このブログを検索

2015年2月12日木曜日

ケチケチ病の治療

一昨日は京都に夫婦で行った。森見登美彦の小説「聖なる怠け者の冒険」に出てくる、寺町通りのスマート珈琲店でタマゴサンドを食べに行く事にしたから。ケチケチ病の治療の第一歩。

今迄、必要な事にはお金を惜しまなかった積りだけど、やりたい事を無意識の内にお金が掛かりそうだから不必要な事に分類する癖が付いている気がする。これからは空想で楽しんで終わっていた事も実現可能ならやってみるようにしよう。

それで、金券屋で京都までの切符を買った。行きは神戸三宮から阪急の全線切符で。本当は特殊乗車券と言う株主優待券で、阪急のどの駅から乗ってどの駅で降りるのか自由な切符だから、遠くの駅まで乗る時はオトク。

途中、阪急京都線と新幹線が並行している区間がある。つい、新幹線の開業前に当時の国鉄に頼んで阪急京都線の工事の間だけ阪急電車が新幹線の線路の上を走った事があるよって話を妻にする。阪急河原町駅からはお店まで歩いて行く。途中、錦市場で黒豆煮と浅草海苔を買う。どちらもお買い得品。寺町通りは妻が気に入った模様。又、娘と来たいと言う。

実は、お店で知人夫婦と待ち合わせしていた。職業訓練で知り合って事業家になった人で、このブログの愛読者でもある。話のネタに下北沢でゲットした古着のセーターを着て行った。

この店のことは小説で初めて知ったけど、ネットで調べると、とても人気があっていつも混んでいるらしい。時間が早かったので幸い4人の席が空いていた。店のレトロな雰囲気がいい。噂のタマゴサンドは美味しかった。フレンチトーストとホットケーキも人気メニューらしいので又の機会に食べてみたい。お勘定も上手く払えた。ケチケチ病もやや改善。

この後、知人の店などを巡ってから別の喫茶店へ。知人の息子さん(保育園に行ってる)は我が息子の幼い頃と性格がよく似ているらしい。無事に小学校でやっていけるのか心配だったけど無事に育ったなどと子育ての話題になる。私がトイレに行っている間に先方は支払いを済ませる。ケチケチ病改善出来ず。

帰りは京都駅まで車で送ってもらう。JRの時間制限無しの切符を買っていたが、昼特切符でも使える時間だったのがちょっと悔しい。デパ地下で炙り鯖寿司と湯葉の包み揚げを買う。奮発した積りだが、炙り鯖寿司はお買い得品。

今迄は京都に行ったら神社仏閣巡りで慌ただしくしていたが、折角だからあれもこれもって駆け回ると、かえって見落とす事がある。この日は街の散歩でゆったりと過ごせて良かった。こんなお金の使い方をこれから目指そう。私は乗り物やインテリアにも興味があるからね。まだまだ金額的には小さいけれど、方向性は正しいはず。だけど、同じ目的を達成するのに一番安いやり方をつい探してしまうのは殆ど趣味と言える。もうこれは治す必要ないと思う。

それより、これは知人にも言われたことだけど、お金を使うのにもう限られた時間しかないって事を自覚しておかねば。ケチケチ病は使い残すのも惜しがるはずだから、きっと上手く使えるだろう。

2015年2月9日月曜日

仕事しない父親に辛口評価

息子と娘は「大」の数を競う。
父ちゃんは? 「大、大、大、大、だーい好きっ!」 じゃあ、母ちゃんは? 「好き」

妻には申し訳ないが、子供達が小学校低学年の頃は私の人気が高かった。子育てを頑張ったお陰だ。しかし、小学校高学年になってくると状況が変わってくる。

父ちゃんは? 「好き」 あれっ? 大好きじゃなかったの? 「好きだけど、父ちゃん仕事してないでしょ」
「友達にお父さんは何の仕事しているの、と聞かれて返事に困るんだよね」と辛口の評価。(因みに、妻が東京出身のせいか、家の中の会話は関西弁ではない。)

