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2017年3月31日金曜日

結婚25周年の話

先日、結婚25周年記念日にディナーに行ってみた。

いつもの結婚記念日は ランチに行く位のものだったが、世間では銀婚式とも呼ばれる今年の結婚記念日は特別な事をしようと思った。旅行するという案もあったが、その日は就活で娘が帰省している予定なので、ディナーに行くことにした。

仕事を人生の目的にするのか、或いは生活の糧を得る手段とするのかについて、少し前に娘と話した事がある。その折に、昔の同僚でエンジニアとジャズピアニストの二足の草鞋を履いて活躍している人の話をしたら、最近、ジャズに少し関心がある娘が聴いてみたいと言っていた。

その人の演奏スケジュールがネットに出ているのは知っていたので調べてみたら、正に結婚記念日のその日に さるレストランでジャズライブの予定がある。そこで早速予約して、ついでに 予約を受けたレストランのオーナーに 知り合いである事を告げておいた。息子にも一緒に行こうと声を掛けてみたら、最初は行けないと言っていたけど都合を付けて来てくれる事になった。

そして当日、家族揃ってレストランに行った。客は我々だけで、後で一人来たと思ったら、その昔の同僚の奥さんだった。我々が結婚記念日で来ると聞いてお祝いに駆け付けてくれたのだ。20年程前に、私が家族連れで米国に長期出張した折に知り合った仲で 皆が知り合いだったから、演奏後は全員で楽しくお喋りした。素敵な記念日になった。

結婚記念日はめでたい

考えて見れば、誕生日は生きている限りは毎年やって来るのに対し、結婚記念日は婚姻が続かなければやって来ない。そういう意味で、結婚記念日は めでたい。(誕生日も生きていて めでたい、とは言えるが。)

昔なら、夫が稼ぎ 妻が家事・育児をこなす という型に嵌った役割分担さえしていれば 婚姻を続けられたのかもしれないが、共稼ぎが当たり前になった現代、婚姻は対等な2人の同盟である。もし、お互いに この同盟関係を維持する努力を怠っていれば、その関係は解消される運命にある、と思う。

婚姻が続く為には

その同盟関係である婚姻が続くように、共稼ぎ時代の夫婦では、家事・育児は夫婦で公平に分担する。我が家は「共稼がない」なので やはり家事・育児は公平に分担するようにしてきた(積もり)。

公平に、というのは単純に半分づつという訳ではなく、お互いに得意な事をやって労力に一方的な偏りがないようにする事。両者の足らざるところを補い合うことで夫婦円満になる、とか言うとシモネタでしょ、と妻にツッコまれるけど、得意な事が夫婦で違っていても困ることは無いし、それを魅力と感じる事もしばしば。

その一方で、夫婦とも揃ってないと上手く行かない事もある。生活習慣、食の好み、そして金銭感覚など。結婚相手を探すのに重要なのは案外そんなもので、もし違っていたら、両者のすり合わせが(結婚後でも)必要なのだ。

居心地のいい空間

時には気まずい事もあったが、4半世紀をかけた両者の歩み寄りが 我が家独特の雰囲気を醸し出す。それが子供達にとって居心地のいい空間になっていれば、それが幸せというものだろう。この先、子供達が自立しても、何時でも安心して立ち寄れる空間にしていたい。

2017年3月18日土曜日

にわかバードウォッチャー

この頃、リビング南側の窓の外から美しい鳥の鳴き声が聞こえる。特に明け方。気になっていたら、妻がネットで調べて「イカル」という名の鳥だと分かった。あの美しい鳴き声と黄色いクチバシで確認。(鳥の鳴き声も聞けるサイトは沢山あるが、サントリーの 日本の鳥百科 が好み)

ここに引っ越して来てから早くも2年近くなる。このマンションは堤防が松林になってる川のすぐ横に立地していて野鳥も沢山いるのだが、この鳴き声には今迄気付かなかった。

今朝は夫婦でバゲットを買いに近くのパン屋まで散歩。7時前にマンションを出ると、脇の堤防の土手にイカルの群れがいて、木の実をパチッ、パチッ、とクチバシで割っている。数十羽は いそうだ。なるほど、最近こっちにやって来たのか。だから、家の中でも鳴き声が聞こえるのか。

