このブログを検索

2017年8月16日水曜日

ワインの詰替用ハーフボトル

飲み残しのワインの酸化を防ぐのに最も簡便な方法として、飲み残しを小さなボトルに詰め替える方法がある、とブログに書いた事がある。その時から、詰替えに適したボトルを求めて、ハーフサイズのワインを色々試して来た。

ワインは近所のスーパーでも扱っているものだが、ハーフサイズのあるワインの銘柄ではハズした事はなかった。ハーフサイズがあるという事は人気の銘柄という事でもある、という事実を改めて認識したのである。


しかし、詰替えに大事なのは中身よりもボトルの方である。上の写真でも分かるけど、色や形が異なる。白ワインは撫肩のボトルが多いけど、そのせいでボトルの径は怒り肩のボトルよりも少し大きくなる。

しかし、選ぶ決め手は意外にもキャップだった。何回か使っている内にキャップの具合が悪くなるのだ。そんな中、写真の右端の銘柄、Jacob's Creek だけは何度使ってもキャップは全く劣化しない。

この、Jacob's Creek はボトルの形と色が赤も白も同じでラベルのみ異なるのだが、赤と白のハーフサイズをそれぞれ2本づつ買って詰替用に揃えてみた。白ワイン用でもボトルに色がついていて光による劣化が少なく、怒り肩のボトルなので冷蔵庫で棚を専有する幅が小さいのも好ましい。

それから、この銘柄自体も気に入ったのでフルボトルでも何回か買っていて、そのキャップも取ってあるから、キャップが劣化して来ても交換出来る。(フルサイズとハーフサイズでキャップは互換性がある。)


これは、フルボトルワインを開けて、食事の後に直ちに飲み残しをハーフサイズボトルに詰め替えたところ。飲み残し、というよりも少し飲んだだけなのだが、一本は口のギリギリまで入れて、もう一本に残りを入れる。

開けたのはシラーズという品種の赤ワイン。赤ワインはカベルネ・ソーヴィニヨンと言ってたけど、最近はシラーズもお気に入りである。

赤ワインも白ワインも飲んでいると、冷蔵庫にハーフサイズボトルが4本並ぶ事もあり得るのだが、妻に怒られそうなので飲み方を調整して、今迄は最大3本に納めている。
後日談: ハーフボトル4本状態を達成? しました。
ハーフサイズがあるならそっちを買えば…という意見もあろうが、ハーフサイズ2本よりもフルサイズ1本の方が安いし、フルサイズしかない銘柄もある訳だし。コルク栓のボトル(最近減ってきたけど)の場合も詰替えればスクリューキャップになるのでメリットが大きいと感じる。

ハーフサイズボトルが空いたら、洗って乾かして、ほんの少量のブランデーを入れて(カビ防止の積もり)、次に詰替えの出番が来るまで棚に仕舞っている。

2017年8月13日日曜日

英語学習とIT技術

今日もコワーキングスペースでブログを書く集まりがあって、今回の投稿を書いている。今日の司会は英語の翻訳家の人なので英語について最近思う事を書く。

Google翻訳

日本政府は英語の教育に熱心だが、最近のAIの進歩の状況を踏まえて路線の変更をしないのだろうか。

というのも、AIの進歩によって、これから日本人が勉強しなければならない事、勉強しなくても良い事が従来とは変わって来るに違いないと思っているからだ。英語教育に関して、私はAI全体の事を知っている訳ではないが、少なくともGoogle翻訳の精度が急激に向上しているという事実からでも、単語を沢山知っていなくても大丈夫だと分かる。

それよりも、Google翻訳の結果に何か問題点がないか感じ取れる能力の方が余程大事である。

そもそも情報として正しいのか

その和訳を見て感じる違和感と言えば、勿論、英語から日本語への変換過程での問題点もあるだろうが、加えてその英文がそもそも情報として正しいのか、という事も当然含まれる。