仕事してないように見えるけど、これでも事業を色々考え中だし、社長だぞ、と説明しても駄目。ちゃんと後片付けとか家の仕事してるだろ、と言っても、それは仕事の内には入らないらしい。じゃあ、母ちゃんも仕事してないけど、それでも良いの? と聞くと、子供達にとってお母さんという職業は存在するらしい。まあ、自家用法人という、会社の事務を極力しない会社という実験をしている身としては、子供達が父ちゃん仕事してないと信じ込んで実験成功って喜ぶべきだが。

子供達に仕事をしない生き方もあると理解してもらうのは難しい。自分だってリストラされる迄は仕事をするのが当然だと思っていたんだから。でも、仕事を辞め自由な時間を得た事で、働かない人も居る社会の方が健全ではないかと思えてきた。全員が働くような社会には余裕が無い。ベンチに控えの選手がいない野球チームのようなものだ。誰かがギブアップすれば社会が崩壊する、そんな危うさは御免だ。

それに、世の中には良い仕事と悪い仕事がある。悪い仕事をする位なら、仕事をしない方がよっぽど増しだ。迷惑なチラシを郵便受けに入れるポスティング、迷惑な電話営業、危険な地区に建売住宅を建設する業者など。ゲームソフトの開発だって、時間泥棒で人々の知能と生活を悪化させている産業とも言える。

仕事しなくても貯金があるから贅沢しなければちゃんと生活出来るよ、とは説明していたけど、ウチって貧乏なの? とか、晩御飯の後でいつもデザートまで食べて贅沢してるね、とか、子供達の発言を思い返すと要らぬ心配をかけたなあ、と今更思う。

でも、ウチって金持ち、とか思わせるよりはずっと健全に育った気がする。娘は今では仕事をしない生き方にも理解を示すけど、父ちゃんのせいでそんな生き方もイイなあ(少し違う、スローライフの方が近いと後で娘に言われた)と思うようになって困ると言っている。

2015年2月8日日曜日

このブログを書く意味

最近、毎日のように投稿している。

前の職を辞して以来、生き方について始終考えて来たので頭の中には書きたいことが山程溜まっていた。ブログを始めて、そのモヤモヤした考えが鮮明な言葉になっていくことが分かり、とても嬉しい。

このブログでは、「豊かな人生を歩むのに大事なこと」を自分の子供達に伝えたい。家庭では口にしていたけど、十分でなかったし、大人にならなければ伝わらないことだってある。だから、想定するブログの読者はまず息子と娘。妻が見てもいいけど。そして、それを求めている見知らぬ人達が検索で見つけてくれればいいなとも思う。それで社会貢献にもなるし。

知人や親戚にも近況報告の代わりになると思っていたが、ちょっと無理である。まだ宮仕えせざるを得ない人達にとっては嫌味か自慢話としか受け取って貰えないに違いない。単に日常生活や趣味の事だけを選んでブログを書いたら近況報告には使えても自分の想いは伝わらない。それで、職業訓練で知り合って事業を起こした二人の知人にだけこのブログの存在を年賀状に書いてみたけど、それ以上は宣伝しない。

ページビューが増えればブログを書くのに張り合いが出るし、検索結果が上位になってこのブログに辿り着き易くなるから嬉しい。ただ、その為の対策はしない。邪魔な広告も一切しない。ブログの表示でもひたすらシンプルさを追求したい。そして、内容のみで読者が地道に増えればいいなと思っている。

これ迄、節約や投資に関する投稿が多かった。今の自分の境遇に至る迄の道筋を読者に理解して貰いたかったから。でも、一番言いたい事は、何事も「自分で考えて自分で決める」大切さである。自分の人生は自分が操る。他人に操られたり、大衆に付いて行くのはダメだ。そして、その為に必要な技法(リベラル・アーツ)についても語っていく積りだ。

