このブログを検索

2019年2月27日水曜日

加速、馬力、トルク、自動車評論家

ある自動車評論家が出している自動車のエッセイシリーズ本を読んでいて「加速と馬力とトルクの関係についての珍説」を発見した。

自動車評論家について

自動車評論の多くはその車の魅力について人の感性に訴える情緒的な文章を連ねる。それはメーカーの立場で語られる販促ツールに過ぎないのだが、ある車を買おうと決めた人に対しては その決断が正しかったと後押ししてくれるものだし、ユーザーの心の安定に役立っているのかも知れない。

そんな感性に訴える情報なら何を書いても嘘にはならない。だが、自動車というものは物理の法則に則って動くのだから、その部分について正しくない情報を書いているならば「オカルト自動車評論家」としか言えない。

自動車評論家の中には豊富な知識と経験によって自動車そのものだけでなく部品の技術から製造法に至るまでの歴史や由来や事情まで薀蓄を語ってくれるような人もいる。

そんな私好みの薀蓄系自動車評論家は、外国製の高級車なら何でも褒める数多くの自動車評論家とは違って、外国製の高級車でも駄目ならボロクソに書くし、軽自動車でも良ければ絶賛してくれる。

そういう自動車評論家だと思っていた内の一人だったのが冒頭に書いた自動車のエッセイ本の著者だったのだが、その文章を読んでその著者がトルクと馬力と加速の関係について良く分かってない事と知ってヒドくがっかりした。

加速について

加速とは速度が増加する事だが、どれだけ急に加速するかは加速度という物理量で数値化する。加速度が大きい車は非常識な値段で売れる事になっている。

加速度とは、速度の時間当たりの増加率である。そして加速する為には物体に力を加える必要があり、加速度(a)と 物体の質量(m)と 物体に加える力(F)との間には、F=ma という単純だが力学上の最重要の式で表す事が出来る。

力には N(ニュートン)という単位があるが、F=ma の公式から 質量(kg)×加速度(m/s²) の単位が等しい訳だから N = kg·m/s² という関係がある。

万有引力を重力加速度で表現する

何も動いていないように思える(地上の)物体にも重力加速度という力が掛かっている。この力は地球という質量とその物体の質量がお互いに引き合う力で万有引力という名前で知られている。しかし、この力は物体の質量に比例する事から、上記の加速度と力の関係が同じなので、万有引力の大きさは加速度の単位で表す事が出来て、重力加速度と呼ばれる。

更に、その物体の質量と物体に掛かる万有引力(重力)とは古来同一視されていたから、力の大きさは重さでも表現されてきた。これは kgf(重量キログラム)と呼ばれ、公的には
1kgf = 9.80665 N とされる。即ち、地球表面での万有引力の大きさは(場所や高度で多少の変化はするが) 9.80665 m/s² とされ、この値を 1G とも呼ぶ。この重力加速度も自動車の力学のアチコチで使われる大事な概念である。

力と仕事と仕事率

力と質量と加速度の関係 の他に自動車の力学を語るのにもう一つ重要な概念がある。それが 力と仕事と仕事率の関係 である。

勿論、力学で言う仕事はデスクワークなどではなく、重いものを持ち上げたりする肉体労働系の話である。仕事(W)は、力(F)に逆らって動かした距離(Δx)で定義され、W=F·Δx という式で表される。仕事には J(ジュール)という単位があるが、これは N·m に同じ。更に、kgf·m という単位もあって、1 kgf·m = 9.80665 J である。

単位時間当たりの仕事は仕事率と呼ばれ、W(ワット)という単位があが、これは J/s と同じである。… (仕事を表すシンボル W … こちらは Work の略だろう…と紛らわしいが。) そして、自動車でお馴染みの馬力もまた仕事率の単位である。日本の計量法では 1馬力=735.5W と定められている。この1馬力は 75kgの物体を1秒間に1m持ち上げるという仏馬力の定義に基づくらしい。(9.80665 × 75 = 735.49875)

馬力という表現は重力加速度と関係すると役に立つ

きっと、電気自動車が主力になれば馬力という表現は過去のものになる事だろう。しかし、懐かしさだけでなく、馬力という単位は自動車の運動を計算するのに今でも役に立つ。

例えば、高速道路の登り坂で時速100kmで登るにはどれほどの仕事率が必要なのか計算する場合。ネットで調べた所では、道路構造令により、時速100km区間では6%を超える勾配は作れないそうだから6%の勾配を登るとする。

時速100kmは秒速に直すと27.77…m/s だから、6%の勾配を登ると 1.66…m/s で車体を上昇させている事になる。例えば現行アルトF 5MT だとすると 車両重量 610kg。それに乗員や荷物を合わせて仮に 750kg だとすれば話は簡単になって 1.66… × 750/75 ≈ 16.7馬力 あれば足りる。このエンジンは最大49馬力あるから(空気抵抗などの他の要因を考えても)全く問題はなさそうだ。

