この本の著者は古川元久という衆議院議員で、民主党政権時代には大臣を勤めたこともある人だが、今回の衆議院選挙では希望の党から出馬するそうである。
消費税増税させないと言っている希望の党に加わるのは財政破綻を促進させる行為であるが、議席の方が大事なのだろう。
足るを知る
その著書の中で、「自立した地域社会」 と 「足るを知る」 という提言をしていた。つまり、著者は財政破綻を不可避だとして、そうなった場合の事を書いているのだ。と言うことは、希望の党に入るのは著書と矛盾している訳では無い?
戦後の混乱期、お金の価値が暴落していく中でも農村地帯では食うに困らなかった例を挙げたり、経済成長を目的とするのが正しいのかとウルグアイの元大統領 ホセ・ムヒカ氏の言葉を引用したりして、財政破綻した時のショックを和らげる策を説明していたが、私はそれとは別の話に興味を持った。それは、京都の龍安寺の裏庭にある蹲居(つくばい)に印された文字のことだ。
蹲居とは、茶室に入る前に手や口を清める手水鉢のことだが、この蹲居は一説によると、徳川光圀の寄進だとされる。円柱形の石で出来ていて上面には水を貯める正方形の窪みがあり、その正方形の四方に文字が描かれているが、真ん中の正方形を口偏に見立てているところが洒落ている。字の向きは揃っているのでどの方向が上になるかは分かる。(著作権の為、ここには載せないが、ネット上に写真は色々あるので確認出来る。)
上から時計回りに読むと、「吾唯足知」と読める。それを件の本では(われ ただ たるを しる)と紹介しているが、私は漢文なら「吾唯知足」の順ではなかろうか、と思った。
漢文とは古代の中国語に他ならず、その語順は 動詞→目的語(これは現代中国語と同様)のはずである。
そもそも、どういう順番に読むべきかも不明で、数学的に言えば24通り(4!)の読み方が存在するけど、漢文として意味があり、かつ順序的にも不規則ではないものとなると限られる。
- 唯吾知足 (反時計回り) 私だけが足ることを知っている
- 吾唯足知 (時計回り) 私はただ知を足すのみである
それで、知足に拘るなら上の解釈だが、足知という順でも意味が通じるのではないかと思ったのだ。つまり、勉学に集中する宣言だと。…検索しても足るを知るのことばかりで、こんな意見は何も無いが。
しかし、口偏の位置が真ん中なので、この4つの漢字なら字の配置はこれ以外はあり得ない。すると、この文の意味を字の並べ方から考えるのは正しくないのかも知れない。
読みの順番で、上→右→左→下という説を後で発見した。確かに、上から下の流れは自然で、真ん中は2つあるから、右→左の順で読めば良い。これなら吾唯知足になる。