父ちゃんは? 「大、大、大、大、だーい好きっ!」 じゃあ、母ちゃんは? 「好き」
妻には申し訳ないが、子供達が小学校低学年の頃は私の人気が高かった。子育てを頑張ったお陰だ。しかし、小学校高学年になってくると状況が変わってくる。
父ちゃんは? 「好き」 あれっ? 大好きじゃなかったの? 「好きだけど、父ちゃん仕事してないでしょ」
「友達にお父さんは何の仕事しているの、と聞かれて返事に困るんだよね」と辛口の評価。(因みに、妻が東京出身のせいか、家の中の会話は関西弁ではない。)
仕事してないように見えるけど、これでも事業を色々考え中だし、社長だぞ、と説明しても駄目。ちゃんと後片付けとか家の仕事してるだろ、と言っても、それは仕事の内には入らないらしい。じゃあ、母ちゃんも仕事してないけど、それでも良いの? と聞くと、子供達にとってお母さんという職業は存在するらしい。まあ、自家用法人という、会社の事務を極力しない会社という実験をしている身としては、子供達が父ちゃん仕事してないと信じ込んで実験成功って喜ぶべきだが。
子供達に仕事をしない生き方もあると理解してもらうのは難しい。自分だってリストラされる迄は仕事をするのが当然だと思っていたんだから。でも、仕事を辞め自由な時間を得た事で、働かない人も居る社会の方が健全ではないかと思えてきた。全員が働くような社会には余裕が無い。ベンチに控えの選手がいない野球チームのようなものだ。誰かがギブアップすれば社会が崩壊する、そんな危うさは御免だ。
それに、世の中には良い仕事と悪い仕事がある。悪い仕事をする位なら、仕事をしない方がよっぽど増しだ。迷惑なチラシを郵便受けに入れるポスティング、迷惑な電話営業、危険な地区に建売住宅を建設する業者など。ゲームソフトの開発だって、時間泥棒で人々の知能と生活を悪化させている産業とも言える。
でも、ウチって金持ち、とか思わせるよりはずっと健全に育った気がする。娘は今では仕事をしない生き方にも理解を示すけど、父ちゃんのせいでそんな生き方もイイなあ(少し違う、スローライフの方が近いと後で娘に言われた)と思うようになって困ると言っている。