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2018年11月12日月曜日

或る旅行

先日、横浜にある「原鉄道模型博物館」に妻と行ってきた。以前、「ぶらぶら美術・博物館」という日テレBSの番組で取り上げられたのを見て、一度ぜひ訪れたいと思っていたから。

横浜へは豪華客船で

そして、今回の旅行は、「ぱしふぃっく びいなす」という豪華客船で神戸から横浜まで船内で1泊、夕方に横浜着なので、「ホテルニューグランド」というクラシックホテルで1泊、その翌日に博物館へ行って、新横浜から新幹線で帰るという行程である。

20年程前に、「おりえんと びいなす」で家族連れで屋久島へ2泊3日で行ったのが初めての豪華客船体験。それ以降乗る機会が無かったが、乗り物好きなので最近はクルーズのパンフレットを貰って眺めていた。

原鉄道模型博物館の(録画した)放送を見た後で、神戸〜横浜のクルーズがあるのを思い出し、船で行くことにした。旅行会社に申し込みに行ったら、一番安い客室が予約出来た。2人で7万円だが、それに横浜までの運賃(新幹線なら2人で3万円)とフルコースの食事が付いていると考えると納得出来る値段だ。

今回、船で横浜に行くのは別の思惑もあった。この1泊のクルーズで、自分がこれから更に長いクルーズをしようと思うか、或いはそれ程魅力があると思えないか見極めたかったのだ。そして、船でしか行けない小笠原の旅を豪華客船にするか、或いは「小笠原丸」の2等で(しかも、学割を使って)行くか考えたかった。

「ぱしふぃっく びいなす」は、初めて乗った豪華客船の後継で更に豪華な船であるが、以前の感激はなく、快適さを再確認したに留まった。この先、この船の長いクルーズに参加してもそれ程楽しく無さそうな気がする。客はシニアばっかりだったし。

他の豪華客船の「飛鳥Ⅱ」や「にっぽん丸」には乗ってみたいが、それも短いクルーズで十分だろう。特に、今回のような出発地に戻らないクルーズは移動手段としての価値があるし、(クルーズの繋ぎだからだろうか)空いている。ディナータイムの入れ替えなしなのにレストランの定員の⅓程度しか埋まってなかったから相席にならずに済んだ。それに、展望風呂はほぼ独占状態だった。

船旅の間は良い天気に恵まれ、船内を行ったり来たり、デッキを登ったり降りたり。季節柄プールは営業してなかったが露天のジャグジーバスは入れるようになっていた。やっていても入ることはなかろうと水着は持って行かなかったが、それだけやり残した感がある。次に豪華客船に乗る時は冬でも水着を持っていこう。

クラシックホテルめぐり

旅のもう一つのテーマはクラシックホテルに泊まること。ホテルニューグランドは1927年の創業。宿泊は勿論その当時の建物である本館に。スタンダードツインの早期予約で15,000円だったが、チェックイン時に空きがありデラックスツインに(その値段で)泊まれてラッキーだった。


そして、第2次世界大戦以前に創業し、戦前の建物が現存するホテルで結成された「日本クラシックホテルの会」のメンバー9ホテル全てに泊まると宿泊券が貰えるというパスポートを1,500円で購入。3年以内に残り8ホテルの宿泊を目指す。

原信太郎の生き方

船旅の翌日は生憎と雨だった。午前中はホテル周辺の洋館を見て廻る積りだったが、博物館に真っ直ぐに行く事にした。朝食はホテルで取らずに横浜駅まで地下鉄で行って地下街の人気カフェでモーニングセットを注文。博物館に着いたのは開館の10分前。

この博物館は本物の電車の運転台を使って鉄道模型を走らせる「動鉄実習(ウゴテツジッシュウ)」が人気。1日3回、各回先着10人しか体験出来ないので さぞや並んでいると思っていたが、その日の一番乗りだった。平日の午前中なら空いているようだった。2階にある博物館へ登るエスカレーターの前で並んでいるとスタッフのお姉さんがやって来て、運転台は旧型と新型があるがどちらが良いのか聞かれる。私は旧型、妻は旧型よりも運転がやや易しいという新型を希望すると、首にIDカードのようになった整理券を掛けてくれた。

噂のジオラマは駅の時計までちゃんと動く凝りよう。電車は架線から集電し、レールの継ぎ目でちゃんとカタンカタンと音がして、信号機を電車が過ぎると青から赤に変化する。運転の実習では係の人が付きっきりで指導してくれて、ちゃんと運転することが出来た。

しかし、ここで一番感銘を受けたのは、この博物館の元になった鉄道模型の製作者・収集者である原信太郎の生き方そのものだった。

小学生の時から、乗り鉄、撮り鉄、一番乗り、鉄道模型の為にお金と時間を惜しみなく使う。海外の文献を読むために小学生のうちから英語を学び始め、大学入学までには数ヶ国語を習得。そして、コクヨという会社の社員ながら一番の切符を買うために駅に何日も並ぶ一方で、鉄道模型製作の知識を仕事にも活かして技術者としても成果を挙げている。そうやって一生を好きな事で埋め尽くす。それが鉄道模型博物館という形で社会に還元される。

この投稿のタイトルは原信太郎が作った「或る列車」という模型をもじって付けた。その「或る列車」とは明治末期に日本に輸入された豪華列車だが、一度も運行されずに終わった幻の車両で、鉄道ファンの間では「或る列車」と呼ばれているらしい。それをモチーフとして原信太郎は自分独自のデザインで模型を作ったのだが、その模型を元にしてJR九州が本物の列車を作ったという。これも社会への還元だろう。

私の今後の生き方についても大いに参考になった。