私は鳥の名前には詳しくない。身近に見かける鳥で名前を言えるのは、カラス、鳩、雀、鴨、ニワトリ、くらいのものだった。しかし、夫婦とも最近は鳥に興味が出てきて、散歩中に見かけた鳥を後でネットで調べて どういう名前の鳥か覚えるようにしている。今のところ、「イカル」と「メジロ」は完全に覚えた。

「イカル」という名前は、奈良の斑鳩の里に沢山いたという言い伝えから記憶に残った。

「メジロ」は、やはり冬の早朝バゲットを買いに行く途中で見かけた。最初見た時は、地面に黄緑色の鳥の置物が地面に置いてあるように見えた。バゲットを買い、また同じ場所に戻っても それは同じ場所に置いてあった。何なんだろうと注視した瞬間、顔が少し動いた。あれっと思った数秒後、それは飛び立った。強烈な印象が残った。

後で妻に聞き、名前を知った。それ以後はちょくちょく見かけるようになった。その前もきっと目に入っていたに違いないけど、意識していなければ 認識されないらしい。

「メジロ」は名前の通り、目の回りが白いのだが、それよりも鮮やかな 黄緑色 である方が印象的である。この色を うぐいす色 とも言うらしいが、本当の うぐいす色 はもっと茶色がかった色であるらしい。ウグイスは目立たない鳥なので、ウグイスが鳴いている近くにいるメジロをウグイスだと勘違いして、メジロの色を うぐいす色 と呼ぶようになったと妻から聞いたが、真偽の程は不明。ただ、そんな事を聞いたり調べたりしていて「メジロ」の名前はしっかりと頭に残った。

この川には他所からも双眼鏡を構えた大勢のバードウォッチャーがやって来る。私達は鳴き声を聞き、何処にいるのかと肉眼でキョロキョロと探すのみだが、それで十分に楽しい。

最近、生活の充実のため、以前よりも住居費と食費には思い切って支出することにしたけど、ここの環境を考えれば このマンションの家賃にも納得している。近所の散歩で十分満足出来るのだから。

2017年3月17日金曜日

資本金の話

就活で、会社の基本データ (売り上げ、税引後利益、従業員数、創業年数) 等を調べるのは大事だけど、その資本金の額はさほど重要でないという話。

資本金は、会社の創業時の額にその後の増資、減資を経て現在の額になっている。創業時に小さく産まれても、その後に事業利益で着々と成長を続けていれば資本金の額を変更する必要なくそのままでやっていける。

そこで大事なのは会社の純資産の額で、総資産額ー負債額 になる。その純資産は株主資本(持分会社に於いては 社員資本)とも呼ばれ、資本金とそれ以外の部分(資本剰余金、利益剰余金 等)で構成される。

つまり、資本金が小さくても純資産が大きければ財務体質が強い会社である。

名より実を取る

事業利益が積み重なり純資産が増えれば、通常は資本金以外の部分が増える。確かに、資本金が大きいと見栄えは良い。しかし、資本金を増やす事は「増資」と呼び、手続きが面倒だし登記に必要な費用(登録免許税)も発生する。

それに、何より資本金が増えると税金も増える。従って名より実を取って、優良企業な中小企業でも資本金は小さいままの事も多い。
  • 8,585,999円の壁 (合同会社の資本金がこれを越えると、設立時の登録免許税が高くなる。株式会社の場合は21,442,999円までは同じ。)
  • 9,999,999円の壁 (資本金がこれを越えると、設立当初から消費税の課税事業者にされる。)
  • 1千万円の壁 (資本金がこれを越えると、法人住民税が高くなる。)
  • 1億円の壁 (資本金がこれを越えると、法人税が高くなる。)
  • 5億円の壁 (資本金がこれを越えると、公認会計士の監査を受ける必要がある。)
コラム: 登録免許税の額は、資本金から計算される額と最低額のどちらか高い方で、最低額は合同会社が6万円、株式会社が15万円。一方、資本金の0.7%が計算される額、但し資本金の1,000円未満は切り捨てて計算して税額の100円未満の端数も切り捨て。

