していたら、たとえそれが実現しようとも豊かな人生は送れない、と思う。