例えば、目一杯加速させるにはどれほどの仕事率が必要なのか。加速させるには車体を水平に押すのだが、それは地面とタイヤの摩擦力でタイヤが地面を水平方向に押す力である。その摩擦力の限界値を超えればタイヤは空回りして押す力は却って小さくなってしまう。

摩擦力の最大値(F)は、垂直抗力…タイヤが地面を垂直に押す力…(N)に摩擦係数(μ)を掛けた F=μN で表される。乾燥した路面でのタイヤの摩擦係数は 0.8 程度らしい。そうすると車重の全て(m)が駆動輪に掛かる4WDでも F=μ·m·G となる。

加速度は F=m·a で表されるから、m·a = μ·m·G が成り立ち、a = μ·G 即ち 0.8G の加速度が限界となる。

ここまでは、重力加速度が出てきたとは言え、押す力の話でまだ馬力は出てこない。しかし、どういう速度の時に加速するかで馬力に大いに関係する。つまり、一定時間加速させるとなると車体を押しながら距離を移動した事になる。それが仕事であり、その仕事は物体の速度が増した(加速した)事によって運動エネルギーの増加分に姿を変える。

問題は加速に要した移動距離で、同じ加速度(押す力が同じ)でも速度が10倍なら押しながら移動した距離も10倍になり、必要な仕事も10倍になる。

では時速100kmの時に0.8Gの加速が出来るには何馬力必要になるのか。仮に車重750kgだとして計算すると、27.77… × 750/75 × 0.8 = 222.22 馬力となる。

スーパーカーなど確かに車重も馬力もこの計算の2倍位だから、公道で最高速は出せないにしても加速性能は時速100kmに達する直前にその車の最大能力を瞬間的に味わえるのかも知れない。
因みに、スタートから時速100kmに達するまでの時間はスポーツカーの加速力の指標でもある。ずっと 0.8G の加速が出来るなら、その値は計算上 約3.54秒になる。
→ 後日、市販車の 0-100km/h  のランキングを調べたら、早い車だと2秒台の車も存在するようだ。摩擦係数が1.0を超えるようなハイグリップタイヤを使えばそのような記録(1.0Gで加速が続けられたら2.83秒)も可能になるらしい。
FWDの自動車なら前輪への荷重の方が後輪より大きいとは言え加速時には前輪への荷重が減るので4WDの半分の0.4Gの加速位が精々だろう。市街地での最高時速40kmの時に車重750kgの車を0.4Gの加速させるのに必要な馬力を同様にして計算すると 44.44 馬力となるから、市街地では最高49馬力のアルトFでも十分な加速能力があるといえる。

トルクとは

トルクというのは軸を捻る(ねじる)力の事だが、その単位は仕事と同じ N·m だから話がややこしい。冒頭に書いた自動車評論家もこの事を読者に間違えてはいけないと書いていながら自分が間違えていた。

軸にテコを取り付けそのテコの先端を押すと軸を捻る力になる。その捻る力は(押す力)掛ける(テコの長さ)だ。一方、仕事は(押す力)掛ける(移動距離)である。力の方は同じでも、長さの方はトルクは(テコの長さ)、仕事の方は(移動距離)である。

しかし、トルクに回転数と2πを掛けると仕事になるのだ。

テコの長さを r 、テコの先端を押す力を F とすると、トルク T = F·r となる。そのテコを押して1回転すると移動距離はそのテコの長さを半径とする円周の長さ 2πr になるから F·2πr の仕事をした事になる。トルクの式から、F = T/r だから仕事は F·2πr = (T/r)·2πr = T·2π となるのだ。(結局、テコの長さは無関係になる)

回転数も2πも無次元の量だからトルクと仕事の単位が同じなのにも一理ある、という訳だ。

加速は馬力かトルクか

巷では、馬力とトルクの論争というものがあるらしいが、工学的に言って加速は馬力である事を説明してきた。

つまり、タイヤが地面を蹴って車を前に進める力が強いほど加速度は大きくなり、その地面を蹴る大きさはタイヤを回すトルクが強いほど大きい(正確には、タイヤを回すトルクをタイヤの半径で割った大きさ)。タイヤのトルクはエンジンからタイヤに至るまでのギヤ比で大きくする事が出来るが、そのギヤ比だけエンジンは回転数を増やさねばならない。そうすると回転数に比例する馬力の方の問題である事がはっきりする。

そもそも、馬力はトルクに2πと時間当たりの回転数を掛けたものだから、馬力かトルクかその言葉通りの議論するというのもおかしい。これについて意味のある議論とすれば、(高回転でのトルクが大きくなるようにして)最高馬力の大きさを優先して設計したエンジンか低回転でトルクが大きくなるように設計したエンジンか、どちらが加速が良いのかという問題になる。

これも結論は簡単で、エンジン回転数を高く保つような運転をすれば最高馬力の大きな方が加速が良いし、普通に運転するなら低回転でもトルクの大きな方が加速が良い。最高馬力を優先し、かつ低回転トルクも小さくならないというエンジンの設計は(自然吸気エンジンでは)困難だから、そのどちらを選ぶのかは個人の嗜好である。

勿論、私は市街地での運転が楽な低回転トルクの大きい方を選ぶ。