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2018年3月31日土曜日

登り坂の渋滞で半クラッチの修行

息子のアパートに行った帰り道、緊急工事とやらで道路が渋滞し、4kmの道のりに1時間かかる事態に遭遇する。

しかもその大半が登り坂なのだ。渋滞でも動いては止まりの繰り返しであればまだ良いのだが、ゆっくり進むのはMT車は超苦手。1速でもアクセルを踏まないと登り坂ではエンストする。だからアクセルを少し踏む。そうすると速すぎるから、半クラッチで速度を調整するしか無い。この修行を1時間もやったので、さぞかし半クラッチが上手になったろう。

渋滞時に登坂車線を走るやつ

私は高速道路では余程の事がない限り走行車線を走り抜く。登坂車線のある区間で後ろに車がいても制限速度で走るから使わない。渋滞時に登坂車線が空いていても走行車線を貫く。しかし、こういう時に腹立たしくも登坂車線を走る車のなんと多い事か。中には観光バスまで。

路側帯の通行ではないからマナーだけの問題かと思っていたが、後で調べると法律上も追い越し違反(先行車両を左側から追い越した場合)を問われる可能性があるらしい。…実際に違反切符を切られたというネット上の情報も発見。

そして、この投稿を書く為に調べていて新しい発見をした。それは、登坂車線は高速道路の本線車道の扱いにならない事だ。その為に最低速度の50km/hよりも遅く走る事が出来るし、逆に60km/hを超えてはならない。遅いからと善意で登坂車線に移ると速度違反になる可能性があるのだ。知らなかった…けど走行車線を貫いて走るという私の主義は正しかったのだ。

坂道発進のコツ

MT車の運転も坂道発進のコツを掴むと苦では無くなると思う。足は2本しかないのに操作するペダルは3つ。そのために、フットブレーキではなくサイドブレーキを使う。

問題は、そのサイドブレーキをリリースするタイミングである。早すぎると車がずり下がって怖い思いをする。半クラッチ状態にして車が前に動こうとして鼻先が少し持ち上がる…こうなってからサイドブレーキをリリースしてやると絶対に下がる事無く発進出来るのだ。

MT車に買い換えて暫くは坂道発進が苦手だったが、このコツが分かってからは運転に自信が出来た。

2018年3月29日木曜日

MT軽自動車で高速に進入する

先日、息子の新しいアパートまで車で行ってきた。

関西の地方都市に本社がある会社に就職し、その本社のすぐ近くが会社借上げのアパートでそこに住む事になったのだ。自宅からは電車で2時間、車で3時間程の距離。自宅にある彼の布団を持っていくのが目的なので、我が家のアルト(マニュアルミッション)で行く事にした。妻と娘も同行した。

娘は免許取り立てなので運転のコツを教える積りで運転した。(娘の免許はAT限定なのでアルトの運転は出来ないけど。)

高速道路に進入するコツ

高速道路の運転は一般道よりも楽なのだが、進入時だけは気を使う。しかし、私の経験では2つのコツを実践する事でMT軽自動車でも怖い思い無しに高速道路に進入出来る。
  1. 進入路で先行する車との距離を十分取る。団子になって走行車線に入ると入れる方も大変だからそれを避ける意味と、先行する車の加速が悪くても影響を受けずに十分加速させる意味がある。
  2. 進入路で走行車線の車と同じ速度になるまで加速する。同じ速度であれば、走行車線の車間が自分の車の長さ以上でさえあれば合流してもぶつかることは無い。
しかし、加速させるとは言っても、加速力は馬力に比例するので軽自動車は不利である。そのため、加速する距離をなるべく長くする。そうすると進入路が直線になる前から(カーブも安全に曲がれる範囲でなるべくスピードを落とさず)加速していく事になる。

しかし、先行する車があれば追いついてしまう可能性が出てくるので、そういう時は最初はなるべくゆっくり走って先行する車から距離を十分に取ってから長めの加速が出来るようにする。

MT車の加速

ATであればアクセルを踏み込むだけで最大の加速が得られるのだが、MT車だとギアの選択も適切にしないと十分加速出来ない。

まず、各ギアの最大速度を覚えている必要がある。そして、各ギアでその最大速度までアクセルを目一杯踏み込んで加速してからギアをシフトアップする。
アルト(HA-24S)の場合は、ギア×30km/h が最大速度と覚える。1速:30km/h、2速:60km/h、3速:90km/h、4速以上:法定速度まで。 MT車の場合はギアと速度でエンジン回転数は分かるのでタコメーターは無くても困らない。 
40km/h位の速度なら通常は3速か4速で走っているが、そこで進入路の直線部に差し掛かったら2速にシフトダウンして60km/hまで加速する。
目一杯加速して走行車線の車よりも速くなったとしても減速して速度を合わせる方がやりやすい。但し、下り坂の進入路など条件の良い場合は程々の加速で十分だから、臨機応変に考えて無駄に加速してガソリンを浪費しないようにしたい。

一般道ではそれ程の急加速は却って危険である。我が愛車のアルトでは信号待ちの先頭だったらアクセルは目一杯踏むけど、ギア×20km/hでシフトアップしている。

コツと言ってもそれだけなのだが、自分の車の能力を最大限に引き出す機会は高速の進入だけなので、緊張はするが高速に進入するのは楽しくもある。
アルトのエンジンK6Aはイギリスのケータハムというスポーツカー(こっちはターボエンジンだけど)にも使われていて、その性能を最大限引き出すなら意外と速いクルマなのだ。

