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2016年4月29日金曜日

物事を俯瞰する

出掛ける時、妻に空を見ないで天気図を見てるってバカにされているけど、ちゃんと空見ているはずである。でも、今後の天気の見通しの点では、その時の空の状態よりも天気図やレーダー・ナウキャストの情報を信用している。

そう言えば、地図が好きなのも同じことか。妻は目で場所を認識しているらしく、似た外観の店の前を通ると全く別の場所の名前を口にすることがあるけど、私は何時も地図上で何処に位置しているのかを意識しているから似た風景であっても場所を誤認する事はない。

広辞苑によると、俯瞰とは、高い所から見下ろすこと、全体を上から見ること、とある。天気図や地図は文字通りの俯瞰の例である。目の前の事象がどうして起きているのか、今後どうなるのか、俯瞰すれば一目瞭然である。

天気や場所の話だけでなく、どんな事でも俯瞰するという態度が役に立つ。あの人は何故怒っているのか、あの国は何故そんな主張をするのか、など、目の前で起きている事が突然発生したように見えても、そこに至るまでの過程(歴史)や原因がある。それを踏まえれば より確かな判断が出来るのだ。歴史の勉強や理系の学習も含めて教養教育が重視されているのもこんな意味があるのだろう。

或いは方法で迷っている時、目的に戻って考えるのも俯瞰する態度だ。例えば、AからBへ行く方法を議論している時、そもそも何故AからBへ行くのか、という事を考える。そうすれば全く別のやり方が解決に繋がる場合も出てくる。

だから、私はその「そもそも」という魔法の言葉が好きだ。尤も、子供達に勉強の事で何かを尋ねられた時にも本質が分かってないなと感じたら、つい「そもそも」と基本に戻って教えようとして「そんなこと聞いてない」って反発されたけど。