そういう事を感じ取れる教養や論理が正しいのか判断出来る能力は、当然に日本語での教育でも培える。英語の勉強は程々にして、要所だけを締める、というのがAIと共存するこれからの社会でお薦めできる方法だと思う。

そう言えば、以前に放送大学で「ロアルド・ダールの短編を読む」という面接授業を受けたことがある。そのテキストは英文に日本語の注釈が付いたもので、日本の松柏社という出版社が出しているものを先生が指定していた。

その授業の中で、ある一文について先生が「これは非常に珍しい用法なんです。」と言って得々と説明していた事を、今思い出した。しかし、ちょっと疑問に思って家に帰ってから検索して原文を見つけたら、原文の方は普通の用法だった(カンマの有無だったか…引っ越しの際にテキストを処分したので確認出来ないけど)。

即ち、単に日本の出版社が誤植しただけの事で 珍しくない話なのに、先生は そんな可能性を疑いもせず非常に珍しい用法だと思い込んだらしい。

この件では、たまたま原文の方は正しかったけど、筆者だって間違って書く事もある。与えられた英文は絶対に正しいと思い込むのは危険だと思わないのだろうか。ともあれ、英語を一生懸命勉強するだけではマズイ。

読み書きを重視

IT技術の発達で、日本語でも予約、問い合わせ、手続き、などはブラウザやメールを通じて行えるようになってきて、電話が必要な場面は極端に減ってきた。増してや時差や国際電話料金の事を考えると、海外とのやり取りで電話が必要な事はまず無いだろう。

そういう時代なのだから、英語学習では会話能力よりも読み書き能力を高めた方が余程役に立つと思う。今の会話重視の風潮は、英語教育産業の要請に政府が答えた結果なのだろうか。

英語聴覚障害者と開き直る

聞き取り能力に関しては(個人差もあるが)日本語を母語として育てば、一定年齢以上では日本語に最適化かつ固定化されている。従って、英語では別の音素でも日本語で同じ音素とされる範囲では いくら訓練を積んでも区别することはもはや不可能になる。だから、日本人に英会話が出来なくても当たり前の事で自分を責めるのは良くない。

寧ろ、英語聴覚障害者として開き直ってみれば道も開ける。そうすれば話す方も便宜を図ってくれるはずだし、IT機器も大いに利用すれば良い。英語スピーチを英文に変換するソフトなどスマホでも使える訳だし。

英会話の訓練の目的が、「英語が出来るカッコイイ私を演出」というだけなら無理だけど。

2017年8月12日土曜日

Windows上でLinuxを走らせる

自家用法人関連のページのまとめが一段落した。これからは情報技能についてまとめて行こうと思っている。

これは、文系の娘がIT関連の仕事に就く事に決まった、という事情もある。このブログの読者を含めて、IT初心者は何を勉強すれば良いのか元エンジニアとして思うところを書こうと思う。この投稿にはこの先 色んな専門用語が出て来るけど、Wikipediaを始め、検索すれば丁寧に解説してくれるサイトも多数あるので細かな説明は省く。

Unixの時代

コンピュータを使うなら、Windowsさえ使えれば良い時代はもうすぐ終わりかも知れない。その証拠に、マイクロソフトがWindows上でLinuxの動作環境を整えつつあるのだ。

かつてはコンピュータにソフトウェアをインストールして使っていたのに、今や、大抵の作業はブラウザ上で行われ、OSの違いには依存しない。そして、コンピュータはパソコンよりもスマホやタブレットの方が多く使われる時代、そのOSはiOSやAndroidであり、何れもUnix系のOSをベースとして作られた。勿論、ワークステーションやサーバーなどのプロ用途のコンピュータもUnix系のOSがベースだし、プロはUnixを好む。

事務用にはまだまだWindowsが活躍しているが、事務用でもUnixのツールは役に立つ。それで、このままではWindowsが危ないとマイクロソフトは思ったのかも知れない。

LinuxをWindows上で動かす

Linuxは、Unixがライセンス上自由に使えない事から、1991年当時フィンランドの学生だった リーナス・トーバルズがUnixのクローンとして自分でコードを書いて作ったのが始まりで、その後自由に利用出来る事から最も使われるUnix系のOSに発展したのだった。

