広辞苑(第5版)によると、
投資とは、(1) 利益を得る目的で、事業に資金を投下すること。出資。
投機とは、(3) 市価の変動を利用して、その差益を得るために行う売買取引。
と説明している。
株式投資で得られる利益は、投資先の事業で稼いだお金の一部を配当金として頂くものであって、権利の売買に伴う利益は副次的なもののはずである。だから、相場の上げ下げに一喜一憂する必要はない。
しかし、投機はゼロサム・ゲームなのだ。利益を得るものの陰で損失を被るものもいる。その取引の大きさに比べてその期間中に得られる投資の利益は無視できる程小さいので、利益と損失の合計はゼロとされるが、本当は胴元に支払う分だけマイナスである。因みに、投機における胴元とは、取引手数料やスプレッドの事である。
さて、そのゲームには2種類ある。一つは「運のみ」のゲーム。これはルーレット型と呼ぶことにする。もう一つは「運と腕」のゲーム。これは麻雀型と呼ぶことにする。
ルーレットでは玉がどの目に入るのか予想するのは無理である。確率は全く等しい。賭け方は色々あっても確率が小さいだけ配当が大きくなっているから期待値は同じで、しかも胴元の取り分があるから1を下回る。
しかし、こんなゲームでも大儲けする人はいる。ゲームの才能があるのではなく、単に運の良い人。こんなのは猿がやっても、或いはタコの動きで賭ける目を決めても、大儲けする猿やタコが出現するはずである。
相場の上げ下げを予想するのもルーレット型の投機だ。ルーレットの出る目は誰も予想出来ないと思うだろうが、相場の予想(テクニカル分析)は出来ると主張する連中がいる。しかし、その連中はその予想を使って大儲けしているのだろうか?
片や麻雀と言うゲームは、配牌(どんな種類の牌が来るのか不明)という運の要素と、捨て牌(ゲームのプレーヤー全員に公知)と手牌(他のプレーヤーには秘密)という情報から捨てる牌を決める計算の要素の両面を持っている。数多くのゲームを通算すれば、運の要素は消えて、この計算に秀でたものが勝者になる。そんな麻雀の王者達だけで対戦すれば、おそらく勝者は運で決まるだろう。しかし、ゲームに初心者を引き込めば…王者は勝ち続けるに違いない。
そして、麻雀型の投機がデリバティブを含む取引だと思う。プレーヤーはヘッジファンド(のコンピューター)である。彼らは相場の上げ下げに賭けるようなことはしない。上がった場合、下がった場合、変わらない場合、それぞれにおいて最善の結果を生むように各種デリバティブを取引するプレーを続けるだけである。プレーを続ける程、手が有利になっていく。そして最後には相場がどうなろうともプレーヤーが勝つ(儲かる)。あたかも将棋の名人が相手を詰むように。その背後では世界中から集められた秀才達が最善の手を日夜研究してプログラムに反映しているのだ。
そんなヘッジファンドだけがプレーヤーだとしたら、デリバティブ取引はあたかも猛獣達がお互いを傷つけ合うようなものだ。しかし、素人達をデリバティブ取引に引き込めたとしたら…生きた餌が猛獣達の前に現れたようなものだろう。誰が勝って、誰が負けるのかは明らかである。
そんなヘッジファンドもちゃんと社会の役に立っている。彼らがプレーを続けているお陰でデリバティブ取引の流動性が確保される。そして、素人達もヘッジファンドが飢えないように餌食になるという役目を果たすことになるのだ。