増資する理由

増資には2種類ある。一つは有償増資で、これは外部から資金を調達する。もう一つは無償増資で、これは、利益剰余金などを資本金に振り替えるから純資産の額は変わらない。

有償増資には、事業拡大の為に資金を増やす場合と 倒産の危機に瀕した会社が取引先の会社とか銀行に出資してもらう場合がある。

無償増資は、資金的なメリットは無いのに税金が増えたりするが、資本金の額が増える事で体面は良くなるし、出資してもらう手間も不要。

自家用法人の資本金

資本金は1円以上任意の額が可能とは言え、一般的には百万円単位にするのが無難と思い、我が自家用法人の資本金は自分が百万円、妻も百万円 出資して合計2百万円にした。

実際に、会社が出す色々な書類には資本金の欄があって、単位が百万円になっている事も多い。もし資本金が1円の会社だったら、0.000001百万円 とでも書くのだろうか? とは言え、実際に会社を運営してみて、資本金の額は低い方が会計の自由度が高いと思った。

我が社は、毎年の法人所得額をゼロにするよう決算している。その関係で、年度末の預貯金の額は「資本金ー創立以来に支払った法人税等の累計額」以上に保つのが都合いい。その額は昨年末で 1,21,2400円になる。もし、資本金の額が数万円以下だったら、初年度から預貯金の額は社会保険料の引き落としで赤にならないよう注意しておくだけで済んだ。

だから、今の私なら資本金の額は百万円単位とせず、もっと低額の面白い数字にしてみたい。お気に入りの言葉の語呂合わせ(早まって 4,649円とかにしたら後で恥ずかしいけど)とか、数学上の特別な値とか。

会社の創立年に合わせるのも面白いし実用的だ。我が社なら 2,006円 か。

2017年3月12日日曜日

子供達も就社活動

息子は大学院修士1年生、娘は大学3年生、ともに卒業後は就職する積りなので、この春は いわゆる 就活 に忙しい。この就活は就職活動の略らしいけど、就社活動の方が日本の実情に相応しいだろう。

日本の会社は新卒の学生を職では取らないのが一般的だ。だから、新人研修の後で配属先が決まるまで自分がどんな仕事をするのか決まってないし、その仕事もずっと同じとは限らない。

しかし、この就社という形式は、やりたい事がしっかりと決まっていない学生にとっては好都合だ。若者は、世の中にどんな仕事があるのかも良く知らないし、そもそも自分がどんな仕事に向いているのかさえも分かっていないくて当たり前。

世界基準の就職活動なら、職は固定で即戦力となる人物が採用される。百戦錬磨のベテラン転職組と新卒学生が同じ土俵で戦う事になるので、職歴のない学生はインターンシップというタダ働きで経験を買うしか手がない。

就社は欧米ではエリート大学生のみ

ところが、欧米でも世界トップクラスの大学を卒業すれば、その能力を期待されて経験が無くとも「就社」出来るらしい。その特権が日本では(少なくとも形式的には)全ての新卒学生に開かれているのだ。この事を知っているだけでも 就活 出来て有り難いのだと前向きな気持になれると思う。

同期入社の仲間

就社で大事なのはどういう会社に入るかである。可能性のみがあって何の経験も無い学生が入るのに相応しいのは育ててくれる会社だろう。そうすると、長い目で見てくれるような会社の方が即戦力を期待している会社よりも良さそうだ。そして、急成長の会社よりも安定成長の会社。人材を育てつつ安定して成長するのに 新入社員は多くても社員総数の1割以下にしないと無理があると思う。
もし、社員の年齢構成に偏り無く、定年まで退職しないで40年勤めるとして、社員数が一定であり続けるなら、新入社員は社員数の2.5%になる。毎年、新入社員が社員数の10%で退職者が2.5%なら社員数は10年で約2倍になる。
因みに、就職人気一番の企業、三菱商事がどうなっているかネットで調べたら、ここ数年は社員数は6千名弱で新入社員の採用数は2百名弱だから、率は約3.3%だった。
どういう指導があるか、どういう仕事を与えられるか、という事については上司や経営トップの資質に関わるが、それに負けない位に同期入社の仲間の存在も重要だ。そうすると、採用数が少なく過ぎるのも困るし、優秀な仲間を採用して欲しい。

