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2017年8月13日日曜日

英語学習とIT技術

今日もコワーキングスペースでブログを書く集まりがあって、今回の投稿を書いている。今日の司会は英語の翻訳家の人なので英語について最近思う事を書く。

Google翻訳

日本政府は英語の教育に熱心だが、最近のAIの進歩の状況を踏まえて路線の変更をしないのだろうか。

というのも、AIの進歩によって、これから日本人が勉強しなければならない事、勉強しなくても良い事が従来とは変わって来るに違いないと思っているからだ。英語教育に関して、私はAI全体の事を知っている訳ではないが、少なくともGoogle翻訳の精度が急激に向上しているという事実からでも、単語を沢山知っていなくても大丈夫だと分かる。

それよりも、Google翻訳の結果に何か問題点がないか感じ取れる能力の方が余程大事である。

そもそも情報として正しいのか

その和訳を見て感じる違和感と言えば、勿論、英語から日本語への変換過程での問題点もあるだろうが、加えてその英文がそもそも情報として正しいのか、という事も当然含まれる。

そういう事を感じ取れる教養や論理が正しいのか判断出来る能力は、当然に日本語での教育でも培える。英語の勉強は程々にして、要所だけを締める、というのがAIと共存するこれからの社会でお薦めできる方法だと思う。

そう言えば、以前に放送大学で「ロアルド・ダールの短編を読む」という面接授業を受けたことがある。そのテキストは英文に日本語の注釈が付いたもので、日本の松柏社という出版社が出しているものを先生が指定していた。

その授業の中で、ある一文について先生が「これは非常に珍しい用法なんです。」と言って得々と説明していた事を、今思い出した。しかし、ちょっと疑問に思って家に帰ってから検索して原文を見つけたら、原文の方は普通の用法だった(カンマの有無だったか…引っ越しの際にテキストを処分したので確認出来ないけど)。

即ち、単に日本の出版社が誤植しただけの事で 珍しくない話なのに、先生は そんな可能性を疑いもせず非常に珍しい用法だと思い込んだらしい。

この件では、たまたま原文の方は正しかったけど、筆者だって間違って書く事もある。与えられた英文は絶対に正しいと思い込むのは危険だと思わないのだろうか。ともあれ、英語を一生懸命勉強するだけではマズイ。

読み書きを重視

IT技術の発達で、日本語でも予約、問い合わせ、手続き、などはブラウザやメールを通じて行えるようになってきて、電話が必要な場面は極端に減ってきた。増してや時差や国際電話料金の事を考えると、海外とのやり取りで電話が必要な事はまず無いだろう。

そういう時代なのだから、英語学習では会話能力よりも読み書き能力を高めた方が余程役に立つと思う。今の会話重視の風潮は、英語教育産業の要請に政府が答えた結果なのだろうか。

英語聴覚障害者と開き直る

聞き取り能力に関しては(個人差もあるが)日本語を母語として育てば、一定年齢以上では日本語に最適化かつ固定化されている。従って、英語では別の音素でも日本語で同じ音素とされる範囲では いくら訓練を積んでも区别することはもはや不可能になる。だから、日本人に英会話が出来なくても当たり前の事で自分を責めるのは良くない。

寧ろ、英語聴覚障害者として開き直ってみれば道も開ける。そうすれば話す方も便宜を図ってくれるはずだし、IT機器も大いに利用すれば良い。英語スピーチを英文に変換するソフトなどスマホでも使える訳だし。

英会話の訓練の目的が、「英語が出来るカッコイイ私を演出」というだけなら無理だけど。