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2018年4月10日火曜日

喜べるのは生みの親・育ての親

大谷翔平は高校を卒業してすぐにメジャーリーグへ行く積りだった。しかし、日本での活躍が無ければメジャーリーグで大打者か大投手には成れたとしても二刀流は難しかっただろうと思うと、彼を日本に引き留めて日ハムで育てた栗山監督の存在無しには今の大谷翔平は無かったろう。

大谷翔平選手の活躍に米マスコミが大絶賛しても、褒められているのは同じ日本人ではあるが、あなたではない。同時に褒められるべきは大谷翔平の生みの親・育ての親であって、大谷翔平という存在に何の関わりもない人が褒められていないのは当たり前の事。

と、書いている私も彼が褒められて喜んでいるクチだが、翔タイムのテレビ番組や新聞・雑誌に時間を使い過ぎないように自戒したい。

人生の意味

娘に人生の意味を問われた時、「お前を育てた事」と答えた事がある。だから、立派な社会人になって欲しいと付け加えて。

そして、もし子供がいなくても自分が生み・育てた物事が社会に貢献するなら、やはりそれが人生の意味になるのでは無いかとも言った。

大谷翔平の生みの親・育ての親が称賛されるのと同様に、社会に貢献する物事がどんなにささやかなものであったとしても、その生みの親・育ての親もまた称賛されて良いと思う。

子育てが終わった今、幸いにもこの世に送り出したい物事が私の頭の中に詰まっている。それを引き出し、世に広める事が私の残りの人生の意味だと思っている。