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2015年2月5日木曜日

投資界の天動説と地動説

短期投資家と長期投資家の心構えの違いを比喩的に表現してみた。

(日本の)短期投資家は、円の資金を金融商品に投資して、投資している間は絶えず相場を気にして、投資資金を円に戻して、儲けや損の金額が確定してやっと落ち着く。

それは金融商品の相場は天空を駆け巡る星たちのように絶えず変動し、一方、円の価値は大地のように不変である、つまり天動説を信じる人達である。

一方、長期投資家は、多額の円の資金を持っていると落ち着かない。株や他の通貨や外国株や金などに資金を分散させてこそ安心する。

円の価値は不変にあらず。円もまた他の金融商品と同様絶えず相場が変動しているのである。そういう投資界の地動説を信じる人達にとっては、投資を続けている状態こそが通常なのだ。

あのリーマン・ショックで金を除く(純金積立やってて良かった)手持ちの投資残高が急速に減っていった時、このままゼロまで突き進んでいるかの如く感じたけど、いや、円での評価額が下がっただけで、別に価値がなくなった訳じゃない、何なら外国で暮らせばいい、と思い直して冷静さを取り戻す事が出来た。

今から思えば、その時、円の価値が異常に上がっていた訳で、手持ちの円が上がったと喜んでいても良かった位だ。

2015年2月4日水曜日

日経 夕刊に朝刊と全く同じ記事

私は日経新聞の読者である。これまでも日経の記事については何度かブログで取り上げた。これからも良い記事、悪い記事、色々取り上げて感想を述べていきたい。それが日経に伝わって、より良い新聞になったらいいなと思っている。残念ながら、今回は日経に対して苦情を言う。

昨日(2月3日)、日経新聞の朝刊(13版) 35面に、海遊館株 近鉄に売却 という記事が載っていた。そして、それと全く同じ記事が夕刊(1版) 15面にも載っていたのだ。

実は、夕刊に朝刊と全く同じ記事が載っていたことは、これまで何回もあった。ブログを書くようになってから、又そのような事が起きたら書こうと思っていた。

新聞の定期購読は朝夕刊のセットか朝刊のみのどちらかで売られている。つまり夕刊のみの読者は存在しない。だから、朝刊に載せた記事を夕刊にも載せるのは読者にとっては意味が無いどころか、何か追加の情報でもあるのかと思って読んだ読者の時間を無駄にしてしまう悪事なのだ。新鮮なネタだと思って読んでみたら古いネタだった。言ってみれば、料亭で前の客が食べ残した刺し身を次のお客に出すようなものだ。

逆のパターンもある。夕刊と同じ記事が翌朝の朝刊に載る場合。夕刊が第一報で翌朝が詳報なら分かる。でも全く同じ記事なら、やはりダメだ。それだったら夕刊に載せる必要はなかった。

さて、今回のケース。記事は全く同じだが、夕刊には更に海遊館の場所を印した地図が2枚追加されていた。これは、夕刊のスペースが余り、海遊館の記事で埋めたものの、まだ余白があったので地図をオマケした、としか考えられないだろう。読者を馬鹿になさるな。スペースがどうしても埋まらないなら「余白が出来て済みません。」とでも書く方が増しだ。

2015年2月3日火曜日

宝くじを買うのは貧乏人

今朝の日経新聞 エコノ探偵団の欄に 高額当せん「くじ」なぜ人気 という記事が載っていた。

ちょっと刺激的なタイトルにしてみたが、実は私も若い頃に宝くじを買った事が一度だけある。たった一枚だけだが、随分と精巧な印刷で驚いた。しかし、当たり前である。当たれば一枚何億円の代物。偽造される訳にはいかないのだ。そんな印刷代は経費となり、そして胴元(自治体など)のあがりが加わって、当選金に使うのは僅か47%しかないそうだ。

不利を承知(知らない人もいようが)で「夢」を買うという不合理な行動。米国では低所得の人や社会的に不利な立場にある人ほど「くじ」を買う傾向がある、という研究もあると言う。

サッカーくじ 最高10億円、ロト7 最高8億円、年末ジャンボ宝くじ 7億円、など高額の当選金で貧乏人から金を巻き上げるのは社会的に正しい事なのか?と思ってしまう。くじを売るために思いっきり欲望を掻き立てるようなテレビCMまでして。

正しい投資なら、期待値が1を下回る事が確実なら絶対に手を出さない。そもそも、今の私にとって、仮に一等が当たっても何も嬉しくもない。一等の金額は私の資産の金額より遥かに大きいけれど、そのお金をもはや必要としていない。もう、一番高い買い物はしたからね。宮仕えに捧げたはずの私の時間を。資産は私と妻で丁寧に使い切りたいと思っているから、余分なお金が手に入っても戸惑いと悩みが増えるだけ。

そう言えば、生命保険の還元率についても書いてあった。くじとは目的が違うとは言え、宝くじ並みの還元率の商品もあるらしい。母が常々話していた。高い保険料を毎月払ってやっと手にした満期金は物価高ですっかり目減りして何の生活の保障にもならなかったと。母の教訓を活かして、私は定期の生命保険には入らなかった。

