教養という言葉を聞くと、以前の私なら文学や歴史やクラッシック音楽などに造詣が深い人というイメージがあったけど、今は違う。
教養という言葉の元が「リベラルアーツ」だと知って、その直訳の「自由に生きるための技法」がその言葉が本当に意味するものだと理解したから。
その為には自ら判断出来る能力を得ることが必要だと考える。その過程で物知りになったとしても、その物知りは人にひけらかす為のものでは無いのだ。
知識よりも論理
自ら判断するという行為は、自分が正しいと判断した情報源から論理的に決断を導出する行為だと思う。完全に裏が取れて無くてもなるべく信頼出来る情報を探し、多少の飛躍や推定を交えても論理的に結論を出すという習慣なのだ。
勿論、些細なことなら 皆がやっているから とか それが常識だから という決断方法でも構わないだろう。判断に要する労力が不要だし、もし判断が間違っていても大きな損失にはならない。しかし、人生や仕事の上での一大事なら慎重に自ら判断すべきなのだ。
その信頼出来る情報だが、正しい知識を沢山覚えていれば探す手間も省けて素早い判断を下すことが出来る。しかし覚えられる量には限界があるし、必要な知識も日々更新されるのだから、現代では正しい知識を沢山覚えるよりは ネット上の莫大な情報から正しい情報を選ぶ能力の方が大切だ。
その正しい情報を選ぶ事も やはり自分の知識を総動員して考える行為であり、教養が活躍する。信頼出来る複数の情報源を調べ、正しいか吟味した上で覚えた自分の知識と照らし合わせて矛盾が無いか考えて採用する。
そのやり方は正に学問そのものである。そして、理系の知識があれば 情報を数値としても吟味することが出来る。数学を学ぶと 推論や数値的把握能力の鍛錬になる。
色んな観点から確かめる
知識が無くても調べれば良いとは言え、その調べる為にもやはり最低限の知識は必要となる。高校までに習う知識でその大凡は賄えるとは思うが、現代社会を自由に生きるには その他に
- 経済学
- 金融
- 会計
- 法律
- IT
の知識が必要だと 個人的には考えている。自由に生きるには時間的、経済的ゆとりも必要だ。何事にもお金は関係するけど、経済や金融の知識がないとせっかく稼いだお金も いつの間にか どこかに吸い取られてしまう。
それから、考えるには時間が必要だ。その為に 投資や起業を考えるなら 会計の知識も 必須だろう。起業に際しては 経済的には良くても 法的にも正しく無ければ 成り立たない。そういった色んな観点を大まかにでも知っていると、詳しく検討すべきだと気付く。そうすれば 思わぬ落とし穴に陥る事態を防いでくれる。
それから、考えるには時間が必要だ。その為に 投資や起業を考えるなら 会計の知識も 必須だろう。起業に際しては 経済的には良くても 法的にも正しく無ければ 成り立たない。そういった色んな観点を大まかにでも知っていると、詳しく検討すべきだと気付く。そうすれば 思わぬ落とし穴に陥る事態を防いでくれる。