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投資してない人はいない

昨日の日経新聞の朝刊に投資についての真っ当な意見が書いてあった。

それは大機小機というコラムで、「貯蓄から投資へ」とは…、というタイトルがついていた。政府が旗を振って個人が貯蓄を投資に振り向けるようにすることに異議を申し立てたのだ。金融機関が真っ当なら家計が貯蓄主体、企業が投資主体で結構、問題は企業が貯蓄主体になっていることだ、という。

私も、一般の人はリスク性の金融資産をうまく管理出来ないと思う。金融の高度な知識を一般の人にあまねく学ばせるより、その労力はそれぞれの人の仕事の分野に回した方が良いのではないか。相場の変動に一喜一憂するのは一部の人だけで十分だろう。その他大勢は貯蓄さえしていれば安心していられる世の中であって欲しいと思う。

コラムでは更にこう言っている。
もっと家計にリスク資産を持たせたいのであれば、安定的な社会保障制度を構築して将来の不安をなくし、金融資産の自由度を高めるのが政策の基本ではないか。
全く同感である。しかし、もはや安定的な社会保障制度は維持できないので各自投資をして自分の身は自分で守って下さい、というのが実情だろう。

政府の宣伝に毒されて虎の子の財産を抱えて金融機関に向かえば、それはもう親切に金融機関が一番儲かる商品を勧めてくれる。(「金融機関が」の後に句点のないことに注意)

これに抗するには、かなりの金融と投資の知識がいる。しかし、一番大事なのは投資に振り回されないだけの心の強さがあるかどうか、だと思う。それが無ければ、相場の変動に惑わされずに平常心で日常を過ごすことは出来ない。一般の人には無理だ。

さて、実はここからが本題である。

貯蓄しかしてません、と言う人も実は日本円の金利に対して投資していることになる。
家しか持ってません、と言う人も実は不動産に対して投資していることになる。
何も持ってません、と言う人も実は自分の時間を労働市場に対して投資していることになる。

本人に投資しているという意識は全くなくても、それらは投資なのだ。政府には、それら一般の人が普通に行っている無リスクと思われている投資では不利益にならないような政策を採ってもらいたいものだ。

しかし、昨今の政策を見る限り、近い将来の国の財政破綻は避けられず、無リスクと思われていた投資(財産)が実はリスクの大きい投資になっていると私は考えている。

だから、敢えて一般の人も金融と投資の知識を持って、かつ強い心を育てて、今はリスク性の高いとされる投資に挑んで欲しいと思う。このブログがその助けになれば幸いである。