2015年2月2日月曜日

問題は生きる知恵の格差

今日、トマ・ピケティの顔をテレビで見た。21世紀の資本という本を書いて大人気の学者だ。NHKのクローズアップ現代で紹介されてた。

それで所得格差について、その原因は賃金格差から生じるよりも資産格差から生じる方が大きいというのが彼の主張らしい。そして、近年増加した資産の大半が少数の富者の手に渡っているという現状はおかしいと言う。テレビにはプール付きの豪邸が立ち並ぶ様子を上空から撮影した映像が背景に流れていた。

しかし、私はその所得格差が問題であるという前提がそもそも正しいのか?という疑問を持った。彼は、大衆にもプール付きの家を持たせたいのだろうか。

富者はその富を自分自身で使い切る事が出来ない。だからこそ富を持つものはそれを何のために使うのかという自覚と責任を持つ。芸術や文化や社会資本はそうして生まれたのではないか。所得を平等に配分していたら、果たして豊かな社会が生まれたのだろうか。

私は、衣、食、住、医療、教育 の必要最低限が保障されれば、それで十分だと思っている。勿論、その必要最低限すら満たされていない人々もいよう。しかし、それは保障の水準が低すぎるのではなく、折角の保障を活かすだけの知恵がないからである。そのような人々の所得を向上させたとしても、悪しき習慣にお金が逃げて行くだけである。

いや、社会の底辺だけではない。中間層だと信じている人々も、メディアに踊らされて欲望を掻き立てられ無駄に消費させられて生活の豊かさを搾り取られてはいないか。

生活の豊かさって、家や車の大きさやテーマパークに行く事じゃない。カップ麺と菓子パンではなく手作りした食事を取ったり、子供達の宿題を見てやれる時間の余裕のある事ではないか。そんな生活なら必要なお金は逆に少ないはず。その結果として資産も豊かになると思うが。

豊かな家庭には生きるための知恵があり、それが次の世代へと受け継がれていく。小学生に英語を教える暇があったら、生きる知恵を公教育で底辺層の子供達へ伝えて欲しいものだと思っている。

子供達には、生活保護費(何でこんな名前かなぁ、所得保障制度の方が良いのに)の水準でも十分豊かな生活が送れるような知恵を付けてあげたい。そして、人生うまく行かなくても最低限の生活は保障されているから、自分の生きたいように生きろ、って教えてあげたい。

幼い頃から、良い学校を出て、良い会社に入って、出世して、というレールの上をひたすら走るのが正しい人生でそこから踏み外せば地獄が待っている、なんて恐怖で子供達を支配していたら、たとえそれが実現しようとも豊かな人生は送れない、と思う。

2015年2月1日日曜日

コロコロ変えるな

昨日、税務署から法人税及び復興特別法人税の納付書が届いた。

これは我が社が前の年にe-Taxを利用して確定申告したためで、そうでない場合は申告用紙一式が送られてくる。ところで、この封筒に今度は「地方法人税が創設されました」という案内(次回の申告から対象となるが)の紙が入っていた。

全く、税の制度はコロコロ変わる。近年では、地方法人特別税、復興特別法人税などと新種の税が増えたばかりというのに。いずれも税率を手直しするだけで目的を達成出来たはず。

税務ソフト会社と結託しているんじゃないの? バージョンアップせざるを得ないようにして。それとも納税者よりも役所の都合?

そう言えば、金融機関の名前も実にコロコロと変わる。最近、「損保ジャパン日本興亜」という名前の会社が出来てビックリしていたら、今度は「損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険」というとんでもない名前の会社が出来た。全く、この名前を決めた奴等を会議室に缶詰にして、振込用紙100枚に枠からはみ出さないように書けるまで居残りさせたい。フリガナも附けるんだよ。「ソンポジャパンニッポンコウアヒマワリセイメイホケン」って。(さっき、ネットで調べたら、年末調整の書類に長すぎて書けないという問題になってた。)

我が家のメインバンクの三菱東京UFJ銀行でさえも、用紙に書く時、いつも枠からはみ出して困っている。利用者の事より社内の縄張り争いの方が大事か。困ったものだ。今の銀行コード(0005)は三菱銀行のもの。三菱銀行で良かったのに。

そう言えば、三菱東京なのか東京三菱なのか良く迷う。UFJ銀行との合併前は東京三菱銀行だったし、今の英文名は Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ だそうで、利用者を混乱させて楽しんでいるようだ。合併後も東京三菱銀行で良かったのにという説もある。UFJ銀行は三和銀行と東海銀行が合併して出来た訳だから、「」海、東「」、「」和、三「」なら仲良く4行の名前を使っている。

世の中、変えていいものと悪いものがある。中身は革新しても外観は、特にユーザーインターフェイスは変えるべきではない。もし、車のブレーキとアクセルの場所がモデル毎にコロコロ変わったら困るだろう。マイクロソフトはwindows8で手痛い失敗をしてやっと学んだみたいだけど。