今迄は、Windowsの入ったパソコンにLinuxをインストールする事も出来たが、その場合はどちらか一方を選択して立ち上げるしかなく、同時には使えなかった。Windows上で稼働するUnix系の環境としてCygwinというソフトものもあったが、今回のはマイクロソフト直々の機能である。LinuxもWindowsも同時に使えるのはとても魅力的だったので、早速試してみることにした。

Windowsは、Windows Creators Update というバージョンにUpdateしないと動かない。


これは、Linuxが動いている様子。Windows Creator Update はまだテスト版の為、インストールすると、右下に Insider Preview 評価コピー との表示が出ているのが分かる。又、インストール後にWindowsの機能で Windows Subsystem for Linux という項目にチェックを入れて再起動しないとLinuxは動かない。

それから、Windows StoreからUbuntuをアプリとしてインストールする。UbuntuはLinuxのディストリビューションの一つである。さて、Linuxを動かして、まずはプロパティで背景とフォントの色、フォントサイズを好みに調整し、.bashrc に設定を追加してみた。画面の表示は、 .bashrc の中身を cat で表示した最後の部分に当たる。これで、プロンプトをシンプルに $ し、bash をvi モードで動くようにした。

この .bashrc の編集には vi エディタを使ってみた。 Unixのどのシステムにも必ず入っているし、前の会社を辞めるまでは十数年使い続けたのだから使えるはずだと。

vi エディタ …昔取った杵柄

ITエンジニアならUnixは使えるべきで、Unixが使える とは コマンドライン・インタフェース でシステムを使いこなせる事だと思っている。

それには、Unix のコマンドを覚えて自由に組み合わせて使えるだけでなく、テキストファイルをサクサクと編集出来ないと困るのである。そして、そのエディタとして、vi か emacs かのどちらかを使いこなせてこそITエンジニアの端くれとして認められるのである。

Unixのコマンドにしても、viのコマンドにしても随分と忘れているが、備忘録をネット上に公開してくれているサイトが幾つもあるので、何とか使えている。カーソルの移動コマンドは指が覚えていたようだ。

2017年8月6日日曜日

ブログについて

今日は出入りしているコワーキングスペースでブログを書こうというイベントに参加している。1時間余りで一斉にブログを書いて見ようという集まりである。

自分で決めているブログの掟

情報セキュリティの観点から、個人情報は出さない事にしている。それに関連して、場所と時間が特定されるような予定も書かない。(終った事に関しては書いても問題ないと考えている。例えば、ブリューゲルの展覧会に行った話とか)

今日のブログもややそれに近いけど、どのコワーキングスペースなのかは明かしてないから一応OKである。

何処に住んで何をしているのかを隠すと、具体性が乏しくなって書いている内容が希薄になっていく事が多い。だから、そんな内容のブログは書かない。自分の日常を単に記録するのではなく、一般的な内容で誰かの役に立つような内容で。自分で体験したか、考えたかの1次情報しか書かない。

ブログを書く頻度について

ブログを書く人には毎日更新したり、或いは日に何度も、なんて人も。アフィリエイトを成功するには兎に角しょっちゅう記事を更新して読者を増やすのです、という指南の影響だろう。

別にしょっちゅう更新する事が悪い訳ではないけど、それで中身の濃い記事が書けるとは思えない。記事が増えると、大事な情報がどうでもいい記事の中に埋もれていく。そう思うと更新頻度よりは、一つ一つの記事のレベルは維持したい。私の基準では、何年も更新が途絶えたサイトはもう終わってるけど、年に数回以上更新していれば、まだ生きてるんだ、って思える。

だから、考えて、閃いて、残す価値のあるものだけ。良い事を思い付いて、これは絶対に書きたいと思った時、自然とブログを更新している。書くのに困るようなら何も書かない。

