このブログを検索

2014年11月18日火曜日

お金持ちとは資産の管理人にすぎない

富者を羨む気持ちを戒める言葉を新しく作ってみた。

お金持ちにも色々ある。事業に成功した人。こつこつ貯金した人。先祖から財産を受け継いだ人。宝くじにあたった人。投機があたった人。投資がうまく行った人。

お金を持っているから偉いって言える人はいるのだろうか。社会に貢献するような事業に成功した人は、それは偉いと思うが、その結果としてお金持ちだとしても偉い理由は別だ。

結局、お金を持っていること自体には偉い理由は存在しない。

自分のお金って、持っているだけでは自分が管理しているものに過ぎない。自分の為に消費して初めて自分のものになる。…あれっ? 消費したらお金なくなっちゃうんだけど?と思われるかもしれない。だけど、自分の為に消費して、それが自分の知識や経験に変化すればもう誰もそれを奪うことはできない。逆に管理が悪ければ簡単によそに移っていく。所有権はあっても本当に自分のものではないのだ。

物を買うのは消費ではなく、投資に当たる。家や車を買ったとしても、それは本当に自分のものになってはいない、使って減価償却した分だけが自分のものになったと考える。再販価値がなくなるぐらい改造しまくった愛車だったら本当に自分のものかもしれない。極端な話、名画を自分の棺桶に一緒に入れて焼いてくれと言い残した人の気持ちも本当に自分のものにしたいという意味で分かる気がする。

お金は消費してこそ意味がある。自分で使い切れる範囲を超えたお金持ちは、他人が使うことになるお金を管理していくことになる。管理するためには自分の大事な知恵も時間も懸けねばならぬ。誠にご苦労様なことである。自分が必要とするお金以上に欲しがるのは知恵のある人のすることではない。

もしお金持ちが偉いというなら、それは単にお金を持っているからという訳ではなく、その人が管理しているお金を使って社会に貢献した結果であろう。