遠い昔、定年退官された教授がICUに移られた際に引っ越しの手伝いでキャンパス(教員宿舎がある)を訪れた事がある。都内とは思えない程、鬱蒼とした森に広々とした美しいキャンパスで驚いた。
このICUを筆頭に、リベラル・アーツ教育で有名なのは「何故か」キリスト教会が作った大学が多い。その学生がキリスト教を信じている必要は無いけれど。
キリスト教を信じるとは、聖書に書いてある内容が正しいと考える事だ。そして、その教えに従って日常生活を過ごす。
例え、雇われる生き方だとしても勤務時間よりも自分が自由に使える時間の方が長い。その自由な時間をどう過ごすのかを考えるのも大変である。そこで宗教が登場。人生のお決まりパックを提供。そのプランに従って行動すれば何も考えずに大過なく人生を過ごすことが出来る。
歴史的に見れば、宗教は権力者が民衆を支配する道具として活躍した。民衆に宗教を信じさせておけば、権力に逆らうようなことは何も考えない。民衆は自分の境遇に何の疑問も持たなくていい。
キリスト教の教えの多くはいい事を言っていると思う。それを自分に必要なモラルのパッケージ(但し、自分で吟味して必要なものだけ)として受け入れてもいい。だけど、神の存在なんて要らない。
自分で決める為に学ぶリベラル・アーツと宗教の相性ってすっっごく悪いと思うんだけど、「何故か」ねえ。