2015年2月7日土曜日

買い方に悩みつつヨガ文字で遊ぶ

新しいパソコンが欲しい。

WindowsXPのサポートが終わって程なく、自分用のThinkPad R50(12年前の製品)が動かなくなった。去年の申告もこれでやっていたのに。しかし、良い物を買って大事に使うのが方針とは言え、流石にここまで古い製品を修理するわけには行かない。もし修理が出来たとしても、その修理代金で性能が何倍にも向上した新製品が買えてしまうから。

全く、デジタル機器の買い方は難しい。自分の方針には合わないけど、高い製品を長く使うよりも安い製品を買い換えて行く方が良いとも言われる。その点、デスクトップ型のパソコンは部品が標準化されていて素晴らしい。ケース、電源、マザーボード、CPU、メモリ、悪い部分だけ交換すればいい。だけど、場所の問題もあって、買うのはいつもノートパソコンだ。それもディスプレイとキーボードが良い物。CPUは程々の能力でも十分。

今ブログを書くのに使っているパソコンは妻用のThinkPad T410i(5年前の製品)。妻から最近遅くなって使いづらいって言われたので、メモリを増設し、HDDをSSDに変え、Windows7をチューニングし、Google日本語入力にしたらすごく快適になった。それで、私がブログを書く時はこの頃いつも借りて使っている。

他にDell mini12(6年前の製品)という非力な(でも高速化前の妻パソコンよりは速かった)パソコンもあって、今も(妻がパソコンを使っている時に)Webを見たり、パソコンを2台並べて仕事する(前年の申告書の表示させながら、e-Taxを使うとか)場合に使っているけど。

しかし、パソコンは英語キーボードのものしか買いたくない。今迄買ったのも全て英語キーボードの製品。最近Dellは英語キーボードを選択出来なくなったので、Windowsパソコンでは今やThinkPadしか選べない。

何でこう次々と英語キーボードのパソコンが無くなって行くのか不思議だ。そのThinkPadにしても以前は日本語キーボードと同じ値段で買えたのに、今は追加の費用がかかる。ひょっとして、どこかの役所が圧力をかけていたりして。

しかし、グローバル教育を進めている今こそ、英語キーボードの普及に向けて役所が音頭を取るべきだ。日本語はローマ字入力で何の問題もないし、今や殆どの人がローマ字入力だろう。日本語キーボードは記号の位置が英語キーボードと異なる。なぜわざわざ位置を変えたのか全く理解出来ないが、これが非常に迷惑なのだ。少なくともITに強い人材が欲しいのなら英語キーボードを使って教育して欲しい。日本以外のほぼ世界中のキーボードのキー配置は英語キーボードが基準である。

ところで、ThinkPadのキーボードは質が良くて評判が良かった。特に7段キーボードと呼ばれているタイプが人気だった。今ブログを書いているこのパソコンもそうだ。ところが、最近6段キーボードに変更され、それから僅かな期間で5段キーボードへと変更された。最後に減った1段の分はタッチパネルに代えられた。更に、クリックボタンがタッチパッドと一体化するという大変更。

このユーザーインターフェイスを勝手に変えるという暴挙に対し、ユーザーの評価は最悪だった。それで、最新型のThinkPadを買おうかなと思っていた私も二の足を踏んでいた。それとも英語キーボードの中古ThinkPadを探そうかと。ところが、今度発表された新型ThinkPadは6段キーボードに戻されたのだ。それで新型を買う気になって、いつ買えるかと、lenovoのサイトを時々見に行く。

そして、面白いものを発見。ヨガ文字という、YOGAという製品の宣伝の為に作られたプロジェクト。これは凄い。CGで文字を作るんだけど、その元データは実際に人間が身体を曲げ、三次元のデータとした上で、好きなキャラクターに文字のポーズを取らせる動画を作るという手の込んだもの。どうでもいい事を真剣にやる所が好きだ。


それで自分も「COBLI」という文字を書かせて見た。キャラクターはSumo Wrestlerというシュールなのも気になったが、Stick Humanにした。CGで曲面を描くと荒いから直線的な方が合うかなと思って。妻はNinjyaが気に入ったと言っていたけど。このブログ初の動画だ(但し、音は無いらしい)。

