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2015年7月3日金曜日

ギリシア問題で妄想する

明日は我が身のギリシア問題。政治と経済と金融が複雑に混じりあった複雑で深刻で興味深いドラマ。

しかし、緊縮受け入れ以外の道は破滅しかあり得ない、とは資本主義に毒された人間が考える事。元の貧乏国家に戻ってのんびりと暮らすという選択もあり得るのだ。今の危機的状況を生じさせたのは、ギリシアがユーロに参加して国民性を無視して経済成長を目指そうとしたから。アテネオリンピックで大盤振る舞いもしたし。

日本も東京オリンピックでは国立競技場を始めとして巨額の無駄遣いをしようとしている。そんな事をしている場合では無いのに。今のギリシアの混乱は日本の10年後の姿を見るようである。

ギリシアの首相の評価はEU側から見れば最低だろう。しかし、実は緻密な計算に基づいた大芝居を打っている聡明な大物ではないか、と妄想してみる。

ギリシアはこれまで何度も経済支援を受けて、その度に財政改革の約束をして、しかし国民の反発を受けて改革に頓挫している。今回、ギリシア政府が混乱を回避して緊縮受け入れしても実行は困難だろう。考えない国民が多数だから。年金が半額じゃいやだ満額よこせとデモをする。

しかし、本当は半額かゼロかの選択なのだ。よく考えれば緊縮を受け入れて半額でも貰っておいた方が良いと分かるはずだが。そのように考えない国民には破綻したらどうなるのかを少し経験してもらう必要がある。その上で、混乱は避けるべきだと思い知って黙々と地道に働く生活を選ぶのか、それともケ・セラ・セラで貧しくとも楽しく暮らそうとするのか、国民に選んで貰おうと言う訳だ。

国民投票を実施するという宣言のタイミングは、混乱を少し経験させるのに丁度良い時期だし、もし緊縮受け入れとなったら何とか混乱を戻せると思う。

しかし、もし芝居を打っていると国民に知れたら国民の意識は変わらないだろう。最後まで緊縮受け入れ反対を唱えて、資本主義体制側の人々にはバカ呼ばわりされて引退する。10年後の日本にそんな大物政治家が現れるだろうか。