会社の命運は経営トップで決まる

東芝やシャープの事例でも明らかだけど、過去どんなに素晴らしい会社であっても経営トップが駄目なら会社は駄目になる。その一方で、うまくいってる会社の多くはカリスマ的リーダーが長期的視野で会社を経営している。そして、そのリーダーがオーナー経営者(株を多数持っている)なら、長期に渡って経営者であり続ける事が予想出来る。

そう言えば、私がかつて勤めていた会社は米国の親会社の日本法人だったが、その親会社はカリスマ的創業者が長年経営していた。しかし、その経営者が引退した後はボンクラの経営者が引き継いだ。ボンクラの経営者は成長(Growth)と利益(Profit)の2語しか発しなかった。

その経営は最初の内は順調だったが、その勢いで成長を続けたら全世界の人間がこの会社の社員になってもまだ不十分になってしまうな、と私は思っていた。やがて不景気になると会社はリストラの嵐となって私も対象となり、その御蔭で私は自由人になれたのだが。

同じ仕組みを単に増やすだけならボンクラ経営者でも出来、それで ある程度は成長する。そして売り上げや利益が大きくなった分だけ経営者自身の報酬も増やせる。しかし、質の向上無しの量的拡大はやがて行き詰まる。それが分かっている賢明な経営者は決して無闇な量の拡大はしないし、不景気でも社員を大切にする。

そんな事を考えて見ると、就社するのに理想的なのは、優秀な人材を採っている、ある程度大きく(新入社員を数名から数十名とれる位?)、同族経営で、質の向上に地道な努力を続けている会社だろうか。しかし、その為には、自分がその優秀な人材になる必要があるのだった。

職は自分で作る

就社なら、どういう仕事をするのかは(希望を聞かれる事はあるけど)会社が決める。娘は食品関係の職に着きたい希望があるけど、食品業界に就社しても経理や人事など 食品とは無縁の仕事もあるし、逆に、機械メーカーに就社しても寿司ロボットの開発とか食品と関わる仕事になるかも知れない。

だから、業界に拘るよりは、自分を育ててくれる良い会社と縁があればそこに入社しても良いのではないか。色々仕事して社会経験を積み、自分がやりたい職を見つけたら、その時点で転「職」するなり起業すれば良いだろう。

だから、就社するのには業界に囚われず、社員を大切にし、顧客も取引先も大切にし、社会に貢献する会社を探せば良いのでは無いかと思う。

2017年3月5日日曜日

日経日曜版が夕刊並みの薄さに

日経新聞は今月から土曜日と日曜日の紙面を全面的に変更する。

昨日は土曜日版の プラス1 という紙面が新しくなった。気に入っていた 算数オリンピックに挑戦 のコーナーは無くなったような気がしたり、その他の読む価値のありそうな記事も減っているとは感じたけど、それ程たいした事ではない。

そして、今朝、日曜版を見て驚いた。真ん中に挟んでいる NIKKEI The STYLE という紙面を除くと たった16ページ。夕刊と同じ。因みに、先週の日曜版は36ページあった。

その真ん中に挟んでいる紙面は 紙の質から別物で、内容も広告が殆どで読む価値はそれほど無い。

残りの部分からは お気に入りだった 日曜に考える(先週は7ページあった) や 読書(先週は5ページあった)のページが消えていて、まるで夕刊を読んでいるように感じた。「日曜に考える」や「読書」は 私にとって 日経新聞の中で最も読む価値のある記事だった。

ついでに言うと、妻は「詩歌・教養」のページを楽しみにしていたが、それも消えた。
後日談: 日経のWebに 日曜に考える の復活をお願いした書き込みをした。すると、担当部署に伝えます、尚、読書欄は無くなったのではなく、土曜日に移りました との返事があった。確かにあるけど、3ページに減っていた。詩歌・教養 のページも土曜日に移っていた。こっちは1ページと変わらず。
だから、今回の変更で 私には日経新聞を取り続ける価値は大いに減ったと言えよう。日経新聞にWebから文句を言って、それでも変わらないようだったら取るのを止めるかも知れない。