2015年2月6日金曜日

投機界のルーレットと麻雀

前の投稿と何かタイトルが似ているが、今回は「投資」ではなく、「投機」である。投機についての私なりの意見を書く。

広辞苑(第5版)によると、
投資とは、(1) 利益を得る目的で、事業に資金を投下すること。出資。
投機とは、(3) 市価の変動を利用して、その差益を得るために行う売買取引。
と説明している。

株式投資で得られる利益は、投資先の事業で稼いだお金の一部を配当金として頂くものであって、権利の売買に伴う利益は副次的なもののはずである。だから、相場の上げ下げに一喜一憂する必要はない。

しかし、投機はゼロサム・ゲームなのだ。利益を得るものの陰で損失を被るものもいる。その取引の大きさに比べてその期間中に得られる投資の利益は無視できる程小さいので、利益と損失の合計はゼロとされるが、本当は胴元に支払う分だけマイナスである。因みに、投機における胴元とは、取引手数料やスプレッドの事である。

さて、そのゲームには2種類ある。一つは「運のみ」のゲーム。これはルーレット型と呼ぶことにする。もう一つは「運と腕」のゲーム。これは麻雀型と呼ぶことにする。

ルーレットでは玉がどの目に入るのか予想するのは無理である。確率は全く等しい。賭け方は色々あっても確率が小さいだけ配当が大きくなっているから期待値は同じで、しかも胴元の取り分があるから1を下回る。

しかし、こんなゲームでも大儲けする人はいる。ゲームの才能があるのではなく、単に運の良い人。こんなのは猿がやっても、或いはタコの動きで賭ける目を決めても、大儲けする猿やタコが出現するはずである。

相場の上げ下げを予想するのもルーレット型の投機だ。ルーレットの出る目は誰も予想出来ないと思うだろうが、相場の予想(テクニカル分析)は出来ると主張する連中がいる。しかし、その連中はその予想を使って大儲けしているのだろうか?

勿論、それで大儲けして、自分には才能があると勘違いする人はいる。しかし、実は単なる運の良い人である。大儲けした時にきっぱりと止めればいいのに、有り金を全部無くす迄続けてしまう。

片や麻雀と言うゲームは、配牌(どんな種類の牌が来るのか不明)という運の要素と、捨て牌(ゲームのプレーヤー全員に公知)と手牌(他のプレーヤーには秘密)という情報から捨てる牌を決める計算の要素の両面を持っている。数多くのゲームを通算すれば、運の要素は消えて、この計算に秀でたものが勝者になる。そんな麻雀の王者達だけで対戦すれば、おそらく勝者は運で決まるだろう。しかし、ゲームに初心者を引き込めば…王者は勝ち続けるに違いない。

そして、麻雀型の投機がデリバティブを含む取引だと思う。プレーヤーはヘッジファンド(のコンピューター)である。彼らは相場の上げ下げに賭けるようなことはしない。上がった場合、下がった場合、変わらない場合、それぞれにおいて最善の結果を生むように各種デリバティブを取引するプレーを続けるだけである。プレーを続ける程、手が有利になっていく。そして最後には相場がどうなろうともプレーヤーが勝つ(儲かる)。あたかも将棋の名人が相手を詰むように。その背後では世界中から集められた秀才達が最善の手を日夜研究してプログラムに反映しているのだ。

そんなヘッジファンドだけがプレーヤーだとしたら、デリバティブ取引はあたかも猛獣達がお互いを傷つけ合うようなものだ。しかし、素人達をデリバティブ取引に引き込めたとしたら…生きた餌が猛獣達の前に現れたようなものだろう。誰が勝って、誰が負けるのかは明らかである。

そんなヘッジファンドもちゃんと社会の役に立っている。彼らがプレーを続けているお陰でデリバティブ取引の流動性が確保される。そして、素人達もヘッジファンドが飢えないように餌食になるという役目を果たすことになるのだ。