いつもの結婚記念日は ランチに行く位のものだったが、世間では銀婚式とも呼ばれる今年の結婚記念日は特別な事をしようと思った。旅行するという案もあったが、その日は就活で娘が帰省している予定なので、ディナーに行くことにした。
仕事を人生の目的にするのか、或いは生活の糧を得る手段とするのかについて、少し前に娘と話した事がある。その折に、昔の同僚でエンジニアとジャズピアニストの二足の草鞋を履いて活躍している人の話をしたら、最近、ジャズに少し関心がある娘が聴いてみたいと言っていた。
その人の演奏スケジュールがネットに出ているのは知っていたので調べてみたら、正に結婚記念日のその日に さるレストランでジャズライブの予定がある。そこで早速予約して、ついでに 予約を受けたレストランのオーナーに 知り合いである事を告げておいた。息子にも一緒に行こうと声を掛けてみたら、最初は行けないと言っていたけど都合を付けて来てくれる事になった。
そして当日、家族揃ってレストランに行った。客は我々だけで、後で一人来たと思ったら、その昔の同僚の奥さんだった。我々が結婚記念日で来ると聞いてお祝いに駆け付けてくれたのだ。20年程前に、私が家族連れで米国に長期出張した折に知り合った仲で 皆が知り合いだったから、演奏後は全員で楽しくお喋りした。素敵な記念日になった。
結婚記念日はめでたい
考えて見れば、誕生日は生きている限りは毎年やって来るのに対し、結婚記念日は婚姻が続かなければやって来ない。そういう意味で、結婚記念日は めでたい。(誕生日も生きていて めでたい、とは言えるが。)
昔なら、夫が稼ぎ 妻が家事・育児をこなす という型に嵌った役割分担さえしていれば 婚姻を続けられたのかもしれないが、共稼ぎが当たり前になった現代、婚姻は対等な2人の同盟である。もし、お互いに この同盟関係を維持する努力を怠っていれば、その関係は解消される運命にある、と思う。
婚姻が続く為には
その同盟関係である婚姻が続くように、共稼ぎ時代の夫婦では、家事・育児は夫婦で公平に分担する。我が家は「共稼がない」なので やはり家事・育児は公平に分担するようにしてきた(積もり)。
公平に、というのは単純に半分づつという訳ではなく、お互いに得意な事をやって労力に一方的な偏りがないようにする事。両者の足らざるところを補い合うことで夫婦円満になる、とか言うとシモネタでしょ、と妻にツッコまれるけど、得意な事が夫婦で違っていても困ることは無いし、それを魅力と感じる事もしばしば。
その一方で、夫婦とも揃ってないと上手く行かない事もある。生活習慣、食の好み、そして金銭感覚など。結婚相手を探すのに重要なのは案外そんなもので、もし違っていたら、両者のすり合わせが(結婚後でも)必要なのだ。
居心地のいい空間
時には気まずい事もあったが、4半世紀をかけた両者の歩み寄りが 我が家独特の雰囲気を醸し出す。それが子供達にとって居心地のいい空間になっていれば、それが幸せというものだろう。この先、子供達が自立しても、何時でも安心して立ち寄れる空間にしていたい。