2018年3月24日土曜日

子供達の卒業、子育ても卒業

息子は大学院修士課程修了、娘は大学卒業して先日卒業式も終えた。2人とも就職して4月からは社会人となる。

子供達は2人とも地方の大学に進学したので家を出て久しいが、これで経済的にも自立するから、長かった子育てもいよいよ卒業である。

これを祝して、今日は有名なケーキ屋でケーキを2つ買ったのだが、妻と2人で(散歩の目的地として)行ったので、焼き菓子のオマケを(1個増やして)2個貰えた。ラッキー。

教育と学歴

教育とはより良き人生を歩むのに必要な能力を子供達に与える為のものであって、単に有名大学を卒業させれば良いという訳ではない、と私は思う。

そもそも、良き人生とは何なのか、人気の企業に就職するだけが正しい訳では無い。子供の特性もあるし、親が考えて決める事でも無い。

子供自らが自分の人生をどう生きるのかを考える力を付けてやる。そして、親にはその為に自分が子供に伝えたい事を自ら実践し子供に伝えるのが本当の教育ではなかろうか。

とは言え、有名大学はレベルの高い先生、学友、設備が揃っているからこそ有名なのであり、そういう所で勉強する意義もまた大きいのである。

親の見栄としてでなく、子供達には有名大学の意味を伝え、望むなら進学を全面的に支援するのもまた親の務めだと思う。

子供達の手本として、また学費の負担者として親の務めは一応果たせたと自負している。子供達が中学・高校の頃は会社勤めをしていない父親の職業を友達に聞かれて答えに窮すると文句を言われた事もあるが、今ではそういう生き方もあるのだと理解しているようだ。

2018年2月26日月曜日

NHK BSプレミアム 刑事モース

最近見始めたのが、NHK BSプレミアムで放映中の「刑事モース」というドラマ。不器用なモースが推理力と博識を活かして難事件を解決していく話だ。

主人公はオックスフォード大学中退だが、奨学生だった経歴の持ち主。それだけで優秀な頭脳の持ち主である証明と共に不器用であり、貧しい平民階級出身という事が分かる。英国社会に階層が厳然として存在する事を意識させられる。

欧米エリートの考えている教養

このドラマを見ていると、この世界を動かしている欧米エリートの考えている事が見えてくる。

今回の事件ではオペラが謎解きの鍵だったし、前回は被害者の残した数字が元素番号で、その元素名が犯人の名前を示していたという落ちで、彼らの考えている教養の片鱗を見ている気がする。

単に博識では駄目で、その知識を活かしてこそ本物の教養なのだ。

そう言えば、Dlife で放映中の「スーツ」というドラマでもオペラ好きのルイスというキャラが登場する。こちらはハーバード大出身者で固めた弁護士事務所が舞台で、下町育ちのハービィーが格好いい役でルイスが何時もコケにされているのは、オペラの知識が仕事の役に立ってないからかも…とも思える。

そして、英国の弁護士事務所との合併話があって英国の事務所から派遣された弁護士とそのルイスの仲が悪かったのにオペラと猫が好きと分かってから急に仲良くなったのが面白かった。これも、米国人が英国人をどう見ているのかを暗示しているのかも、と思った。

モース・モーティス・女性

所で、このドラマの話を持ち出したのにはもう一つ理由がある。「刑事モース」というタイトルで「モース・モーティス・女性」の事を思い出したからだ。

それは、私がラテン語の勉強を始めるきっかけとなった「ラテン語のはなし」という本の中で書かれていた。その本を見返して原作者がコリン・デクスターだと確認したから、やっぱりその「モース」だ。

主人公の名前 Morse に引っ掛けて「死」を意味するラテン語の名詞 mors で検死官が呼びかけた、とあって、モースの後に「モーティス・女性」という呼びかけが何故続くのかを説明するきっかけになっている。

私は第3変化名詞の事をこれで知ったのだが、「刑事モース」の読者は当然ラテン語を知っている前提で作者はこの推理小説を書いているのである。

現代の教養

知識があれば物事をより深く理解し楽しめる、という事だが知識を得るには時間がかかる。しかし、現代であれば知識が無くても「検索」という武器が使いこなせればモース並みの推理も可能だろう。

そして、語学についてもまた同じ事が言えるのではないかと思う。人前で流暢に喋る見栄や試験の為という事が無ければ、単語や語彙をひたすら暗記する意味はもう無くなった。情報機器を駆使出来る現代では、言語の仕組みや論理を押さえる方が重要だろう。

学校の語学教育もそうなって欲しいものだと妄想する。

2018年2月18日日曜日

哲学の違い

昨日の日経夕刊のスポーツ2面に、「平岡と平野 哲学の違い」 というタイトルの記事が載っていた。スノーボード男子ハーフパイプの2人の選手の事である。

連続4回転という究極の技で銀メダリストになった平野の滑りを評して、平岡は 「いくとこまでいっちゃってる。歩夢はすごいと思うけど、俺の目指すスノボはそこにない。」 と言った、とその記事は書いている。体を回転させ、着地するだけなら平岡もできる。しかし「やりたくない。命もかかっているんだから。」

スノボは「遊戯の精神」に満ちた遊びだったはずなのに、勝つためには「命をかけた」危険な技が必要な競技になってしまった世の中の流れに 平岡は背を向けたのだ。(実際、この競技で優勝したショーン選手も2位の平野選手も過去 大怪我をしている。)

オリンピックは見世物か

IOCは競技に優先して儲けの為に日程を組み、選手は民衆を歓喜させる為に命を削る。これでは、まるで現代の剣闘士である。

素晴らしい技は民衆を感動させるけど、4回転の成功で民衆の生活が変わる訳では無い。地味だが、確実に世の中を変え役に立つ活動の方が凄いと思う。

羽生結弦の連覇に喝采している妻の横で、「世界最高峰の文房具」だとほくそ笑みながら「こぶりローマ字変換」の新しいアイデアを試す為にパソコンに向かっている私がいる。