そういう訳で、自分の基準としては、上限は1日1記事迄、下限は1月1記事以上にしようと思う。

ブログからページへ

このブログには日常生活に関連したものも多いけど、推敲して何度も書き直したアイデアを発表する場として利用している。書きかけて、最後に 続く と書いて何日も放置して1週間も2週間もかけてようやく完成させることも度々である。

そうやって書いた内容が時系列の彼方へと去っていくのも寂しいので、最近はページという機構を利用して纏める作業を進めている。タイトルの下部にある「自家用法人」とか「情報技能」とかのラベルをクリックするとページに飛ぶ。

ページは残念ながら階層構造になってないけど、自分で階層化して、最初のページはそれに関するページのリストにしている。こうして、時系列にはよらない纏め上げた内容をページに凝縮してきた。

ブログの宣伝

ブログから収入を得る積りもなく、検索で訪ねてきた人達だけに知って貰って構わない、と鷹揚に構えていたが、ブログを知られ無ければ検索の上位に出てこないので、結局人の役には立たないのである。

だから、ブログの宣伝も考える必要がある、と最近思うようになった。名刺を作ったのもその為と言える。リアルな世界に出てマスコミに知って貰おうと考えたのだ。勿論、名刺には私の実名も自家用法人の名前も書いてあって、そこから個人情報は漏れるかも知れないけど、まあ良しとする。個人情報なんて、本気で調べる気になれば誰の情報でも漏れてしまうものだから。

2017年7月29日土曜日

ブリューゲルのバベルの塔

昨日、妻とブリューゲルの「バベルの塔」の展覧会を見てきた。

恐らく、今年の日本の美術展で一番人気と思われ、東京に続き、大阪の国立国際美術館にやって来て、7月18日から始まった。夏休み中は避けた方が良いか、とも思ったが7月末まで有効の電車の切符があったので早目に行くことにした。きっと段々と人気が出てきて会期の最後は大変な混みようになるはずだよ、などと言いながら。

電車の切符は10時から使えるのでそれに合わせて家を出たが、11時には会場に着いた。妻は大人料金の1,500円だが、私は放送大学の学生で、放送大学は国立美術館のキャンパスメンバーズに加入している為に、学生の団体料金が適用されて1,000円だった。

このバベルの塔の展覧会については、日経おとなのOFF(1月号)という雑誌で知ったし、事前にBS日テレ放送でやっている「ぶらぶら美術・博物館」という番組をたまたま見て強い興味を持っていた。

作品に関する知識

近年、美術館や博物館に行くことが増えてきた。それは、楽しむ為には、その作品に関する知識が必要だと段々分かって来たからだろうか。会場では年配の人が大変多いが、恐らくそういう事が分かっている先輩達であろう。

そう言えば、古い西洋の作品には時々ラテン語が書いてある。私はまだまだ美術鑑賞の初心者だが、ラテン語を勉強した事があるので、そういう作品に出会うと普通の人よりも楽しめる。

自分の好みも分かってきた。技巧に優れ、美しさを感じたり、アイデアに感心したりする作品。作者で言うと葛飾北斎や伊藤若冲など日本の画家が多い。現代アートでも細かなイラストは好きだったりする。

情報量の多さが魅力

今回の展覧会はネーデルラントの作家で油絵だ。今迄、油絵は絵の具をボッテリと盛り付けるだけの作品ばかりだと思っていた。しかし、これほど細かな描写の絵は(油絵以外を含めても)初めて見た。絵には1,400人も描かれていると言う。

展示はブリューゲルに繋がる色んな画家の絵を通じて段々とバベルの塔への近づいていく。期待感が高まって、とうとう最後に作品とのご対面となる。

そして、その後に東京芸大チーム制作の3倍(面積では9倍)に拡大したバベルの塔のレプリカを見る。それで見ても十分に細かい。それから、絵を3Dにした映像を堪能する。会場を後にするとバベルの塔を切り開いて内部を見せた絵が置いてある。

それ程、この絵に盛り込まれた情報量は多いし、その情報を読み解く楽しみも増えるのである。